正直と本音の違いを考えるとっかかりの1つは文法です。
- 正直な(人):形容動詞です。
- 本音な(☓):形容動詞のようには活用しません。名詞です。
熟語の成り立ちからもそれぞれの品詞の特徴がよく出ていると思います。
- 正であり直であるような
- 本の音
似た、あるいは同じ意味の漢字を重ねて形容するのはその意味を強める、膨らみをもたせるときのよくあるパターンで、たとえば「堂々たる」なんていうのは典型ですね。
名詞は、まず本体があって(音)、その上にどのような(本)が乗るというのが典型です。音(ね)というのは由緒正しき意味合いではまず「鳴き声」です。人、鳥、虫が、聞く人の心に訴える音をたてる。本というのはなかなかむずかしい概念ですが、原義は、木の根元の太いところです。字形がそうですね。ちなみに「本音」は岩波国語辞典にはありません。江戸中期の語彙かな。近松か何かで見た覚えがあります。
正直は出典は古く僕の手元だけでも沙石集(1280頃成立)。
これでいいかな。仏教説話はたいてい面白くないんだけど、沙石集は書き手の無住道暁が、いろんなことを知って(聞きかじって)話がよれていくというおもしろさがあり、また説話部分も、さらっとしている。
話を戻して、いくつかの比較的古い用例にあたってみたのですが、「正直」はどうも、心持ちや人柄のまっすぐさを形容していたものらしい。岩波国語辞典(P.665)に曰く、
心が正しくまっすぐなこと。うそ・いつわりのないこと。
対してビリー・ジョエルに曰く、
Honesty, is such a lonely word. Everyone is so untrue.しょうーじきー なんて孤独なワードー。だれもが不誠実
ここは、誠実-不誠実の対のように捉えられている。(独自研究です)
He is honest. 彼は正直者だ。
やっぱり、違う気がする。「彼は誠実な人です」こっちかな。
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確認しておきたいのは、正直は、人柄全体を形容する。本音は、それに対し、人柄のへその少し下の太い幹のような部分(エヘン)(オホン)から発せられる、聞き手へのあっぴーる、つまり、
こなああああああああああああああああああゆきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい— り (@fulurili) 2018年1月19日
これなんかいいよねえ。かなりの条件を満たしている。
ただ、借り物では少し足りない。好きな子と付き合って振られてさ、夢みたいな毎日からズンドコベロンチョに落ちる。あれ、ほんとに目の前真っ暗になるから。それで思わず自作の嘆きに音符が乗って何か書いてしまう。「ああああああああああうぉぉぉぉぉぉもうだめぽ」とか。
また、話を戻して、だから、不正直、不誠実な人だって本音は出せる。というか、本音はつい、漏らしてしまうもの。そこを意図的かどうか知らないが、絞り出す、大声でがなりたてた風で論じる人が仮にいたとすれば、それは落選するさ。投票は人柄にするものだから。
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反対に、正直、誠実な人だからって本音を口にするとは限らない。むしろ反対はあり得る。その、堪(こら)えた姿を、これは江戸期あたりからの美学なんだけれど、粋(いき)だねえ、なんて褒めた。そんなわけで、粋(いき)のもともと、粋(すい)までの導線を引いたところで、笑点お開きの時間が来たようでございます。また次回。
(心根がまっすぐ(「正直者」)だからこそ、ありのままの本心、本音を口にするのに慎みがある人だっています。そのような場合、多くは、ある種の諦めを以て天の邪鬼に育つと思うのだけれど、例外的に、きれいなまっすぐのまま大人の入口を迎える人がいます。何だかわけもなく泣けてきた。)