愛すべき人というのは、
これらの平成前中期を代表する男女の歌謡の放つ、切迫感を伴った、おそらくは一夫一婦制を前提し、その手前にある何らかの「向き合う」重さに耐える運命的な人、という意味では、もともとありません。ありませんでした。
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「彼は、愛すべき人物だよ」
といったときの、世間やその常識からは少し外れてしまったところはあるけれど、人柄に憎めなさ、可笑しみ、があることを含意する、にこやかな用法が、昭和以前に見られた本来の姿であったはずです。
アーユーアユ?
— 黄金頭 (@goldhead) 2020年5月16日
黄金頭さんの筆致の見事さについては、ずいぶん行き渡ってきた観があります。これまで、30年に及ぶ冬の時代が、その黄金の右、左の頭を、あの手この手で押さえつけてきました。
しかしながら、東海林さだおを原風景にもつ彼の巧まざるユーモアは、私たちがもっともっと貢物をし、お強請り(ねだり)をすることによって、引き出し、語り継ぐべき部分であるか(や)に思われます。