うまい。
俺がうまいのではなく、やはりきゅうりとなすの糠漬けはうまいのだ。「うまくできている」「うまい具合に」「いい塩梅に」いろんな形容があるが、しかし言い尽くせぬ。ぽりぽり。
- 手触り…いい感じでふにゃふにゃ。
- 匂い…淡い糠の匂いがする。
- 味…やや塩が強いか。まる1日漬けてるからね。
- 色合い…ご覧の通り。それから、今回写さなかったけど、きゅうりの断面に「よく漬かってる」感じが表れている。
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話かわるんだけど、「坊ちゃん」が、赤シャツをやっつけて東京に帰ってくるわね。そのあとで街鉄の技手になる。
その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく娑婆へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日まで逢う機会がない。
清の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹かって死んでしまった。死ぬ前日を呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
明治39年4月の発表だから、清が亡くなったのはその年の2月とみて、1906年。生年は作中に書かれていないけれど、仮に1835年としたら岩崎弥太郎、福沢諭吉、土方歳三、前島密、三島通庸、松方正義、小松帯刀、そしてめりけんではマーク・トウェイン…と同年代。(いま書いて気づいたんだけど、岩崎、福沢、土方、前島、三島、小松、松方、これみんな-功罪あるにせよ-「明治の精神」を準備した人たちだよね。)
漱石はインテリの極北をいって、でもいやんなっちゃってやっぱり手に職がいいやってんで、でもちょいと1906年当時の刻印ぽい職業、みたいなのをぽんと入れる。うまいなあ。月給30万の家賃7万の谷中あたりの家か。漱石は、生涯、借家だった。
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俺だって、ほんとはばあさんの跡をついで、果樹園を、庭師をやりたかったんだ。(それでいずれ同じ墓に入る。)
墓はともかく、時代相ってやつに煽られて、しょうがなくて勉強したんだけどね。「ばちがあたる」なんて親類には散々いわれるんだが、漬物職人になってみたかった。だって何すればいいか身体でわかるんだもん。漬物樽の色、莚(むしろ)で天日に干していた梅干し、紫蘇、柑橘、唐辛子、大根の葉、皮、柿、漬けあがりのにおい、かき混ぜる手つき、記憶が次々によみがえってくる。
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そんなわけで、味わいを深くするために、干ししいたけ、煮干し、昆布、鰹節、鷹の爪を補ってみました。みょうがも投入。「ばちあたり漬け」引き続き、請うご期待。
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(引き続き、まだ捨て漬けです。ちなみに今日は、5日にいちどの常温発酵の日。冷蔵庫から取り出して、18度くらいの暗所(クローゼットの中)に置いてあげます。)