illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ボックスに入り、マウンドに立つこと/1989年ドラフトの2人の選手について

 山際(淳司)さんは取材対象や主題として取り上げた人物のことをまず絶対に悪くいわない。悪くいわないというよりどのような対象でも取材して扱う以上は「やさしく包もうとする」のが基本である。

 山際淳司という人は、まず人のことを悪く言わないんですよ。「人間っていうのは、欠点があっていいんだ。欠点がなければ意味がない」という考えでした。欠点を引っ張り出してつつくのは、「時間の無駄だ」って。相手を、視点をやさしく包むっていうのが、彼にとって居心地がいいんです。
 相手が嫌がることや、聞いてほしくないことは判るんですね。
 (中略)
 「こうしろ」って言わないんだけれど、ヒントを与えてくれて、いつも気持ちをらくにしてくれる人です。

犬塚幸子「山際さん、ありがとう」中公文庫『みんな山が大好きだった』所収P.278-279, 280 

みんな山が大好きだった

みんな山が大好きだった

 

  例えば1960年代の「メガトン・パンチ」青木勝利のことを、彼が戦いに、そして自分に敗れ、引退後に刑法に触れるような行為を働いたことを知った上でなお、青木には青木の輝きがあったことを自分は記しておきたいのだという立場をとる。

 努力しなくても勝てる。それは決して幸せなことではない。
 同じ時期にボクシングをやっていたファイティング原田は酒の一滴、タバコの一服とも無縁だった。誘惑は青木以上にあったかもしれない。それを原田は拒絶した。そうともしなければチャンピオンになれないことを知っていたからだ。ボクシングは、究極的には甘いスポーツではない。
 青木は勝ちながら、崩れていく。

山際淳司「正方形の荒野」角川文庫『彼らの夏、僕らの声』所収P.79

 たしかに青木は破滅型のボクサーだった。六〇年安保の嵐が過ぎ去ったあとの季節に、肉体を平然といたぶりながら正方形の荒野を走り抜けていく青木のうしろ姿に自分の姿を重ねあわせる男たちも少なくなかった。
 その錯覚から、やがて男たちは目ざめていく。高度成長が目の前にぶらさがっていた。目ざめることができなかったのは青木だけだったのかもしれない。

同P.91-92


Masahiko "Fighting" Harada | Katsutoshi Aoki 1/1 ...

 「たった一人のオリンピック」が高校生の現代文の教科書だとしたら「正方形の荒野」はちあきなおみの赤とんぼで味わう昭和の挽歌である。それもとびきり都会派で上質のものだ。未読ならぜひ読んでほしい。『彼らの夏、ぼくらの声』は決して損はさせない名著である。

彼らの夏、ぼくらの声 (角川文庫)
 

 閑話休題

 で、あるからして、山際さんに活字で叱咤される、あるいは「こうしろ」といわれるのは、よほどのことだと思ってほしい。僕の知るところ山際さんが著作でこれを行ったのは生涯で二度半あるのみだ。一度はオフコースの解散劇について(別の機会に記す)。半分はデビュー間もない、さきごろ亡くなった香川伸行に対して。期待を込める筆致をとりつつも人気先行に苦言を呈する、書くほうもこれは難しいだろうなという微妙なスタンスをとっている(「フル出場」講談社文庫『ベースボール・スケッチブック』所収)。

  そして肝心のもう一度は野茂英雄と同年、1989年のドラフトで自分はどうしてもジャイアンツに行きたいと駄々をこねてハワイに逃避したあんちくしょうに対するものだ。

 一年前のドラフト会議のことを思い出す。特に注目されていた選手が二人いた。社会人野球で実績を積んできた速球派の投手と、甲子園のヒーロー。前者は、どのチームに指名されてもプロ入りするつもりだ、といっていた。後者は、好きなチーム、ジャイアンツ以外には行かないといっていた。
 (中略)
 それから一年――二人のあいだには鮮やかすぎるほどの差がついてしまったように見える。
 プロ入りするということは、バッターボックスに入るチャンスを与えられたようなもので、それ以上でも以下でもない。チャンスをいかすことができるか否かは、本人次第。まず、ボックスに立ち、バットを振らなければ結果は出ない。それがプロの世界なのではないかと、この一年をふりかえると、あらためて思えてくるのだ。元木君、早くボックスに入れよ。ユニフォームを着てみなければ「夢」も「挑戦」もはじまりはしないんだよ。

山際淳司「元木君、ボックスに入れよ」角川文庫『スタジアムで会おう』所収P.81

 議論すべきことがいろいろとあるのを承知で3点記す。
 江川卓は例の事件でルールの網を広げすぎた。江川には才能があるからやむなしという論法も認めないではない。が、結果的に才能がさほどでもない選手にまでくぐり穴を用意してしまったことはせめて周囲の大人たちが反省しなければなるまい。俺が讀賣を嫌いなのはほとんどこの点に尽きる。
 よって菅野智之のことも親子(叔父子)鷹の美談でくるんでお茶を濁すのは許されない行為である。山際さんのコメントを聞いてみたい。
 それにしても元木大介のその後のプロ野球人生を見通していたかのような山際さんの書きぶりにはうならされる。元木はボックスには入ったが、プロ野球生活を通じて、それが山際さんのいうような意味ではなかったことは少し目の肥えたファンならだれもが知っている。「くせ者」はプロフェッショナルに対するほめことばとして著しくレベルが低い。 

スタジアムで会おう (角川文庫)

スタジアムで会おう (角川文庫)

 

 (追伸)『スタジアムで会おう』は、山際さんが1990年と91年の折々のスポーツのトピックに見開き2ページ程度の分量でコメントを付けたものを集めて編まれた(当時、朝日新聞系列の媒体に掲載)。彼が理想としたスポーツコメンテーターのあり方というのはひょっとしてこういう姿だったのではないかと思わせる、山際淳司研究者(日本に俺しかいないと思うが)にとって必携の1冊である。どのページを開いてみても鮮やかで読み応えがある。