illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

現代文講座(04)

今日は思いがけなく行ったコメントが想像外のスターを集めたので、口直しの意味でも現代文講座を。

先に記した予定を外れます。

僕がこれまでに紹介、あるいは読んできた、いわゆる論説文の範疇に入りそうな書籍を列挙しておきます。基本的に、新書か文庫です。

社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書)

社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書)

 

「経済人ロビンソン・クルーソウ」これに尽きるのですが(まったく尽きない)、大塚先生の講義はお聞きしたかった。非常にやわらかい、優しい語り口です。前回の記事で黄色い本のほうを紹介してしまったかも知れません。「ロビンソン・クルーソウ」目当てならこちらです。

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

 

続きまして福田恆存老人と海」ちがう、ヘミングウェイ老人と海」の、その日本人向けとして最良の解説が福田のこの文庫本に寄せた解説です。 それで、福田への批判としてAmazonコクマルガラスさんの書評もお読みください。福田はある部分、いまから見れば間違っていると思います。いや、批判されるべきです。小川高義柴田元幸の「乗り越え」は(勝手に僕がそう感じているだけですが)1つの答えかと思います。ただ、すみません。僕は福田訳、福田解説が好きです。それは読者として読書に何を求めるかってことだと思う。おれは読書ってのは間違った恋に、間違いを承知で走ることだと思う。

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

 
現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)

現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)

 

どっちがいいかなあ。竹田青嗣はつまるところ、自分が「在日」という躓き=問いを前にして、現象学という方法の辿った道筋が、自分を開示することと瓜二つではないかという驚き(それは誤解かもしれないけど)を、その鮮度を失わずに語り続けます。これも、どうだかと思う。ただ、前にも書いたかもしれないのだけれど、竹田は93年頃に『情況』だったかな「何か世界はこれだというものをもし誰かが掴んでしまったとしたら、その人はよほど努力しなければ普通の幸せを得ることは難しい」みたいなことを書いているのね。竹田も言葉が足りていないし、おれも理解が届いていないし誤った受け取り方だと思う。そして重々承知で、おれは竹田の語ったことはやっぱり正しいと思う。ね、id:kikumonagon さんに向けて書いているつもりで、羅針盤がずれちゃってるでしょう。これがおれです。

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

 

まあまあ、いい。ほんとうは大塚は「少女民俗学」あるいはあさま山荘ものなんだろうけど、id:kikumonagon さんにはちょっと勧めにくい。ではこの「大学論」ならいいかといえば、ま、大塚は初期の熱情を大人の成熟でずらして書いてるわね。けれど、大学教育の理想というか、この授業は受けたいわけです。筑波大学をもし視野に入れてくれているなら、読んだほうがいいのか、読まないほうがいいのか(意味不明)。

与謝野晶子歌集 (岩波文庫)

与謝野晶子歌集 (岩波文庫)

 

じゃーん。与謝野晶子。与謝野源氏のよさってのはあれは問題が多い。

与謝野晶子訳源氏物語 - Wikipedia

抄訳だからね。だけど、面白い。それで、源氏は勧めない。代わりに、歌集の本書を。何がいいって馬場あき子のさすがというほかにない解説を読んでほしい。立ち読みで構わない(だめ)。これなんて出されやすい現代文の典型だ。ついうっかり出したくなる。

あと2冊。

これは出題されない。ポエムだから。それでも、僕も前に何度か言及している。これが出されるような大学入試ならいいなと願って。戦後の、僕らの、id:kikumonagon さん、あるいはお父様お母様の、広くいえば同時代の基調はどんなだったか、どんなであるかを、丁寧に、場にそっと出して手を引っ込め、目を閉じるような断章、時評です。20世紀の日本ってこんなだったと、もし関心があれば感じ取っておいてほしい。それは必ず古典の理解を支えるから。

文学のレッスン (新潮文庫)

文学のレッスン (新潮文庫)

 

今回の僕のぐだぐだの中で1冊をといったら、大塚先生の「ロビンソン」と、これかなあ(2冊じゃんか)。竹田青嗣の2冊はサービスしすぎたかも。丸谷のことは、あとでも触れます。まるで現代文講座になっていない。羊頭狗肉。看板に偽りあり。

現代文講座(03)

今回の講座の前に次を読んでみてください。

つまらない論説文が世にはあふれていますけれど、まず、(1) 見坊豪紀の著作は読んで外れがありません。(2) このウィキペディアの記事は(一見)地味ですが愛にあふれています。多少言葉足らずなところはありますが。そこが却ってよい。

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前回つまらないことをしゃべってしまったので仕切り直します。

国語のセンターないし二次の出題形式はだいたい次の感じです。

  • 1) 漢字語句(よみ変換/書き変換)前回紹介したシグマをめくってください。演繹とか帰納とかそんなのです。単調に覚えるのがつまらなかったり嫌になったりしたばあいには柳父章の「翻訳語成立事情」か、丸山真男文明論之概略を読む 上」をBOOKOFFで買い求めてください。柳父章最高だぜ。
  • 2) 文法(きょうしゃべります)。「が」「の」の識別とかそんなのです。(きょうしゃべります)
  • 論説文。このまえしゃべりました。またあとでしゃべります。
  • 小説。この次にしゃべります。
  • 随筆。この次の次にしゃべります。
  • 古文。いつもしゃべってますがこの次の次の次にしゃべります。
  • 漢文。覚えてたらやります。

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んで文法(現代国文法)です。

品詞は10個あります。まず、10個あることを覚えてください。多少の異説はありますが気にすることはないです。入試には「10個」と覚えておけば十分。カッコ内は偏った例。

  • 感動詞(おや、まあ、あーっ)
  • 名詞(ノート)
  • 助詞(が/の/を/に/へ/と/より/から/や/で)これも10個ね
  • 副詞(かえって。「帰って!」ではない。きっと。たぶん。おそらく。つゆ~ずの「つゆ」「ゆめゆめ」通じないことはわかってる。放っておいてくれ)
  • 連体詞(この、あの、その、どの、いわゆる、大きな、たいした…)
  • 形容詞(おもしろい)
  • 形容動詞(わいせつだ。堂々たる)
  • 動詞(走る。走る。(おれたち)流れる(汗をそのままに))
  • 助動詞(だらう)
  • 接続詞(やがて(夜が明ける)鈴木雅之です)
  • 代名詞(これ。それ。あれ。どれ。11個めになります。10+1と分けてもいいです。)

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んで(二度目)大切なのは助詞です。いろんな覚え方のお呪(まじな)いはありますが、古語との対応でもこの順で覚えておいたほうがいいです。古語では「が/の/を/に/へ/と/より/から/にて/して」となります。必ずしも対応関係を保証しません。が、つぶやいて覚えてください。

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あと今日覚えてほしいのは「は」です。「は」は係助詞です。主格ではありません。つまり格助詞ではなく係助詞です。「このたびはぬさもとりあへずたむけやま」

ね、主格じゃないでせう? (´;ω;`) もういいです。放っておいてください。(´;ω;`) くーちゃん (´;ω;`)

現代文講座(02)

現代文講座です。

きょうは次のことを覚えてください。

  1. 論説文を対象にします。小説や随筆は今回とりあえず対象外です。考え方はだいたい共通します。でも今回視野に入れているのは論説文だけです。小説や随筆には若干べつの技法が要ります。何日か後にやりますので少々お待ちを。
  2. 5択は(id:kikumonagon さんなら)大した手間もなく必ず2択にまで絞り込めます。「あーっはっはっはなんだよこれ」みたいな3つの選択肢に☓を付けて消してください。
  3. 2択になった後は少しだけ慎重になってください。
  4. 【大切なこと】論説文の主張を(咀嚼す/内面化するという意味では)理解しようとしないでください。受け入れる必要もありません。感情移入もいりません。この選択肢で延べられている内容は本文に「書いてある」「書いていない」ただそれだけを振り分ける機器と化し、その精度と速度を競うのが試験だと思ってください。
  5. 【大切なこと】論説文は id:kikumonagon さんの将来にとって全く意味がなく、何の効力も影響もありません。だいたい書いている本人は出題されることや読まれることやそれらのリスクを考えていません(そりゃそうだそもそもの発表媒体がちがうんだから)。どんな論説文でもそうです。「無責任きわまりないアウトプット」と、「しょうがなくて用意された選択肢の5つ」を、【これは文中に書いてある】【これは書いていない】の◎○△☓を付けて、瑕疵(傷)のもっとも少ないものの選択肢番号を解答欄に書くお仕事です。

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さんざん迷って実例を挙げて解説するのを思い留まりました。id:kikumonagon さんに、ではもちろんなく、僕のこれまでの人生を振り返ってという意味で、絶望的な気分ですw

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以下にテクニック(のようなもの)を記します。上述した「2択になった後は少しだけ慎重になってください。」の敷衍です。

  • 全否定や全肯定をする選択肢は怪しいと思ってください。「全ての○○は」「決してない」。これで偏差値54以下(てきとう)が振り払われます。信じられないでしょうが選択肢を読まない、国語をはなから捨てにかかる層、というのがセンター受験生には正規分布の(以下自粛)。
  • まず、5つを2つにまで消去法(!? なんだそりゃ方法なんて要るのか?)で絞り込んで、センターの模範解答と解法を見て、自分の残した2つが(正解でなくとも)有力候補に残っていれば第一段階としてはそれでOKです。

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その次には、次のことをしてください。

  • 2つ残った選択肢を、読点あるいは文節に依って、「/」で切っていってください。
  • その「/」で切った単位ごとに、本文(のどこかにそれらしく)に書かれていたらマル、書かれていなければバツ、怪しいと思ったら△を付けてください。
  • マルとバツの数を数えてください。バツの少ない方が、正解により近いです。なぜかといえば宮崎市定が「科挙史」(以下目眩ぐるぐる目)
  • 初めのうちは時間がかかっても構いません。センターなら、センターの10年分くらいでやってみてください。10年分もやれば id:kikumonagon さんならコツがつかめます。
  • ただそのときに孤独(感)にはくれぐれもご自愛を。予備校講師も学友もてきとう無責任なことをいいます。時給とライバルを蹴落とすことが生存目的ですから。
  • そんなときには、id:watto さん、あるいは倫理的性的に問題はありますが id:netcraft3 のような、「持ちこたえている」先人の記事を眺めてください。ほかに、早野龍五、高木仁三郎、出題はおそらく決してされませんが、ちゃんとした論説者というのはこの世にいます。試験をくぐり抜けたらきっと出会えます(おれは山際淳司に会えなかったけどね)。

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広岡達朗はノッカーとして若い選手に正面に強いゴロを打ちます。むやにに左右に振る、いかにもノッカーが仕事をしているようなノックは邪道として排する。理由はシンプルで、「ゴロに対する恐怖感を取り除く」「フットワークが付けば左右の難しいゴロなんて自然にグラブが届くようになる」つまりノッカーはゴロへの恐怖を取り除いて慣れさせるのが職務、選手個々は左右に走れるように、脚さばきを自分で整えるのが仕事です(プロですから)。

現代文も同じです。難しいように見える本文を数多く与える。本文と選択肢を交互に見ながら「5→2」の絞り込みは、(さすがに)できるでしょう、をやらせる。残った2つを吟味する。その手法、エッセンスを伝授する。それがちゃんとした予備校講師の務めです。おれは(そこらの/そこらと同じ)講師じゃないけどね。

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すみません、これから間もなく8:00から大手町アリーナで月初/fiscal year 年初の会議です。とりあえず、次を読んでみてくれますか。 > id:kikumonagon さん。大塚久雄「社会科学における人間」所収「経済人ロビンソン・クルーソー」。は、論説文の頂点に位置する著述の好例です。出ないと思います。わかんなくていいです。いや、id:kikumonagon さんなら、きっと、わかる(わかってしまう)だろうな。おもしろいよ。圧倒的に。https://www.amazon.co.jp/dp/4004200113

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ついでに、上記/これだけでは味気ないと思うんで布教します。

まろ、ん?―大掴源氏物語

まろ、ん?―大掴源氏物語

 

id:kikumonagon さんは、「をかし」方面は大変に(圧倒的に)お強いけれども、「あはれ」方面も入試に欠くこと能はず。ま、騙されたと思って買い求めてみてくだしゃんせ。んではまた。全国の支店長にわいは今から活を入れねばならんのよ。(´;ω;`) くーちゃん 😺 (´;ω;`)

現代文講座(01)

義憤に駆られました。

kikumonagon.hatenablog.com

突然ですが、id:kikumonagon さんのような大学受験生を想定読者として、シリーズで現代文講座やります。それと適当に雑感を記します。どのみち筆はそっちに向かうこと請け合い。ほっといてくれw

その私ですが(この「が」の用法からして危うい)、91年1月のセンター試験国語は200点満点中190点。現代文と古文が満点で漢文で配点10を1問間違いました。同2月のうんたらでは120点満点中自己採点88点。今日にいたるまで毎年センターは(もっぱら絶望するために)解いていますが、出題文と選択肢の意味のない工夫の劣化は目を覆うばかり。その中にあって、古文と漢文の確かさに胸をなでおろしながら、現代文も満点を維持しています。当然です。ほんっとに、ひどいね。あの選択肢の作りは。まるで意味がない。

*

で、そうこうしている間、サラリーマン生活の傍ら、手がけた生徒は500人と1,000人の間。

*

以上は、自慢ではなくエビデンスに替えた宣言です。

というわけで、毎回、完結性の高い「これだけは」をやります。が、もちろん、やらなくてもいいです。やったところで、僕のようにやさぐれます。ただ、現代文は通るようになります。そして私の狙いは現代文の先にある。

*

今回やってほしいこと。アマゾンのリンクからはアフィリエイト要素を省いてあります。

  • シグマの「国語便覧」手に入れて下さい。なんだかんだでこれがいちばんいいと思います。暇なときにぱらぱらとめくって下さい。これはよくできています。いまはめくるだけでいいです。もし向学心に溢れるなら熟語と故事成語を覚えて下さい。どのような社会人生活を送ることになるにせよ、決して損にはなりません。https://www.amazon.co.jp/dp/4578841847/
  • 同じシグマの秋山虔三好行雄の「日本文学史」を手に入れて下さい。しかしながら本書、網羅性はあるものの、結果、やや間延びした作りになっています。それでもお勧めするのは秋山と三好への僕の信頼です。僕とかになると(何やねんそのものいいは)間延びした行間に味わいを見出すのですが、それは手練れのやること。ぱらぱらとめくって、主だった日本の文学史上の著名作品とその位置づけに、馴染んでいてください。無理することはないです。https://www.amazon.co.jp/dp/4578910806/
  • そもそも、世にはろくな論説文がありません(内田樹(伏せ字)とか)。この先1年間に受ける模試、出会う現代文、でも辟易するようなものばかりでしょう。その理由はいまは秘して伏せます。代わりに、金田一春彦「ことばの歳時記」を読むことから始めてみて下さい。センターにも二次にも出ないかも知れませんが、季雲納言さんの道標(みちしるべ)には、きっとなるでしょう。

    https://www.amazon.co.jp/dp/4101215014

以下は私信です。

塾のテキストに載っている文章が最後まで読み切れない(強制されれば読めないこともないけど辛い)。あんなに教科書を先取りして読む人間だったのに…

本屋さんでもそうです。

前は新書を見て「面白そうだなー」とワクワクしつつお店を回っていたのに、最近はほぼスルーです。

キャッチコピーに全く魅力を感じないし、ちょっと手に取って後ろのあらすじを見て「あーこういう話なのね」で済んでしまう。

この前本屋さんに入って辛うじて購入したのは現代作家さんでも平安怪奇譚を取り扱った小説とみだれ髪でした。今は聖書(小説版)を読んでいます。

(何故か漫画は読めるし普通に買う)

うんうん。うんうんうんうん。うんうんうんうん(わかる。わかるの塊と化して居る)。わかる。わかりる。与謝野晶子の源氏はいい。聖書のよさは id:kash06 さんに訊くといいでしょう。聖書はその目的からして、コンテンツが実に練れている。やる気に溢れています。ちなみにいえばマルクス共産党宣言」「資本論」に足りないのはそこです。

実は僕が10歳くらいから、30年以上戦ってきたのがこのテーマでした。小学校5年生くらいまでは国語の教科書は楽しかった。どうして、一定の年齢が過ぎると楽しくなくなるのでしょうね。

*

あの、やらないでいいですからね。義憤です。次回は現代国語とやらの「選択肢の消し方」を(泣きながら)やります。好きにしますので、放っておいてください。

今日は4月1日です。何を書いてもいいでしょう。中島みゆきの話をします。「僕にとっての」中島みゆきです。中島みゆき一般ではない。

初めて買ったのは85年のmiss M.でした。アルバムCDの買い方も知らなかった。CRT栃木放送「新井清の星空ベストテン」という番組があって、そこでエンディング・リクエストで中島みゆきの「時代」だったと思う、魂を持っていかれて、ちょうど、その頃わが家にCDプレーヤーが入ったこともあって使ってみたくてたまらない。渡辺美里と、ビリー・ジョエルと、井上陽水と、南野陽子と、ナット・キング・コールを。

そしてそれらに次いで、miss M.を買い求めた。買い方を知らなかったというのは、その後に出たベスト版(中島みゆき THE BEST)、これを知って本当はこっちがほしかったと悔やんだ(悔やまなかった。miss M.はよかった)、つまり、Singleを集めたものSinglesばかりが、アルバムでない、なんてことは当時読み始めたばかりの「明星」や「平凡」には書いてなかった。シングルとカップリングとアルバム収録曲の違いもわからなかった。どきどきしながら千円札を握って新星堂オリオン通り店に行って「な」の一角から収録曲もよく確かめもせずに、出たばかりで複数枚置かれていたmiss M.が「これを買っておけばよさそうだ」と一人合点してレジまで持っていった。

よかった。メタルテープにダビングしてずっと聴いてた。だからおれの感受性のある部分は、渡辺美里(と、岡村靖幸のものであることはずっと後になって知る)のLoving Youと、中島みゆきの孤独の肖像と、ショウ・タイムと、ああ、いま気づいた、おれの単独者好きはこのころに端を発しているのだな。口ずさみながら自転車をこいで学校に通って、でも一方で河合その子に入れあげて。孤独の肖像も後藤次利だったか。許しがたい。

したっくれ(栃木弁「まあ、そうして」の意)、ちょうど冬(86年1月)には、そう、タイガース21年振り優勝のオフだった、THE BESTが出る、わかれうた。研ナオコの「かもめはかもめ」が中島みゆきだったと知ったのもそのころで、編曲の若草恵はわかくさ・めぐみだとずっと思ってて、かもめはかもめ、いいよねえ。あれと「この空を飛べたら」、たまにやさぐれて(しょっちゅうだけど)船橋港まで歩いていく、ふと、どっちかを歌ってる。80年代後半、中島みゆきの活動期においても、おれにとっても、いちばんいいときに、時代、杏村、加藤優(世情)、わかれうた、あたいの夏休み(これも後藤次利か)、白鳥の歌が聴こえる、オールナイトニッポンなあ、シーサイド・コーポラス、そういえば、大学生のときにいちどめの虎への変身と国外逃亡をして、ベトナムの港で魚醤の匂いにあおられながら、シーサイド・コーポラス口ずさんでた。なんど歌っても途中から「杏村から」に変わっちまう。「シーサイド・コーポラス 小ねずみ 駆け抜ける きのう おまえの 誕生日だったよと」。あれ? おっかしいなあ、いよいよおれもおしまいかって、確かめるのに日本に帰ってきた。

それから、大学院に入って(潜り込んで)(96)、おれは芥子粒、太宰のトカトントンでいうごまのひとつまみなのかと人類史に対する圧倒的な敗北感に後頭部からバットで襲われ、だめもとは先刻承知、せめて中くらいの幹に爪痕を残したらどないやと、だがしかし! どうしてそんなことをするのか。あれはたしか20数年前の、雨降る夜に、坂口安吾をめくっていたそのとき、それまで、おれにとって one of them の上位くらいでしかなかったはずの with が、否(杏)、無意識下に、答えを探っていたのだろう、でなければ、巡り合うはずがない。なぜ巡り合うのか。おれたちは何も知らない。けれど、だからって、そうだろう? とはおれは問わないんだ。忘れちまった、忘れたふりをしているだけで、知っていたはずなんだ。なあ、はる君。

JASRAQ(CではなくQのほうがかわいくないか)バッチかかってこい。

僕のことばは意味をなさない
まるで遠い砂漠を旅してるみたいだね
ドアのあかないガラスの城で

みんな戦争の仕度を続けてる
旅をすること自体おりようとは思わない
手帳にはいつも旅立ちとメモしてある
けれど
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに with…
生まれる前に僕は夢みた 誰が僕と寒さを分かちあってゆくだろう
時の流れは僕に教えた
みんな自分のことで
忙しいと 誰だって旅くらいひとりでもできるさ
でも、ひとりきり泣けても
ひとりきり笑うことはできない
けれど

02年に、おれはよよん君のことを知り、03年に血液グループ先生に面会を申し入れ、お会いして、ひとしきり事情聴取を行った。その中で、ひとりきり笑うことはむずかしい。けれど、そのひとりがいてくれる、いてくれたことによって、僕たち、私たち、おれたちは笑うことができる、そんなこともある、その可能性に賭けてみたいと、なぜ、よちよち歩きでもいまこうして生きていられるのかといえば、と、そこで血液グループ先生は言葉を呑んだ。

*

長い短い夜が明ける。夜が明けたらおれは船橋競馬場まで用を足しに行く。申し添えておくが放尿ではない。どちらかといえば放牧に近い。魂の。吉井玲と、ちょうどたまたま(きんたまではない)、同じ時期に白血病にかかったよよん君がお母様にあるとき漏らした。「同じ病気でも、どうして、タレント、有名人だと、採り上げられて話題になるのかな。もっとほかに、たくさんいるのに」「僕も吉井さんみたいに寛解するのかな。もし、そうなれたら」

「そうなれたら?」と、血液グループを名乗る(そう問われても否定しない)小柄な人は、取材中初めてといってもいいくらい、僕の目を覗き込んだ。昭和記念公園近く。秋。喫茶店で、われわれはミルクティーとレモンティーを頼んでいた。