illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

生きててよかったシリーズ

どうも。例によってあまりヒットしない、中身と関係ないタイトルで押すスタイルの私です。

猫日記(id:LeChatduSamedi)さんがとてもいい文章を書いていらっしゃる。

lechatdusamedi.hatenablog.com

どうしてこの先生はこういう(政治家のようで)(味わいのある)タイトルをつけるのか。そしてどうしてこういう、

受け持っている生徒たちが総じて、自虐的な発言ばかりします。

見事な導入をなさるのか。前はこうじゃなかったはず(朧げ記憶による)。凡百の書き手ならここから「きょうのできごと」「きょううけもったせいとのはなし」をして読み手をげんなりさせる。しかし猫日記さんはそっちには行かない。抽象度がほどよく高く何をいっているのかわからない(わかる)。そしてほの悲しい。私はあらためて冒頭の2文を読んでふふふっとなった。猫日記さんは冴えてる。そしてその冴えに対して何か余計なお世話をしたくなった。

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突っ込みを入れます。その前に自己紹介ですが私は18歳の誕生日を迎える前に大学の二次試験の合格発表がありその足で下宿とアルバイトを決めた。春期講習で英語と国語と社会を17歳で受け持った。いらいブランクはありつつも延べ20年くらい週末副業で何やかや北条かや(あかん。そうじゃない)と、教団(ちゃう)教壇に立ってきました。うへえと思いながら。

通したで。偏差値46で通すべきところには通し、偏差値70の赤門界隈まで。その具体的な話は、野暮になるからやらん。

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よくわからない図をきょうは2枚、持ち出します。

まず図1。

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学習塾予備校界隈の共通の物語、フィクションはこれですね。

このおとぎ話に乗ってくれるお家なら、乗ってくれる生徒を本部が集めてくれりゃ、そりゃ簡単だわ。やらしゃいい。反復。毎日覚えるまで帰宅させない。中1で勉強の苦手な子なら常用漢字、四字熟語、英単語、熟語、計算ドリル、パターン演習、暗記暗記暗記。都道府県の条例で定められた夜間外出時間帯のぎりぎりまで帰さない。親に迎えに来ていただく。感謝されるで。中1と中3で持たせてくれたら、まあ県立高校の中位には引っかかるよ。わしが通す(※震災前の特定地域における個人の感想です)。

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しかし現実はこっちです。

図2。

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この下のほうのもやもやモクモクっとしたほうね。

上の連中は、部活終えたら伸びるんだ。得体の知れない充実感と自己肯定感が育ってるから。かような奴らには、高校受験で使い減りさせないで、2番手3番手校に進ませて、大学受験で勝負するように言い含めるやり方もある。基礎体力と根性あるから強いで。部活で躾がピシっとしてるから「やれ」「はい。やります」ゆうたらほんまにやりよる。そこで勉強がぼちぼち行かんようになっても、得意と人間関係がすでにあるから、食べてける。(うらやましい)

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問題は、下のほうのもやもやモクモク組です。猫日記さんが面倒をみてあげてるのもこっちでしょう。わるいけど、どうにもならんのよ。比喩的にいうと、自我が形成される前の「おっぱい」が欠けてるから。抱きしめてもらったとか、守ってもらったとか、背中で教えてくれたとか……そもそも、自己肯定感なんて根拠ないのよ。なまじ根拠があったら問い直したら壊れちゃう。問うても問うても、「ああ、俺は私は生きててよかったOK牧場」的な底付き、疑い得ないものを、長い時間をかけて自分で(再)発見するしかない。

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次のようにもいえる。勉強というある1つの価値観にたまたまマッチしたとして、その価値に即して生きていられる間は、自己肯定感の底付きを見ずにいられた秀才がいたとする。価値が崩壊したり、それだけじゃ立ち行かない人生の局面を前にしたら、どうする?

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おれは答えを、一例だけ知っている。秀才側、それも「超弩級」の側だから、猫日記さんのお題には合っていないけれど、俺の持ち合わせの札にはそれしかない。ビリギャルじゃないぜ。

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

 

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

坊っちゃん」(の清)(の発見)から、「私の個人主義」に至る、漱石の軌跡がそれだ。この話は長くなるのでこれ以上しないけれど。

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他人のふんどしは好みでないし、フェアではないと思うから、代わりにおれの話をする。すまんね。

おれは、精神的に1度、物理的な意味で1度、母親に包容(抱擁)されたことがある。

精神的にというのは小学5年生のときのことだ。算数のテストで15点をとった。「割合」がわかんなくてね。(おれ食塩水まぜたりしないし。)担任に母子で呼び出されて、説教くらった。帰りの車の中で、おふくろ、えらい険しい顔つきをしてるから、こりゃ帰ったら叱られるなと思ってたら、帰るなり「素地のいい子に満足/十分に教えもしないで、子供のせいにする教師がいる」って、副校長に電話し出した。驚いたね。まあ、そのあとキッと睨まれて、山ほどプリントやらされたんだけど。

物理的ってのは、何かつまんないことで嘘ついたんだ。もうバレバレでさ。白状するまでずっと差し向かいで正座させられて、いよいよ参ったってんで手をついて謝ったら「正直にいえる子でよかった」って、おふくろぽろぽろ泣き出して、おれを抱きしめて、そのあと一緒にカレーか何か作ったのかな。その日、台所に立つおふくろ、やけにうれしそうだったのをいまだに思い出すことがある。

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そのおふくろが、息を引き取る3日前に、おれの生まれてこのかたの悪事を時系列で並べた話は前にも書いた。

そのとき、実は、おれも(苦笑いしながら)悔しくて(というか、いましかない、こりゃ返す刀で斬るしかねえだろうと)、上の2度の「包容(抱擁)」の話を持ち出した。おふくろ、黙って少し目を閉じて、開いてから「もうだいじょうぶね」って。

「ああ」とも「うん」ともつかない返事をした。続けて、「まあさ、しんどい人生だけど、おれは生まれてきてよかったと思う」とかいう間抜けなことをいった。「ありがとうね」とおふくろはいった。(そりゃおれの台詞だぜと思いつつ)後悔しているのは、おれはあのとき、おふくろの薄くなった背に手を回して抱いてやりゃよかったなって。照れくさくて、握手だけして別れたんだけど。

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おれも、いまだに苦しいことがある。内発的な、自信の持ちようがない。勉強という、たまたま20世紀21世紀ジャパン的な価値観にフィットしたという、恵まれた点があったことは認める。だが、猫日記さんの書いているとおりで、おれは「そこ」がおれを満たすべき本当の価値ではない予感を否定できない。

おれは、肩たたきがうまいんだ。

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長くなったので、きょうはこれくらいで。この話は、たぶん、またすると思う。すまない。