自分で考えてください。間違っています。
「底辺を這うおれには努力というものがわからない」を記したgoldheadさんには、文筆の才能があると私は思っている。ところがgoldheadさんはコツコツと努力を積み重ねることができなかったか、やらなかった。できないとやらないは、ある程度は重なるが、ある程度は別の問題ではある。ともあれ、自分自身の能力や才能を、努力をとおして「社会化」することにgoldheadさんが長けていなかったことだけは間違いないだろう。
3点、間違いがあります。
- goldheadさんには、文筆の才能があると私は思っている。
だれかが思ったり測ったりするものではありません。
- ところがgoldheadさんはコツコツと努力を積み重ねることができなかったか、やらなかった。
さようですか。できない/やらないで、あれだけのものが書けるのでしょうか。
- 自分自身の能力や才能を、努力をとおして「社会化」することにgoldheadさんが長けていなかった
「社会化」の定義を、閣議決定してからにしていただけますか。加えて、そもそも、その能力だか才能だか知りませんが、人が、社会ないし社会化することに早くから鋭敏に自覚的、自己韜晦的だったら、という視点はないのでしょうか。
じゃあ、みんなコツコツと努力を積み重ねられれば現代社会でうまくやっていけるのか? そうではあるまい。goldheadさんのような人もいるし
「goldheadさんのような人」とは、どういう意味ですか。
goldheadさんがしばしば述べるように、不運や不遇、低い自己評価といったものを仕方なく受け入れるしかないのか。
ご本人に、確認されたのでしょうか。字面だけですか。
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「わいせつ石こうの村」を書くのに、どれだけの石膏職人的な積み重ねが必要だったか、そうして、村や職人が、人知れず、我語らず、その「コツコツ」に気づいてくれる人の訪れを、あるいは待ち、あるいは待たずして息絶えた、その記念碑を、どのような重層的な想像の空間とレトリックでもって、ただそこに刻むか、努力といわず、聞かれても答えず、嘆かず、透明な場を(しかも洒脱に)現前に立ち上げることの営みを、才能を、受け止めることはできるけれども、語るすべなくて、ただ同じ時代を生きたことのありがたさ、今風にいえば尊さを、ただ一途に思い、東京湾の西方に思いを馳せるほかに、どんな同時代の精神医学めいた言及や分析が、あるというのでしょうか。馬鹿ですか。
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2019年師走 船橋海神
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くっそーシロクマの野郎め。対談しろ。文学史と文芸評論の立場から、黄金頭さんの読みに関して貴君が日頃足りていない部分を激詰めしてやるw
— nekohanahime (@nekohanahime) 2019年12月1日