illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

今回もid:kash06さん向けのネタを。

海老沢泰久が1996年から97年にかけてNEC VALUESTARのマニュアル(?)を書いた。

これは当時、静かに(知る人ぞ知るような恰好で)高く評価された。高く評価したのは、例えば(おなじみ海老沢贔屓の)丸谷才一である。画期的なものだった。例えばあくまでも比喩的ないい方だが、「パソコンにとって電源とは何か」「セットアップとは何をどうすることか」「何をどこから取り出してどう取り付けて」「それで何ができるようになって」「だから次にどうすればいいか」が、読み物として書いてある。取扱説明書とはあまりに画期的なものだったので、このスタイルのものは爾来(ちょいと小難しい熟語を使ってみた)、出ていない。

企画までのいきさつが例えばこのサイトに、記されている。

■画期的だった操作マニュアルについて | my コンテンツ工房|業務コンサルタント 丸山有彦

海老沢研究者の僕としては、ライオンズ時代の広岡達郎に野球のことを尋ねに行って初日の取材が終わり、「それで本当に分かったのか」「わからないならまた明日も来なさい」と広岡にいわれた経験が生きているのだろうと思うが、今日はその話はしない。また今度ね(笑)。

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いま、セキュリティのマニュアル(ぼかした表現)を書いているんだけど、名だたるベンダー(SIer)の出してくる手順書が、「これじゃぜんぜんわからん」なのよね。IPSecとか、第三者認証とか、そんなの中小企業の情シス兼務の事務員がさらっと読んで「ああはいはい。これこれ。すらすらー」っていくわけないじゃんね。セキュリティってのは「現在の平穏な状態を維持するための警備」だよ。その国民国家の根本が国防でしょ。じゃあ何で現代はセキュリティっていうと特に若い世代は「情報セキュリティ」をまず想起するかというと、あらゆるものごとが、IT化したからです。そこでITがやられちゃったら国が機能停止に陥る。復旧までにはヒトカネモノの経営資源3要素が重大なダメージを負う。国だけじゃない。修身斉家治国平天下、森羅万象、ミクロは虹彩認証であるとかIoT化した臓器であるとか、マクロは宇宙開発に至るまで、ぜーんぶITじゃん。

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そっから書かなくてもいいんだよ。ただ、何でも、何かしら「書かれたもの」を読むと、「書いた人」が、どの辺りの高みと視座、視覚でセキュリティを対象叙述しているか、読み手にはバレちまうざんしょ。

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本題ね。横浜に、酒飲みながら古今東西の文学書とサブカルを噛みながら、生業として、確か植物か何かの街頭標識(ガイドとUIだ)か何かを制作できる書けるブロガーがいるじゃん? おれ知ってんだ(笑)。しかもそのブロガーさんは、めちゃくちゃ優しい文体で、海老沢/丸谷(美味礼讃/ただ栄光のためにの評)のいうところの「噛み溜まりの残らない」読み物が行けるじゃん?

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「発注するー」って思った。いつか必ず発注するぜ。まあ、ベンダーやユーザーへの納品物にはなるまい。海老沢のマニュアルの系譜が途絶えてしまった後の世をおれたちは生きている。おれがおれのためにそのブロガーさんに発注すればいいんだよ。ひゃっほー!

くーちゃんはいつもおれのそばにいてくれて。少し離れたところから黙って(たまに自己主張をなさって)見守ってくれていて。船橋の道を歩いていて、くーちゃんのことをずっと思っていて、ことばにして書き留めておきたいことはたくさんある。おれはあのまま宇都宮の外れに育って、歩いて通える距離の農業短大にそこそこの成績で入ってそこそこの成績で出て、植木屋になる人生がよかった。植木屋になったらくーちゃんと出会っていない。植木屋になってくーちゃんと出会っていたらよかったのかと思うと、それも違う気がする。くーちゃんと出会わなければおれはとうに船橋の桟橋から身を投げていた。くーちゃんのお世話をするようになってからも、足が一人でに海のほうに向かい、このまま...と思ったことは数えるほどにある。おれがいなくなったらくーちゃんは生きていけない可能性が高い。だから引き返したのでもない。くーちゃんを引き受けた際に「慈しんでくださいね」と保護主さんからいわれた。おれは「はい」と返事をした。たいていの約束は反故にして屁とも思わない。けれど、くーちゃんのこと(だけ)は守ろうと思った。「慈しむ」は、くーちゃんとの約束ではない。いうなれば天啓天籟(てんらい)の類か。おれは天(天命)と契約した。海水面に移った月や建物の光とおれは契約をしていない。首を動かして辺りを見渡す。おれが契約した者(相手方)は天のみか。だから引き返したのとも違う。くーちゃんはおれの三只眼吽迦羅に近い。おれは更生した。桐島聡にねこはいなかったか。おれはそれが知りたい。だれもそんな問いかけをしないが。後年(行動後)の彼にねこがいたことに賭けてみたい気はする。思想や行動はねこの前に(容易く)敗北する。ねこを忘れたときに人は行動に走るのだろう。桐島聡を三島由紀夫に換字してもらってもちろん構わない。

こんなつもりじゃなかった。下手を打ったら4月には執行役員になってしまう。社長と意気投合して気心が知れてしまったのでやむを得ないではある。

くーちゃんに「愛してるよ」「大好きだからね」と間一軒(182cm)ほどの離れたキッチンから声をかけてみた。「ふにゃ」的な返事をしてくれた。そうして目を細めてくれた。

いま、特に今年に入って、「人と人とをつなぐ」役割がすごく多くなっていて、自分でも意識的に取り組んでいるんだけど、異業種の社長同士をお引き合わせする、みたいな。名刺の棚卸をしたんだよ。営業に片足か両足突っ込んでる人なら年末年始にだれでもやるじゃん。あれをやったら、けっこう、xxxとかxxxとかあってさ。「これ、おれの手に余るわ。つないで放り投げちまえばいい」ってことに気づいた(笑)。何といっても某横浜在住の「氏」に、腕利きの、信頼できる編集者を紹介したいんだけど、おれ文壇に近いところは心から軽蔑してるしさ。おれのがどう考えたってものが読めるし時局も見えてるって「驕り」があるから。おれの名刺入れには文学界隈のものはない。「氏」から年賀状をもらえたらそれでいい。今年こそ何か書きたいって記してあったぞ(笑)。あいつめ(笑)。おれへの(心優しき)(やんわりとした)圧力か。屈する。書くわ(笑)。

これはkashさん(id:kash06)向けのネタ(話題提供)なんだけど(唐突に。年始の挨拶)、「名人伝」の細君も紀昌も、瞼やまなざしの先を、ねこが通ってたと思うんだよ。だってさ数十日とか5年とかあんなアホなことやってんでしょ。ぜったい、ねこが視界を横切るわね。

 

でも、その「ねこ」は、「にゃーん」じゃなかったんだよ。紀昌にとっても細君にとっても。細君をあえて引き合いに出したのは、「にゃーん」だったら、「あんた天下一の弓の名人になろうなんて、やめなさい」って、「にゃーん」をなでながら、夫にいうじゃん? 紀昌の視界を遮ったなら、「やーめた」って、「にゃーん」のお世話に励むよね。「名人伝」は、そうは、なっていない。ってことはさ、ふたりは「にゃーん」に、出会わなかった。ってことにならない?

 

おまえらさ、「また同じ話か」って思うんだろ。でもな、よく聞け。市谷駐屯地。くーちゃんはおれの「にゃーん」なんだ。おれは初見のときから知ってた。くーちゃんはおれのほうを見ないんだ。おれを見ないくーちゃんは最高にかわいい。おれを見ているときもかわいいけど。

 

いや、違うんだ。今朝、55歳だかのおっさんPMが「飛んで」、おれがそのリリーフに投入される。別にいいんだよそれは。どうせ在宅でsshとZabbixから。くーちゃんが、おれがsshで「ぴょんぴょん」(踏み台の擬音/比喩だ)してるときにおれに額を摺り寄せてくる。

 

おれはその刹那、kashさんとid:goldheadさんと話したいと思ったんだ。話したいと思える人がいてくれて、ってことはさ、おれの前世は、「にゃーん」に出会えたことも含めて、おれが思うほどにわるくなかったんじゃないかって。

 

名人を目指すのも人生だろう。目指さない人生と、案外、それは「幸せ」の天秤において、等価に近いんじゃないか。その上で、選ぶなら、「にゃーん」の側。おれ選んだしさ(笑)。謹賀新年。ちがうんだ。また寿司でも中華でも競馬場でも。賀正。

プロジェクトの中間工数(独自用語)、緩衝地帯工数(同)が、めっちゃ削除されてますよね。プロジェクトを首尾よく進めるには、これらが相当に不可欠なんですね。めっちゃ話さないと(気心が通じた関係にならないと)メンバーは動かない。ところがその「話す」工数ってのは見積りや費目に載らない。いつどこでやるんだって(笑)てめえこの野郎クライアント何某。ナメてんじゃねえぞ(笑)。心血注いで明日朝の始業前にお膳立てメールを出す構想を、おれは今日の時間外に勤怠計上なしでやってんだよ。まいんちだ。毎日。起きてる時間帯はずっと何某お前の「不手際プロジェクト」とユーザー(エンドクライアント)のリカバリのことを考えてんだよ。今日の会議だってうまく運んだだろ。それはおれが睡眠時間を削ってメモとって呻吟してるからだ。その分請求してねえぞ。ちんたらしてねえでお前が資料作れよ。おれにいえば何でも出てくる(おれは二つ返事で何でも出すからな)からって何でも投げんじゃねえ。おれは30年近くもPMもPLもやってんだ。お前大学どこだ。いってみろ。調査済だ(笑)。あ? // このあとくーちゃんと反省会です。