向田邦子(1929-1981)が、宇都宮時代に暮らした2軒めの家があった辺りです。ちゃんと特定している愛好家の方がいらしてびっくりしました。
宇都宮で生まれ育ち、国語を習っていても、案外、向田邦子が宇都宮に縁のあったことを知らない人は多いと思います。僕は父方が彼女、向田さんが宇都宮で2番めに暮らした町、西大寛(にしだいかん)にたまたま家を持っていまして、昭和末年、中高時代にはたまに出入りしていました。
そうすると、少し文学に関心のある年配の人の口から、「昔、すぐそこに向田さんが過ごしていた家があって、いまは持ち主が変わっちゃったけど……彼女(向田さん)もお父様が保険会社の転勤族でしょう?」なんていう話が聞けた。何せ1980年代というのは彼女が台湾の飛行機事故で亡くなった(1981)記憶が新しい。
著作には数えるほどしか出てこないんですが、いろいろ総合すると、ほぼここで間違いないです。
https://goo.gl/maps/Kd3qYxuGMpBp735bA
種明かしはちょっと出来ないんですが、まあ、向田著作を丹念に読み拾い、宇都宮でちょっと調べる気になったら分かります。上にリンクを貼った愛好家の方、むしろよく突き止めたなと思います。
ご参考まで当時の西大寛はいま操(みさお)町といって、宇都宮女子高校の同窓会が操会、かつて併設していた幼稚園がみさお幼稚園です。地元で立候補するには操会の取りまとめが欠かせないという、隠然たる実力組織です――冗談ですが――ちょっと見ると、僕の中学の同級生が出てきたりします。
向田さんは小学校1年1学期までで宇都宮を離れ、高松に移ります。