本日、お百度参りの途中を襲撃する作戦会議を行いました。
はる君は、黒目がちで(最初は「この人だれ?」みたいにはにかんでいたけれど、だんだん慣れてきて)よく笑い、お母様が大好きでよく甘えて、足の筋肉が戻って立って歩けるようになるまで、あともうすこしだね、はる君。
お母さんは、いろんなことに戦ってきた。お話の中から、そのことがとてもよくわかった。何かの大きい目的のためじゃない。君の1回1回の笑顔を見ていたら、ひとつひとつの、たとえば、「おいしい?」じゃなくて「おいしいね、はる君」って声をかけること。また、たとえば、君を抱きかかえ、背中には酸素を、左手にはおくすりや心音を聞く聴診器などのセットされた袋を持ったまま、席に座らせたり、また抱き戻したりする手際のよさ。
僕はその一連の手際に熟練工を思った。熟練工は僕のもっとも尊敬する職種のひとつだ。
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僕は君のことをまるでうちのくーちゃんや、はなちゃんや、みーちゃんを見るような目でみていることに途中から気づいた。お母様はおっしゃった。「もう、はる君はずいぶんレントゲンで被爆しているから」「ブログ仲間の同じような病気をもったお子さんがすでに何人も亡くなっていて、そのことに罪悪感を覚えて記事の更新ができないでいるんです」。
はる君、あのね。僕も未熟児で生まれた。44cm、1980g、座布団の対角線に余裕で収まるくらいだった。すりおろした人参と、牛乳と、卵黄が僕の命をつないでくれた。しいたけは食べていなかったように思う。
今日、会って話している間、僕は君のことをいちども障碍や、病気と関連して、見たり思ったりすることはなかった(障碍とも思はなかつた。顔色がよかつたのに胸を撫でおろしただけだ)。ただ、きれいな目をした、眉のカーブのやわらかな、少し茶色がかった髪の、(イケメンだなあ…)と、ときどき繰り出される、君の笑顔のことだけを思っていた。行き交う人も、お母様の背負うバッグもあまりに自然で装いに溶け込んでいて、病気のことと関連付けてわかる人はいなかったろう。
はる君、わいら、わるい大人たちがわりかしマジで祈っておったんやで。いまなら、まだ文字を理解しないから、祈りだけが祈りの形をして、届くだろう。わいは船橋海神の首領やが、愛知いうところにもわるいドンがいる。新幹線のきっぷをとって、近いうちに、ひとつ襲撃せなあかんな。お礼参り、ちゅうねん。
それじゃあ、また!! pic.twitter.com/XUIfSUJEUr
— CALMIN (@CALMIN_PDH) June 17, 2018