今日は思いがけなく行ったコメントが想像外のスターを集めたので、口直しの意味でも現代文講座を。
先に記した予定を外れます。
僕がこれまでに紹介、あるいは読んできた、いわゆる論説文の範疇に入りそうな書籍を列挙しておきます。基本的に、新書か文庫です。
「経済人ロビンソン・クルーソウ」これに尽きるのですが(まったく尽きない)、大塚先生の講義はお聞きしたかった。非常にやわらかい、優しい語り口です。前回の記事で黄色い本のほうを紹介してしまったかも知れません。「ロビンソン・クルーソウ」目当てならこちらです。
続きまして福田恆存「老人と海」ちがう、ヘミングウェイ「老人と海」の、その日本人向けとして最良の解説が福田のこの文庫本に寄せた解説です。 それで、福田への批判としてAmazonのコクマルガラスさんの書評もお読みください。福田はある部分、いまから見れば間違っていると思います。いや、批判されるべきです。小川高義/柴田元幸の「乗り越え」は(勝手に僕がそう感じているだけですが)1つの答えかと思います。ただ、すみません。僕は福田訳、福田解説が好きです。それは読者として読書に何を求めるかってことだと思う。おれは読書ってのは間違った恋に、間違いを承知で走ることだと思う。
どっちがいいかなあ。竹田青嗣はつまるところ、自分が「在日」という躓き=問いを前にして、現象学という方法の辿った道筋が、自分を開示することと瓜二つではないかという驚き(それは誤解かもしれないけど)を、その鮮度を失わずに語り続けます。これも、どうだかと思う。ただ、前にも書いたかもしれないのだけれど、竹田は93年頃に『情況』だったかな「何か世界はこれだというものをもし誰かが掴んでしまったとしたら、その人はよほど努力しなければ普通の幸せを得ることは難しい」みたいなことを書いているのね。竹田も言葉が足りていないし、おれも理解が届いていないし誤った受け取り方だと思う。そして重々承知で、おれは竹田の語ったことはやっぱり正しいと思う。ね、id:kikumonagon さんに向けて書いているつもりで、羅針盤がずれちゃってるでしょう。これがおれです。
まあまあ、いい。ほんとうは大塚は「少女民俗学」あるいはあさま山荘ものなんだろうけど、id:kikumonagon さんにはちょっと勧めにくい。ではこの「大学論」ならいいかといえば、ま、大塚は初期の熱情を大人の成熟でずらして書いてるわね。けれど、大学教育の理想というか、この授業は受けたいわけです。筑波大学をもし視野に入れてくれているなら、読んだほうがいいのか、読まないほうがいいのか(意味不明)。
じゃーん。与謝野晶子。与謝野源氏のよさってのはあれは問題が多い。
抄訳だからね。だけど、面白い。それで、源氏は勧めない。代わりに、歌集の本書を。何がいいって馬場あき子のさすがというほかにない解説を読んでほしい。立ち読みで構わない(だめ)。これなんて出されやすい現代文の典型だ。ついうっかり出したくなる。
あと2冊。
これは出題されない。ポエムだから。それでも、僕も前に何度か言及している。これが出されるような大学入試ならいいなと願って。戦後の、僕らの、id:kikumonagon さん、あるいはお父様お母様の、広くいえば同時代の基調はどんなだったか、どんなであるかを、丁寧に、場にそっと出して手を引っ込め、目を閉じるような断章、時評です。20世紀の日本ってこんなだったと、もし関心があれば感じ取っておいてほしい。それは必ず古典の理解を支えるから。
今回の僕のぐだぐだの中で1冊をといったら、大塚先生の「ロビンソン」と、これかなあ(2冊じゃんか)。竹田青嗣の2冊はサービスしすぎたかも。丸谷のことは、あとでも触れます。まるで現代文講座になっていない。羊頭狗肉。看板に偽りあり。