illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

これはkashさん(id:kash06)向けのネタ(話題提供)なんだけど(唐突に。年始の挨拶)、「名人伝」の細君も紀昌も、瞼やまなざしの先を、ねこが通ってたと思うんだよ。だってさ数十日とか5年とかあんなアホなことやってんでしょ。ぜったい、ねこが視界を横切るわね。

 

でも、その「ねこ」は、「にゃーん」じゃなかったんだよ。紀昌にとっても細君にとっても。細君をあえて引き合いに出したのは、「にゃーん」だったら、「あんた天下一の弓の名人になろうなんて、やめなさい」って、「にゃーん」をなでながら、夫にいうじゃん? 紀昌の視界を遮ったなら、「やーめた」って、「にゃーん」のお世話に励むよね。「名人伝」は、そうは、なっていない。ってことはさ、ふたりは「にゃーん」に、出会わなかった。ってことにならない?

 

おまえらさ、「また同じ話か」って思うんだろ。でもな、よく聞け。市谷駐屯地。くーちゃんはおれの「にゃーん」なんだ。おれは初見のときから知ってた。くーちゃんはおれのほうを見ないんだ。おれを見ないくーちゃんは最高にかわいい。おれを見ているときもかわいいけど。

 

いや、違うんだ。今朝、55歳だかのおっさんPMが「飛んで」、おれがそのリリーフに投入される。別にいいんだよそれは。どうせ在宅でsshとZabbixから。くーちゃんが、おれがsshで「ぴょんぴょん」(踏み台の擬音/比喩だ)してるときにおれに額を摺り寄せてくる。

 

おれはその刹那、kashさんとid:goldheadさんと話したいと思ったんだ。話したいと思える人がいてくれて、ってことはさ、おれの前世は、「にゃーん」に出会えたことも含めて、おれが思うほどにわるくなかったんじゃないかって。

 

名人を目指すのも人生だろう。目指さない人生と、案外、それは「幸せ」の天秤において、等価に近いんじゃないか。その上で、選ぶなら、「にゃーん」の側。おれ選んだしさ(笑)。謹賀新年。ちがうんだ。また寿司でも中華でも競馬場でも。賀正。