illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0023 井脇ノブ子杯「前期中期後期」

お題「#応援しているチーム

昨日、2020年6月19日18時45分ごろ、私は丸の内から京葉線ホームを目指して歩いていて、スマホの画面を見ていると黄金頭(読み方不詳)さんのツイートが飛び込んできた。

「試合開始に間に合ったかー」とあったので、黄金頭さんは横浜球場の開幕戦のチケットをとって、仕事帰りにずったらずったらと足を早足に曳きながら観戦に向かったのだと思った。「なぬー(呼んでくれたら行ったのに!!)」と思った。

京葉線に乗って葛西臨海公園を過ぎたあたりで、何かがおかしいことに気付いた。

無観客試合のはずである。そして船橋に帰り着いたあたりで、

https://twitter.com/goldhead/status/1273926575143022592

さすがの黄金頭さんでも、横浜球場で冷しゃぶサラダを作ったり買い求めたりすることはできない。そうして私は翌朝、すなわちいま、6月20日の朝が待ち遠しいと思った。黄金頭さんは開幕戦のことを書くに違いないと思ったからである。

スイッチを入れて適当にあわせたチャンネルの画面では、西勇輝が好投を続けていた。甲高い実況は聞くだけ無駄なので一瞬で消音にして、そうして中継を眺めていた。

この1週間の激務がたたって、吉川尚の逆転2ーランを浴びたのが西ではなく代わった優しい岩崎であることをぼんやりと見たあたりで眠りに落ちた。西の笑顔とテンポのいい投球も、岩崎の球持ちのよさから糸を引くストレートも、私は黄金頭さんの書くものと同じくらい好きだ。

目先の1勝と6,000勝は、そういうのが好きな橙色のうさぎ集団にとらせてやればいい。私たち大人のファンの記憶には、誕生日を前に調整に難儀していたらしい岩崎の、逆転HRを浴びた苦くて、渋い表情が残り続けるだろう。

goldhead.hatenablog.com

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ひとつ、与太話をしたい。

今シーズンは120試合をむりやりに秋口までに詰め込んだのだという。

かつてパシフィック・リーグには前期後期制というのがあった。前期の覇者と後期の覇者が通年チャンピオンと日本選手権(日本シリーズ)への出場権を賭けて戦うのである。導入の経緯(セ・リーグへの対抗など)からして議論はいろいろあり、たとえば広岡達朗は次のように複雑な評価と思いを覗かせている。

広岡は、後期(1982年-引用者注)の優勝をいつあきらめて、プレーオフ対策にいつとりかかったのかをなかなかいいたがらなかった。彼にとって、勝つのをやめることほど屈辱的なことはなかったからだ。だが2シーズン制のもとではしばしばそれをしなければならなくなる。彼は2シーズン制の強硬な反対者だった。

「たとえば、やろうと思えばこういうことができる」

といっている。「いままでのようなキャンプなんかやめてしまって、4月になってポカポカしてきてから調整をはじめる。前期を一種のキャンプに当てて、後期に勝負をかけるわけです。プレーオフに勝てばいいんですからね。それは極端な話ですが、とにかく懸命にやらなくても許されるような抜け道が、2シーズン制にはいっぱいあるんですよ」

海老沢泰久広岡達朗1982」新潮文庫『みんなジャイアンツを愛していた』P.160-161

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2020年のシーズンは120試合制で行われる。私の与太話というのは、120を36-72-12の前期中期後期に切ってみてはどうかというものだ。今年は特別な年なので、広岡の苦味を逆手にとるのである。すなわち、序盤の36試合は調整に当てて公式記録から除外する。中の72試合(144の半分)でリーグ制覇を競う。残りの12は2021年シーズンに向けた調整である。どのみち最終盤戦はタイトル争いの八百長の温床になる。

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われながら提言やオピニオンはつまらない。楽しいことは、いつだって想像力の裡にある。バースが打席にたって腕の筋肉をひくつかせるあの一瞬のこと。あるいは、黄金頭(読み方不詳)さんはいまごろ雨の中を、ラジオで中継を聞きながら、横浜を歩いているのかしらんと思う帰り道のことである。