illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

昨日

帰りが遅くなって

くーちゃんが窓辺で

不安げな表情で僕が玄関口に向かうのを見ていた

 

夕飯は16時

朝は4時

計ったように正確で

だから19時過ぎの帰りに

見放されたのではないかと不安がよぎった

そんな顔をしていた

 

部屋に入り

4分33秒ほどよそよそしい距離のあった後で

くーちゃんは

これまでも何度か僕の不注意であったときのように

僕を許して受け入れてくれた

 

安心してからは「ほかほかのマット」の上から

遠巻きに僕の料理をする後ろ姿を見ている

 

分離不安症

などという近代のタームよりもはるか以前に

生き物の古層には

愛着

着いて離れたくない気持ち

 

仕事に追われてくーちゃんへの思いを少しだけヘルメットのように取り外していた

お見通し

 

翌朝今朝

出かける気配を察知したくーちゃんは

いつものように横になっておなかを見せて

ブラッシングを待つ姿を見せてくれた

 

おれは根本的に何かを間違った

いまでも間違えている

その確かな予感は

普段

くーちゃんのもふもふに覆われていて

 

1年にいちどくらいおれは

確かな手ごたえを以て

間違えて

 

ひたすら愛情と思しきものだけを注いで8年半

今度こそ

くーちゃんのためには

決して間違えまいと

守備率9割9分は維持してきた自信はあるが

 

残りの1分につまづく

注がなければ気づかなかった窪地

ゴルフボール1個もないほどの足元に