夕方の続きだ。惚気でもある。増田でやれってか。
やらん。自分とこでやるのさ。
私は、いまだに、氏神様と、反対方角のほぼ等距離にあったキリスト教幼稚園とに、アイデンティティをチーズのように割かれたままです。日本国民だなんて自分から思ったことはないす。下野国某村の糀屋の倅のはずです。地元の小学校に上がり損ねた。近代への恨みつらみはそこらに発しております。
— nekohanahime (@nekohanahime) 2019年12月27日
おれは、ぼちぼち外大あたりを出て地元に戻って栃銀に入るか、農業短大を出て家業を継いで植木屋になって、初恋の人と結婚する人生がよかった。
ってfbでいったらめぐちゃんは、
その話、100回くらい聞いたわ。
続けて、
でも、素敵ね。
っていってくれるのさ(100回は話していないと思う)。
それで話はこれでは終わらん。
(おれ)君、小説家になる夢はどうしたのよ。ケーキ作ってあげるから、がんばって。
おれは謝る。
(中学の)修学旅行のとき唐突に告白したりして誠に相済まなかったでござる。拙者そのことを生涯の悔いとしております。
(これは50回くらい謝った気がする)そうすると、
悔いって何よ。あのときは、びっくりした。ぜんぜん知らなかったから。
*
「好きになってよかった」という歌があるけれど、地元の学校から切り離されて街中に出て行って(出て行かされて)、間違っていないなかったなって思うのは、彼女、めぐちゃんと出会うことができたから。
そしてこれは彼女には伝えていないのだけれど、後年、藤沢周平の「蝉しぐれ」で、人間関係も舞台装置も重なるところはあれ、大きく異る筋書きではあるのだが、それでも重なる部分はあり、中央を目指し、立身出世を目指し、何だったのかなあと、まだまだ、がんばらないとあかんなあと思うのでありました。
(おれの写真を、ときどき、見ていてくれるらしい。)