介護者側に大切な1つの心構え:
- 被介護者(が身内の場合とくに)は、その介護によって、介護者の人生が削れることを望んでいないし、共倒れも望んでいない。望まれていない「削れ」「共倒れ」を防ぐのは、介護者の意志と工夫だ。
介護者側に大切な1つの心構え:
思わず感化されて歌いました。
(返歌)わたぼうし地に根を下ろす末の松穏やかな日の来たらむことを / “歌集「いわて震災詩歌2018」 - w a k u r a b a” https://t.co/Z1opVFci18
— nekohanahime (@nekohanahime) 2018年3月29日
人にはだれしも自分にもっともフィットした表現形式があると思う。
どれも胸を衝かれる。だけれど、どれか1つは選べない。
代わりに、歌った。多少の技巧は込めたつもり。それを自己解題しようとした。でも、思いとどまった。
これ、木村カエラが奥田民生に感化されて、歌いながらよくなっていく。
たんぽぽさんの歌に、おれが感化されたというのは、そんな感じ。不思議。
いいレースだった。事故も妨害もなく。おれ個人としてはガミったけれど、レッツゴードンキへの愛が募った(かわいい)。それで馬券だがファインニードルはおれにはとれる。けれどナックビーナスはおれにはとれないんだ。ダンスディレクターは、はなから外す。いやあしかし、ナックビーナスへの世代交代かね、これは。
いいレースだった。3,100円を投じて1,690円。
大人だから押さえてるけどさw (´;ω;`) レッツゴードンキよくがんばった (´;ω;`) pic.twitter.com/H5Rr3NWXjL
— nekohanahime (@nekohanahime) 2018年3月25日
諸君、また来週。
それはそうとレッツゴードンキかわいいよね。
ドンキちゃん、きたー!ってみんな思ったよね( ・∇・)
— mari (@island51437) 2018年3月25日
今日は一段と目クリクリでしたわよ♪
500キロのダイナマイトボディで、かっこよかったな!#レッツゴードンキ #高松宮記念 pic.twitter.com/QuDJ37kZtc
これにだまされたらあかんのや。
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当たり馬券は換金しないで関内関外の師匠のところに発送…しようかと思ったけれどやめた。失礼にあたってしまう。有効期限60日の間にまた大口を当てればいいのだ。31日のダービー卿か、1日の大阪杯か(どっちも買うけれど)。
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繰り返しになるが、諸君、また来週。
「角煮のちまき風のおむすび」を作っている。角煮を焼く前の漬け汁仕込みに1時間かかるそうだから、その間、うれしい気持ちが掌からこぼれないうちに記しておきたい。
甘辛いごはんとガッツリ角煮のちまき風のおむすびが最高! #角煮ちまき風
— DELISH KITCHEN|動画レシピ (@DelishKitchentv) 2018年2月26日
炊飯器のボタン一つで炊き上げるからとっても簡単!
ホームパーティやお祝いの時にいかがでしょうか?
アプリもダウンロードしてみてね↓https://t.co/CiLuE9pIzr#delishkitchen #デリッシュキッチン pic.twitter.com/WjtZm1uhgB
小説を読む喜びとは一体、何であろうか諸君。
私は読者に投げかける振りをして対話を好まないw
小説を読む喜びは連載を待つことである。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!である。贔屓の作家がわんわん吠える読者の前に1週間後にちゃんと続きを示してくれることである。変わらぬ筆致で。意外性に富んだ続きで。
諸君昨今そのような新聞あるいはウェブ連載を見たことがあるか。
私にはない。実にくだらない話ばかりだ。正直、二度と読むものかと思う連載にしか出会ったことがない。私だけではなかった。状況は少し異なるが秋山駿が藤沢周平「蝉しぐれ」に言及して似たようなことを記している。もちろん藤沢「蝉しぐれ」は例外中の例外という論調でだ。時代小説を読む楽しさを思い出したと秋山は喜びを隠さない。
同様に、私は蘇ったのだ。
たんぽぽさんの「スナック花水木」である。
実に美味い。旨い。上手い。
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もう、はらはらする。主人公の「私」は、おおむね自分のこと以外に関心が薄い。だいたい、状況に押されて、いつも後になってから気づく。それは、作者たんぽぽさんのお人柄に由来するのだろうか? 否、私小説での書き手と「私」の重なりなどというテーマはもう飽き飽きしているので論じないが、否(二度目だ。うむ)、やっぱりそこに戻って考えてみたくなる魅力引力がこの作品には、ある。「たんぽぽさん、若いころ、こうだったのかな? ぷぷぷ」って思うでしょう? 思わない? あれ?
で、まあ、街に出てきたばかりのころの自分を創作に投影するセンチメンタル・ジャーニーは、ひとつの類型ではある。だがしかし、だ。ありきたりにしないのが、たんぽぽさんの和歌/短歌の素養だと僕は思う(「私」で押すのが面倒くさくなってきたw)。「そっけない」と、「過不足ない」の、ぎりぎりの線を作者はお攻めになる。(#・∀・)キー と、俺は思うわけだ。ユキちゃん、もうちょっと、かゆいとこ別なんだけど、あーそこじゃないんだ、そこなんだけど、そこまで来たらもうちょい、あーそこそこ、ちゃうねんで。
「花水木」という(あるいは、きっと、実在なのだろうけれど)、稜線で読ませる字形でしょう。すうっと、削って、流れていく。後に、味わいと、心持ちが残る。
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まさかそこまで一息に進ませるか! 男の読み手は甘いと、つくづく思い知らされました。トホホ でもこれなんだよね。予定調和しない。和歌/短歌でも、俳句でも、月並みを嫌うというのがある。あるいは、書き手のお人柄が(以下自粛)w それがその、ユキちゃんの観察眼、いい意味で傍観者的な人生観、立ち位置と相俟って、読者はどこまで運ばれていってしまうのか、予断を許さない。それでいて、スナックの内装や、常連さんの顔立ち、声色を、想像させるだけに十分な話の運びを持っている。
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速報。いままさに論考を閉じようとして入ってきた。
本当に書きたかった事にまだひと言も触れていないという…(-_-)/スナック花水木④ - w a k u r a b a https://t.co/VcFFZLc9YU
— たんぽぽ (@tanpopo09123) 2018年3月4日
(また、楽しみが増えたw)
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俺は小説も、評論も、諦めないでいてよかった。黄金頭さんにシンパシーを寄せるときと同じようなニュアンスで、たんぽぽさんがメジャー・シーンに出るのには、また別のロジックが要るのだと思う。優れた編集さんがつくとか、小説でも二次選考や佳作をお取りになるとか。
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でね、それだからこそ、急いで書いたんだ。
小説を読む、もうひとつの楽しみというのがあるんだけど、それは何だと思う?
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わい曰く「オープン戦」。
昨年2017年春のオープン戦でタイガースの秋山がべらぼうによかった。評論家も口々に「秋山はいい」「今年の目玉は秋山です」っていってた。
たんぽぽさんは、「来る」よ。私小説は、大変だと思うんだ。運不運や時代(古語で「ときめく」=時の恩寵を受ける)というのが、とりわけ色濃く出る分野。
でも、鍛えられ、選ばれた言葉やストーリーの運び、語り手≒「私」の(エゴイスティックなところは多少あるにしたって。暮らしや将来の不安とないまぜになった、そこが、街に出たての最大の魅力のひとつ)心優しさ、というのは、これは変わらない種類のもの。結局のところ、読者が支持するのはそこです。
今週のお題「ねこ」
くーちゃんが来てくれて、世界が変わりました。その、切り替わった線の上を僕は歩いています。はなちゃんが来てくれたのが、2014年2月21日。よよん君が2ちゃんねるに降り立った日と、ねこの日の間を選びました。
はなちゃんはもちろんかわいいのだけれど、気難しくて(そこもまたかわいい)、もうひとりねこちゃんがいてくれることによって、はなちゃんの気持ちも、僕の精神状態も、もっと落ち着くのではないかと、ふたりめを探しました。そうして出会ったのが、くーちゃんです。
前にも書きました。くーちゃんは、ミルクボランティアさんの家で、ふにゃふにゃと、僕のほうに元気に駆け寄って、そのまま通り過ぎていきました。「はなくろちゃん」と、ミルクボランティアさんは呼んでいました。鼻の頭に少し黒い文様があったからです。だから僕はいまでもくーちゃんのことを「はなくろちゃん」と呼びます。
2015年5月7日(推定)生まれ。1か月半後、6月下旬に、くーちゃんは家に来てくれました。当初、風邪をひかせて、5週間にわたって病院に通ったこともあったね。5か月が過ぎて避妊手術を受けてもらったときには、一日中、くーちゃんの無事を祈って船橋の街を彷徨っていました。
みなさんはご存知ないでしょうけれど僕は日中、しばしばくーちゃんに会いたくなって「くーちゃん😺(´;ω;`)」とつぶやいています。ご存知の方でもまさか本当にはつぶやいていないと思うでしょう。本当につぶやいています。みんなあんな退屈な予算審議によくまあ4時間も5時間もいられるものだと思う。携帯からウェブで追加情報を調べるふりをして僕はくーちゃんの写真を眺めています。会議の結論は(少なくとも僕の中では)出ているので(そしてそう外したことはない)、僕は一刻も早くくーちゃんのお家に帰りたい。帰らないと毎秒ヒットポイントが削られていきます。
くーちゃん😺(´;ω;`)
— nekohanahime (@nekohanahime) 2018年2月26日
家に帰るとくーちゃんは「にゃーん😺」とすりよってきてくれます。かわいい。最高だ。くーちゃん。ちゅきちゅき。ちゅきちゅきすぎる。くーちゃんが嫌がらないようにそっと撫でて抱いてもふもふを吸う。しまったここは増田ではなかった。まあいい。構うものか。
くーちゃんと一緒に暮らすようになってもうすぐ3年。1回、風邪を引かせ、1回、避妊手術を受けてもらい、4回、歩いていた下僕の脚がくーちゃんに当たってびっくりさせてしまった。ロフトから降りる階段の下にクッションが足りなくて大きな音を立てて床に倒れ、病院にお連れしたのが1回。
くーちゃんは、なぜ僕のところに来てくれたのか。僕のことをかわいがってくれたばあさんは生前、常々「こんなにかわいい孫のことなら一生ずっと面倒を見てあげていたい」。くーちゃんが25年生きるとして僕はそのとき70歳の手前だ。ばあさんの夢は孫の代で成し遂げられるだろう。くーちゃんがいなくなったら生きていけない。
くーちゃん😺(´;ω;`)
おれのくーちゃん😺(´;ω;`)
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ZIPPO君が一日もはやく無事に帰ってこれますように。