幻冬舎の『ゲーテ』3月号を読んできました。散々迷った挙句、立ち読みだけでなく800円の大枚をはたいてきた。川崎貴子と郷ひろみのために。
いやあ、非道い。まさに非人道的記事(の集積)。昔の秋元康、昔の村上龍は、だめはだめなりに、まだ評価すべきところがあった。
頭と手と筆先が腐っているよね。「ドラマチック・レイン」のあの歌謡曲史上に残る「タメ」はどうしたんだよ。二人は uh レイン。簡単に成功しすぎたのか。
村上龍、なあ。時代がまだめそめそを残していた昭和51(1976)年に「限りなく透明に近いブルー」を出したのはクールだった。後になって分かったことだが、あれは1983、4年くらいの感覚だ。そう父親から聞かされたことを思い出す。それくらい時代に先んじていた。どうしちまったのか。
ふたりとも、書けないなら書かないほうがいい。
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川崎貴子(P.134)はよかった。これで原稿用紙2枚(800文字)くらいだろうか。葛西紀明の、まあ東洋経済刊というところはご愛嬌だが、明るくて、過不足がない。それでいて、言葉遣いの端々から、川崎さんの肉声が聞こえてくる。川崎さんは、どう表現したら、読み手に「うきうき」「熱い」感が伝わるかがちゃんと分かっていらっしゃる。簡単なようでいて、これを軽く、簡単を装って、できる書き手というのは思いの外少ない。林真理子「ルンルン」の趣きである(ちょっと違うな)。
彼女、川崎さんはきっと、意識して、それいながらごくさりげなく自然に、自分(のテンション)を高める方法を確立していらっしゃるのだろう。その感性が、今回の葛西紀明の著書ともうまく調和しているように感じさせてくれた。
40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方
- 作者: 葛西紀明
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郷ひろみのワイン論もよかった。つまるところ、今回の『ゲーテ』でよかったのは、川崎貴子と郷ひろみのエッセイだけだった。
それはこのふたりが、秋元康や村上龍や見城徹や藤田晋や、小山薫堂(85年当時に11PMの放送作家をしていたという点を買って評価はまだいささか保留する)といった男性陣の未成熟(ここ点々打って)とはことなる熟成を重ねてきたからだと思う。
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野暮を承知でだめおしを記せば、川崎貴子のエッセイは、そのような成熟を隠し、放り投げ、ぴょんぴょんと、生に向かうところが最高の持ち味。だから、えーい、書いてしまうぞ、特定の本をあてがって書評を依頼するような企画/担当では、彼女の個性は伸びやかに発揮されないことを僕は懸念する。
もっと、自由に、好きなことを、そう、間もなく訪れる春のように。
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そんなわけで俺は何度でもいう。諸君、川崎貴子の季節だ。
(追伸)のっけから、これだけ秋元たちの悪口を書いておけば、さすがの川崎ねえさんもfbするまい(いや、するのか?w)。優れた感性は、こっそり、秘めやかに、知れ渡ってほしい。春は、「春ですよ。来ましたよ」なんて、決して口にしないのでござる。