illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ひやめし物語の件

山本周五郎のベスト作品は何か。

まず、一般に「樅の木」「さぶ」「赤ひげ」だろうか。もちろん、僕にとっては違うという話をするつもりで引いた。あれこれ考えて考えあぐねて、山際淳司作品と対比することにした。

  • 山際作品では(こうかな?):

 

一般的に

個人的に

1

江夏の21球

たった一人のオリンピック

2

スローカーブを、もう一球

一二月のエンブレム

3

たった一人のオリンピック

異邦人たちの天覧試合

  • 周五郎作品では(こうかな?):

 

一般的に

個人的に

1

樅の木は残った

青べか物語

2

さぶ

ひやめし物語

3

赤ひげ診療譚

赤ひげ診療譚

*

つまり、一般には挙がってこないかもしれない掌篇、しかし、そこに珠玉の味わいがあることをどうしても誰かに話したくなる作品というのが、ある。

「一二月のエンブレム」については、思い入れをこの記事に記した。

dk4130523.hatenablog.com

山際淳司「一二月のエンブレム」と、周五郎作品の中で僕にとって同じ位置づけにあるのが、「ひやめし物語」である。(「艶書」、どうしましょう。)

大炊介始末 (新潮文庫)

大炊介始末 (新潮文庫)

 

「ひやめし物語」は、こいつに入ってる。

8年半前に、なぜだか僕と同じidでいいレビューを残してくれている若者がいる。引用する。

古いものは戦後まもない昭和22年から、昭和33年ごろまでに書かれた「山周武家物」を中心とした短篇集です。平安朝もの一篇「牛」が一風かわった趣向で、彩りをそえています。

さて、山本周五郎作品はどうもどことなく鼻について、というかたは本書の「ひやめし物語」「よじょう」だけでもおすすめします。基調が乾いた明るさだからです。情緒のほうにあまりいかない。

とくに「よじょう」は、そちらのほうにいちどは行くのかな? と思わせておいて、行かない。確かにこれは山本周五郎の転換というか芸域の拡大であるといえると思います。

「ひやめし物語」は、登場人物のおおらかな人柄が読み手の気持ちをきっとほぐしてくれるでしょう。昭和22年4月に発表されたこの作品は、敗戦からまさに立ち直ろうとする当時の読書人たちの感受性に、ある種の慈しみと滋養として働きかけたはずだと、そんなことを思ったりもします。

鼻につくなあ(笑)。ちがうんだよ、事情があるんだ。これ以上踏み込んで書くと、(当時のその若者にとっては)ネタばらしになってしまう(しまった)んだ。

それでも、だったらなおさら、筋書きを知りたい? OK, ちょっと長くて、野暮(親切)なんだけど、買い求める前に落ちを知ってそれから安心して、という方には次をお勧めする。

それで、実は、「ひやめし物語」の異曲が、冒頭、書いていて思わず言葉に詰まった、「艶書」です。very much good ですよ、本作。

艶書

艶書

 

あのね、…、あー、やめとく。いや、あー、あの、周五郎は初期作品というか、若い頃の貧乏暮しを、ずっと、貯めとくんだ。「青べか物語」(1960)でしょう? 「季節のない街」(1962)なんだよね。「樅の木」(1954-58)の後なんだ。これ、ずーっと、藤沢周平史観からすると、不思議に思っていて。

dk4130523.hatenablog.com

周五郎は、初期作品が暗くない。「廣野の落日 」(1920)は読んでないか覚えてないかで分からない。「日本婦道記」は、暗い話じゃないよね。とすると、僕の仮説が誤りで、藤沢周平バイアスがかかっているか、周五郎が天才じゃないか、どちらかだ(んなこたあない)。

*

やめとく。周五郎作品をこれ以上汚したくない。よし、汚れは吾輩が引き受けよう。

周五郎の「美少女一番乗り」ご存じですか。

美少女一番乗り (角川文庫)

美少女一番乗り (角川文庫)

 

これは、非常にいいです。きれいな心の持ち主にしか、タイトルを越えて、読み進め、語ることがむつかしいという。それで唐突に話を戻して、「ひやめし」、最高です。僕は自分の書いた物語で鶴を折るシーンを入れた、そのときのリファレンスの筆頭が、周五郎の「ひやめし」でした。