illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

もは惜しくものも/Yahoo! スポーツ テキスト速報は「も」の濫用をやめてくれないか

アブストラクト

 Yahoo!スポーツ テキスト速報は「も」の濫用をやめてくれないか。意味がなく、想像力の自由な発動を妨げる。もっとも、Yahoo! も悪いがドラマを求める俺たちにもつけ込まれる非はある。これからは淡い言葉遣いのものを好んで読み、球場に足を運ぶようにしよう。むかし式守伊之助が黙って涙を流したとき、中継はそれをただ静かに見守るだけであった。そこに生まれた静寂のドラマを、国民は黙って深く胸に刻んだといわれる。機械の仕業であるならば直してほしい。

 お断り

 タイトルはプロ野球テキスト速報における助詞「も」の使い方についてひとこともの申すという含意である。「のも」とあるが野茂は出てこない。

着眼

 これ、一読して、何かおかしくないか。

 外堀から埋めにいくことにする。

表1:1ゲーム1チーム当たりの凡打数と惜しい当たり数の試算

項目単位/raw値備考
アウト数 27 9イニング 野球規則
三振数 7 6.92 2014年セリーグ記録
凡打数 20  9イニング 27マイナス7
安打数 9 8.94 2014年セリーグ記録
惜しい当たり数 4  9イニング 安打数の半分弱。せいぜい2イニングに1本

※ファールの惜しい当たりは除く。

 表から、惜しい当たり率は凡打に対して20パーセント(4÷20)、したがって中立なテキスト速報を前提にすれば、言葉の使われ方も同様だろうと想像される。例外的に用いられる「も」としては、次のようなものが考えられる。

  • 遠井サードへの強いライナーも長嶋の好守備に阻まれアウト。
  • 高田打った。いい当たり。打球は左に切れて惜しくもファール。

コラム1

 ところがYahoo! のテキスト速報がとんでもないことになっている。ご存じの向きもあろうかと思う。僕もひとめ見るだけで目眩がするので長く目を背けていた。それではなぜいま書いたかといえば僕には懇意にしている知的なお嬢さんがいて彼女と僕の生業の話をしたときに「アナリストです」「(あっ)」とお察しいただいたからである。彼女は僕の本職が早くスポーツライターになることを願ってくれている。かたじけない。一方、それでは男の沽券にかかわるというもの。

調査

表2:2014年10月17日の阪神巨人戦Yahoo! テキスト速報」から阪神の凡打に「も」が使われた事例の集計

イニング凡打数もアウト備考/もなしアウト速報例
1 2 2  
2 3 3  
3 3 2

メッセンジャー

ライトへのファウルフライに倒れる

4 2 2  
5 2 2  
6 1 1  
7 2 1

上本

当てるだけのバッティングでピッチャーゴロ

8 2 2  
9 1 1  
18 16 「も」アウト率88.9%

 なんだこりゃ。まさか「も」なしアウトのほうが1割強の例外とは。Yahoo! テキスト速報によると1試合1チームに16本の惜しまれる打球が飛んだことになる。1回表から下のありさまであり、どこが惜しいのか伝わってこない「も」が連発されている。1イニングに1.8本のいい当たりとそれを阻む好守備。しかもそれが毎回である。ありえない。西岡が杉内の投げる外角のチェンジアップにタイミングが合わずに引っ掛けてセカンドゴロに倒れるのは自然な成り行きである。それに、打者は打つのが、野手は守るのが当たり前なのだから、その点からも何が「も」なのかわからない。

1回表 阪神の攻撃
1:試合開始
2:西岡 外角のチェンジアップを打つもセカンドゴロ 1アウト
3:上本 空振りの三振を喫する 2アウト
4:鳥谷 外角のストレートを打つもレフトフライ 3アウトチェンジ

 見てきたことをありのままに話すぜ。何を言っているのか分からんと思うが俺も何をされたのか分からなかった。恐ろしいものの片鱗を味わったぜ云々…

 調査のお作法上は同じゲームのジャイアンツ、あるいは他のゲーム、リーグ、シリーズについても調べるべきなのだが割愛する。ちなみに同じゲームのジャイアンツのテキスト実況はひと目で同じ状況であることがわかる。他のゲーム、リーグ、シリーズでもまあだいたい同じだ。見ると目眩がして精神衛生上よくないので勘弁してほしい。

 どうせやるなら「上本 バットを振るも三振を喫する 2アウト」「メッセンジャー ライトにフライを放つも捕球される」まで徹底すればいい。

考察

 確か大野晋先生がおっしゃっていたが日本語の助詞「も」は不確定な状況/宙ぶらりんが本義である。付加(too, also)は歴史的には後からの意味。第一義は「そうかも」「かもねかもねそうかもね」(シブがき隊)の「(か)も」、すなわち疑問の「か」の強めである。あるいは「もしもピアノが弾けたなら」の「も」。「僕もそう思う」は付加であると同時に「僕思う」の主体性に留保を付ける。不安/未確定にしておきたいという話者の立場をより強めて表明されるのが「も」である。


「もしもピアノが弾けたなら」 - YouTube

 これを敷衍すれば、プロ野球テキスト速報で「も」を濫用するのは、打球の行方を一瞬でも長く読み手の意識の上で不確定にしておきたいからといえる。なぜそんなことをするのかといえば本質的にドラマはめったに生まれないものだからである。見るスポーツは基本的に面白い瞬間は少なく、退屈のほうが長い。

 Yahoo! や近年のメディア中継はPVや視聴率増のためにドラマを増やそうとせざるを得ない。あるいはドラマを増やせばそれらが増えると信じている節がある。それにはすべての打球にドラマ効果を乗せるのが手っ取り早い。安打は黙っていてもドラマ効果がある。ドラマ効果のある凡打は少ない。逆にいえば素の凡打は多く、ドラマ仕立てにするにはゼロから「も」を乗せるだけでいいから効率的である。

 ここには、いつからか音声の実況中継に絶叫や大げさな抑揚がついてまわるようになったことと共通する文化的な背景があるように思える。ただ、かつて実況ならそのような不快な表現には抗議の電話があった。それに対し、「も」の用法に目くじらを立ててクレームのメールや記事を書く暇人がどれだけいるか。

古典文法質問箱 (角川ソフィア文庫)

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提言

 「も」を濫用するほうが悪いのはいうまでもない。使うときにはなぜそれが惜しいのか明らかな状況で使うべし。

1回表 阪神の攻撃
1:試合開始
2:西岡 外角のチェンジアップを打つ。セカンドゴロ 1アウト
3:上本 空振り三振。2アウト
4:鳥谷 外角のストレートを打つ。レフトフライ 3アウトチェンジ

 これで何が不十分か。むしろ好ましく映る。

一方、いい添えておけば、視聴者や読者にも責任はなきにしもあらず。無意識のうちにドラマを求めすぎる体質になっている/させられている。ドラマなどそうしばしば転がっているものではない。

 冷静に考えてみてほしい。終った打球に「も」でドラマ性をことさらに付与したところでユーザーを引っ張れるのか。僕はそうは思わない。辟易されるのが関の山ではないか。

 読み手の話をすれば、読解力の低下も作用しているのかもしれない。「も」はなくてもいいものだ。過剰は鼻につく。しかしそれは古い感覚で、「も」の強い味付けのほうがいまは好まれているのかもしれない(僕は料理も書物も淡い味付けのほうが好みだが)。

 どうしたらいいだろうか。うーん。

 ことさらに強調しない平易な表現のうちにこそドラマが生まれることを、すぐれた映画や文学作品を通じて、日ごろから静かに身体になじませておくことが効果的かもしれない。

 もちろん、できれば球場に足を運ぶのがいい。Yahoo! テキスト速報を見なければいいのか ━(゚∀゚)━!

コラム2

 …ぼくは、テレビの野球中継に満足しているわけではない。パターン化されたカット割りが多すぎる。日本でテレビ放送が始まったころスポーツ中継の基本形を作りあげたディレクターの一人である後藤達彦さんがある雑誌に「長回し」のカットについて書いていた。かれが民放で相撲中継を担当していたとき、物言いのついた一番があった。行司差しちがえ。判定はくつがえった。そのとき、行事は土俵上で涙ながらに自分の判断の正しさを主張した。そういうこともあったのである。行司の名前は式守伊之助。白いひげで有名だった、あの伊之助さんである。問題の一番は栃錦・北の洋戦。その一番が終わり、土俵をおりて向正面に座った伊之助の表情をディレクターだった後藤さんは撮りつづけたという。じっとカメラを据えたままの長回し。時間にして約三分。動かない映像にもドラマはある。

山際淳司「もっとドラマを『劇場』野球」角川文庫『スタジアムで会おう』P.123


昭和の大相撲 ヒゲの伊之助「涙の抗議」 - YouTube

 志村正順NHKの元アナウンサー)も相撲中継ではずいぶん工夫と練習を重ねた。華やかだが軽い、などといわれた彼の至った境地は「ラジオで伝わるというのはどういうことか」「それには正確さと簡潔さ」であったといわれる。ちなみに、テレビの話に逸れるが、天覧試合を実況したのが志村であった。

 僕の記憶でも、昭和50年代のラジオの野球中継でうまいといわれた人は淡々と「打ちました。ショート掴んだ。一塁送球アウト」と伝え、それでも味があり、十分に聞かせた。

まとめ

 饒舌のドラマの支配からの卒業。そして静寂のドラマへの回帰を。

 追記

 機械の仕業であったか。

志村正順のラジオ・デイズ (新潮文庫)

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