illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

修士時代の生活設計について

国立旧帝大を前提に書きます。(←これがあかんのやw)

修士課程でかかる病気でいちばん多いのは金欠病です。次が眠り病、さらにその次がうつ病でしょうか。ということは、まずお金を解決すればいい。新卒で、少し給料のいいところ、できれば社風も福利厚生もいいところに入りましょう。もし、後2者を犠牲にするとしたら、給料優先でオールドエコノミーを選びます。理由は後述。

http://toyokeizai.net/articles/-/65752?page=3

松井証券とか、どうでしょう。

4年、辛抱してください。年収420万円くらいですか。(月27.5万円。賞与100万円)手取りが335万円。月27万9千円で暮らします。学部生時代を思ってください。そんなに使わないでしょう? 27.9マイナス(家賃5、食費交際費3、通信費雑費3、光熱費1.5)イコール15.4万円。その7掛けとして10万円は貯金に回せます。年間120万円。4年で480万円。さらにその7掛けでもいいです。336万円。あら不思議。4年働いたら1年分の手取りが手元に残りました。あるいはざっくり賞与は全額貯蓄でもいいです。

当然ですが修士は2年で終えます。年間168万円イコール月14万円で暮らす、研究に打ち込む。ちょっときついかな。先程の(家賃5、食費交際費3、通信費雑費3、光熱費1.5)が12.5万円だから。足りなそうならバイトして下さい。あるいはそこで初めて奨学金を考える。

*

初手でオールドエコノミーを選ぶ理由ですけれども、早起き、挨拶、社内営業、ビジネススキル(Excel等も含む)、理不尽、社内恋愛リスク、英語、いろいろと学べます。いやでも身につくw スーツも揃う。クレジットカードも作れちゃう。そういうのを、23から26までやって、27で母校の修士に入る。同学年は23で世間に出たことが(社会人経験者と比べたら、)ない。パリっとしたスーツで小金も人脈もあって、電話応対も飲み会設定も面従腹背も出来る。リスクは「使える」人材のため便利屋になってしまいかねないことくらい。眠り病も、うつ病も、自然に克服していることでしょう。

*

より大きなリスクとして(上述からは意図的に省きましたが)社会人生活は意外に楽しいので、研究から離れてもいいやと思ってしまわないかということです。また、会社にも、研究員として残る手があります。いえ、会社に属してだって、内地外地の留学はできる。給料も出ます。1年2年、アメリカや欧州や中国でちゃらっと語学をやってレポートするだけで幹部候補生の道が開ける。
*

じゃあ、そこまでいうのなら、なぜその道を選ばなかったかって? 教えませんw ただ、僕のとき、修士で、数歳上の女性研究者の方と同学年になって、彼女が「社会人を数年経験してからM1になるのは断然お勧め」とうきうきと話されていたのが強く印象にあります。僕はそのころ金欠、眠り病、うつ病の三重苦で、それでも何かを掴み取ろうと本郷を彷徨っていました。それがこんにちの糧になっている。

とか書くと、何かそれがお勧めに見えてしまうかもしれない。が、僕が話しているのは文学、人文の話。理系の学生さんは、前述の、社会人を経るコースが断然お勧めです。人文だって、そんな、何もいまの時代に僕みたいな古い手法を採る必要は、まるでありません。この話の深掘は、またいずれ行います。

業務生産性と地頭に関して

ケホケホ 風邪を引いて早退したのである。通院し、検査を受けたがインフルエンザではなかった。午後3時台にブックマークに集中して取り組むというのは平日平時にはなかなかできることではなく、ありがたい。
*
もっとも業務生産性の高いポジション交代とは何であろうか。ケホケホ

989898989かな、ライト-センター-ライト…をイチローと田口あるいは本西でイニングごとに繰り返す。9(ライト)+8(センター)+9(ライト)+…がスコアカードに記載される。合計77ポイント。これは生産性が高い。阪神の葛西遠山葛西はせいぜいが1313131であるからして、12ポイント。チッツ(舌打ち)w
*
高橋博士、だろうなやはり。圧倒的高学歴、博士だし。

1974年9月29日に1試合で全ポジションを守る。消化試合のダブルヘッダーを盛り上げるために、三原脩球団社長の発案で、ファンサービスとして行われたものである。ポジショニングは、一塁手→捕手→三塁手→遊撃手→二塁手左翼手中堅手右翼手→投手の順番で、投手経験は高校時代にかじった程度で初めて同然だったので、投手の野崎恒男をセンターフライに仕留めただけで降板した。

3+2+5+6+4+7+8+9+1=45。あれ、イチロー田口には及ばないか。というのはネタで、イチロー田口の記録は実在しない(高橋の記録45は実在する)。スコアカードに残る記録に関しては、確か戦前戦後の試合でセンター-レフトの1ゲームでの交代事例を、宇佐美徹也が調べて数え上げていた。三原マジック(三原脩)だったかな。後でケホケホが落ち着いたら調べてみる。ケホケホ
*
それでその、地頭のよさということでいえば、ゲイル・ホプキンスが頭一つ抜きん出ていると思わないか、諸君。いや、諸君は別に知らなくていい。(俺は id:kozikokozirou さんに話してるんだ)。ゲイル・ホプキンスといえば1975年にドジャーズ(スじゃなくて発音はズが正しいの)からカープに入団するや33本の本塁打を放ち、その32号が勝利=優勝を決定づける3ラン。10月15日。投手金城、キャッチャー水沼(江夏の21球のときがやはり水沼)、サードコーチャー小躍りする古葉ちゃん。ホプキンスはその後南海に移籍するが、現役時代から医学書と聖書に親しみ、引退後には整形外科医となって、ミッション系の大学で聖書も教えたりする。

史上最高の外国人選手には俺によれば大きく4つあり、スペンサー(青田昇/野村克也説)、バース(圧倒的タイガースファン説)、ケン・モッカ(圧倒的ドラゴンズファン説)、そしてこのホプキンス(圧倒的カープファン説)、もちろん俺はバース説なのだが、ホプキンスとケン・モッカになら首席を譲ってもいい。とりわけモッカは誰からも愛されていた。彼にもまた、82年のドラゴンズ優勝時に示したリーダーシップの逸話がある。

*
id:kash06 さんがコメントをして下さった。

「地頭の良い人」と、そうでない人の本質的な違いはどこにあるか。 | Books&Apps

id:cj3029412 さんの続き)寺社が庄官を派遣して一円領主化を図ると、良いの悪いの言ってられなくなり、ついに本所敵対して悪党との判決が下ってしまうのであります。お互いつらいですね。(主に西国の場合

2018/02/13 15:57

b.hatena.ne.jp

前にも書いたかも知れないが、俺はたまに、棄教は間違いだったのではないかと思うことがある。それはたとえばドラゴンズファンでもあらせられるらしい id:kash06 さんの記すやはらかく丁寧な言葉遣い、それは、俺のくーちゃんのことばを借りれば「やさしいきもちさん」、に触れた心持ちがしたようなときである。俺のくーちゃんにはぜひとも生涯を賭けて本領安堵したい。ケホケホ

はなちゃん

連載は隔週くらいぢや。謎の15時41分に更新する。

dk4130523.hatenablog.com

*

はなちゃん、はなちゃんから、もうそろそろ、辛い外暮らしの記憶が消え去ったころと思う。きょうは間近になっても、びっくりさんのポーズをとらなくなったね。

f:id:cj3029412:20180212163445j:plain

それでも、はなちゃん。

f:id:cj3029412:20150310061436j:plain

おれは、隙あらば、戦う姿勢をみせるはなちゃんのことを、圧倒的に支持するぜ。

はなちゃん\(^o^)/ はなちゃんの暮らしは、おれが保証するからね。

修正稿 「セカンド・オピニオン」第1章(連載)

木枯らしの吹く秋の日のように、ではなく、春の木漏れ日のように、人の生きる意味に思いをめぐらせることはできないだろうか。病める人もそうでない人も、互いに手を伸ばし、いまここで生きていることを確かめあえるような、何かうまい方法はないだろうか。

いまここで病を宿している誰かに対して、「励まし」というオブラートで包みながらその実は「がんばる」ことを意識的にも無意識のうちにも強いてしまうのではなく。

「あんなにかわいそうな人でもがんばっているのだから、健康な自分はなおさら」と、どこかボタンをかけ違えた自分への動機付けをするのでもない、何か別のやり方で。

きっと、あるのだとは思う。けれど、そんな「何か」をたまたま見つけたとして、その手応えをずっと手放さないでいるとなると、これがなかなか難しい。

*

一人の血液内科医がいた。

いまから、15年ほど前のことだ。彼女はそのとき「2ちゃんねる」に降りてきていた。九州の地方都市に生まれ、医大に進み、研修医を経て、医師になった。血液内科医、1980年代半ばのこと。不器用で、人付き合いの苦手な彼女は、せめて医療を架け橋にして「患者さんと友だちになれたら」という願いを抱いた。上京し、目一杯、働き続けた。

連日の4時間睡眠。30歳をわずかに越えたあたりで、彼女は力尽きたようだった。

もともとやせっぽちだった身体が、まるで鶏がらのようになった。ガスの栓をひねり、果物ナイフで手首を引いた彼女に精神科医は「典型的なうつ病です」と告げた。以来、精神安定剤と入眠剤と、「2ちゃんねる」は、彼女のマスト・アイテムになっている。

そんな彼女の目の前に、一人の男の子が降り立った。よよん君、22歳。成人急性リンパ性白血病にかかり、骨髄移植に一度は、成功した。再発して、それでも明るさと優しさを失わなかった。「逃病日記」と題するウェブ・サイトを立ち上げ、ある日、誰かと話をしてみたいと思い立つ。前日に兄から教えられた「2ちゃんねる」のアドレスを目指して、入院先の滋賀県医大病院から、PHSの細い電波をたよりに医療板に、足を踏み入れた。

「医、者、っ、て、さ」と、よよん君は打ち込む。2002年2月20日の、午後3時過ぎのことだった。

医者ってさ、マヌケ多くない? 俺が入院してる病棟にマヌケが多いだけなのかなあ…。なんか『えっ?』と思うような常識が抜けているというか。もちろんしっかりした医者もいますが。とりあえず研修医みてる限りでは命あずけるの不安です。

血液内科医がその日その時、その場に居合わせたのは、ただの偶然にすぎない。

いつものように、午後になってようやく起き出し、テーブルの上に散らばった精神安定剤を少ない水で飲み干すと、PCデスクに腰掛けた。休職していたが、それでも気になるのは専門分野のことである。ブラウザで「2ちゃんねる」を開き、医療板の、煉瓦色と緑色の入り混じった背景を上から下までスクロールする。細かい、目がちかちかするような文字で、「医者ってさ…」。

そのころ、偶々同じようなことを考えていた血液内科医は、虚を衝かれ、思わずクリックした。そうして開いたスレッドは、しかし、期待に反して、男の子に対する心ないお約束の書き込みが優勢を占めていた。

 >1ってさ、マヌケ多くない? 俺が入院してる病棟にマヌケが多いだけなのかなあ…。なんか『えっ?』と思うような常識が抜けているというか。もちろんしっかりした医者もいますが。とりあえずここの1みてる限りでは1の人生不安です。

15時41分に立ち上げられたこのスレッドを、血液内科医が見たのが16時過ぎ。そして、心ない書き込みが15時43分から16時16分まで、断続的に、約30分間。

血液内科医は、その間、男の子の2度めの書き込みを、PCデスクの前で冷え固まりながら待っていた。

16時36分。男の子は心ない書き込みに反論を試みる。

念のためにいっとくが煽りでいってるんじゃないよこれ。 たとえば入院病棟の夕食が6時からなんだけど、6時10分ごろに処置にやってきて「お食事中でしたかー、またきますー」て…。 その研修医もう1年病棟にいるから食事の時間しらんとはいわせんぞ。 IVHのヘパロックで栓を開けずに通そうと5,6分「おかしいなー」と悩む医者とか…。これをマヌケといわずになんという?

>2 俺だっていたくねーよ病院なんて…。こんな病気じゃなけりゃあ。もう1年半だよ入院生活。退院してえ。

16時42分、男の子の書き込みから6分後、血液内科医はプロの仕業と知れないように、しかし男の子にはそれと分かるように、慎重に探りを入れた。

>>8 うん。たしかにそいつらはマヌケだ。どんどん突っ込んでやってくれ。ところで、キミはなんの病気でそんなに長く入院してるの? MGとかの難病系?

17時28分、よよん君はその間に行われた「ネタだろう」という書き込みに返信をする。そしてそこには、血液内科医がよもやの予感に襲われ、しかし尋ねるのがためらわれた情報が、記されていた。

ネタならどんなにいいか。ネタであってほしいぞ。

病名ALL急性リンパ系白血病成人

発病率10万人に1人だ。

骨髄移植をして5年生存率がもっともよくて60%かな。どう?ちなみに移植したが再発した。ただただ病院のベッドの上で生きてるだけって状態でもある。

17時46分、ハンドル名「血液グループ」を名乗る謎の人物が突如として現れる。直前のよよん君の書き込みから、18分。

DLT(donor lymphocyte transfusion)と言う手もある。血縁か?バンクか? 骨髄移植か? 末梢血幹細胞移植か? まさか自己移植じゃないよね。あきらめるな! 研修医なんか無視してよろし。ストレス溜めると、免疫力に宜しくない。看護婦さんか上のセンセにぶちまけちゃえっ!! 応援してるぞ!!

男の子の最初の書き込みからここまで、約2時間。勝負は実質的に、この時点で決まっていたようなものだった。

私の患者。放っておくわけにはいかない。

後にぼくのインタビューに応じてくれる中で、このとき、なぜかそう思ったのだと、彼女は話してくれた。繰り返しいえば、その場所は医療施設ではなく「2ちゃんねる」である。

それから夜、21時過ぎにかけて、謎の医療従事者たちが、ちらほらと釣り針にかかる。

「血液グループ」を名乗る人物が次に同じスレッドに現れるのが、翌2月21日の18時過ぎ。彼女はその間、ほこりをかぶった医学大辞典を手元に寄せ、男の子の書き込みを丹念に読み解き、メモを採っていた。

すべては、そこから始まったわけだった。

(引用時、元の書き込みの改行や、一部の記号を変えている箇所があります。)

これから、アスパラガスをします

最近、といっても、ここ10日間ほどですが、タジン鍋に病みつきになっています。

適当に野菜を切って、ごく少量の水、酒、塩コショウ、だし、お好みでトマトソース、下から水分の多い大根(イチョウ)、玉ねぎ、しいたけ、鶏肉、豆腐(手でばらすので十分)、青でも白でもねぎ、醤油をぱらっと、蓋をしてまず強火、沸騰したら弱火で20分。これでだいたい何でもいけます。一番のおすすめは、サツマイモです。

f:id:cj3029412:20180204150330j:plain

水はほとんどいらない。少し焦がすくらいの覚悟で、実際、加熱して、微妙に焦げくさい、何ともいえないたまらない匂いが漂ってきたところで、あーやっちまったよぽりぽり、とかいいながら重曹で焦げをとることを思いつつ、弱火に。だめ押しの待ちの数分には、狙って卵を割り入れましょう。

f:id:cj3029412:20180204144347j:plain

土井善晴先生のお父様、土井勝大先生の、職業人としての料理の源は、「海軍式無水調理法」にあると何かで読みました。使える水が限られている。食事は海兵さんのとって最大の楽しみのひとつといっていい。そこで土鍋、無水、素材のおいしさを引き出す調理法、という方法が出てくる。

日本料理の基礎 (NHKきょうの料理)

日本料理の基礎 (NHKきょうの料理)

 

(本書、うちにもあったぜ。) 

野菜の濃い、旨味を久しぶりに味わった気がしています。ばあさんに、「おいしいのができたよ」と、自慢してやりたかった。いまなら、肩を並べるまではいかなくても、喜んでくれた気がします。ばあさんのことだからきっと、同じ道具立てでも、俺より数段うまい調理法を編み出していただろうけれど。どんな道具を使っても、敵う気がしない。

そんなわけで、これから、アスパラガスをします。庭に生えてるのじゃなくて、シャポー(2月9日リニューアルオープン!)で買ったものだけれどね。

f:id:cj3029412:20180210090524g:plain

trafficnews.jp

追悼 石牟礼道子

石牟礼道子が亡くなった。

彼女の来歴は水俣病を告発したというだけでなく詩人、文学者、活動家の軌跡として非常に興味深い。

もちろん「苦海浄土」を、そして有吉佐和子「複合汚染」へと進む読み方をお勧めしたいが、大変によくまとまった、これは受信料を払ってもいいのではないかというドキュメンタリーを見たので紹介したい。


日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子

よく、考えてみてほしい。

私たちはコンクリの上を歩くことが当たり前になっている。

昭和50年過ぎ、わが家の実家前は砂利道で、路地に入ると未舗装(これがおかしい日本語だ。舗装=正とは限らない)の砂利や土の道がぽつぽつと残っていた。

なぜ、土を踏みしめるために街を出て山や川や海を目指さなければならないのか。そう、で、なければ、ならなくなった、のはいつからだろうか。25年前にも同じことを思い、思想的に未解決のままこんにちに至り、そうした予感の前に、僕は官僚の道に進むのを諦めたことを思い出す。

*

石牟礼道子については、見田宗介との絡みで一度二度、記したことがある。

dk4130523.hatenablog.com

ちなみに、僕が菅直人をつくづく馬鹿で救いようがないと思うのは、石牟礼道子市川房枝有吉佐和子らへの接し方である。お遍路さんで大地が救われるわけがない。なら、裏日本の恨みを携えて日本列島を改造せんとする田中角栄なら正当化されるのか?

分からない。

*

考える代わりに―考えることはもう、やめたのだ―僕が黄金頭さんの「わいせつ石こうの村」を紐解いてみようと思うのは、たとえば、そのような時である。

kakuyomu.jp

彼とおまんは、ひたひたと、ずったらずったらと、海辺の、山の奥の、道を静かに歩いている。

d.hatena.ne.jp

して、2013年正月のことである。おれは祖母の遺品から俳句の本を漁っていた。タイトルのないファイルを見つける。開いてみると、チッソ水俣病発生前と発生後の取引先銀行とその融資額の変遷をまとめた手書きの資料のコピーである。ばか丁寧に書かれた字を見て「これが祖父の字か」と思う。が、一部分だけ閉じられていたものであって、そうと確信する材料はなかった。ただ、ほかに祖父の仕事に関するものなど何一つない。なにを思って祖父はこれを残したのか。おれにはよくわからない。おれはファイルを元に戻した。写真の一枚も撮らなかった。もしもあの部屋のものを処分するときは、その前におれを呼ぶように言ってある。そのときまた考えてみようかと思う。

黄金頭「『苦海浄土』を読む。そしておれは語りだす。」

訂正、しなければならない。僕は黄金頭さんのことを本格の文筆家と以前に記したことがある。彼は本質的な倫理、ないしはその思想家の資質をも失わずにいる。

*

渡辺京二石牟礼道子のことを書いている。

道子の創造した作品は、これまでの日本近代文学になかった独特の構造と味わいをもった文学である。しかしそれだけではない。最近石牟礼道子研究に専念している熊本大学教授岩岡中正は、道子の文学の文明論的な意義について、「近代の認識論やひろく近代知によって失われた全体性、複雑性、関係性、多様性、内発性」を回復しようとするのが石牟礼文学の志向であり、それはまさに彼女における「脱近代の知の創出を示すもの」だと述べている。

渡辺京二熊本市在住)が迸っている。合掌。

よばひ星について

野暮をやろう!

 この人の感性はやっぱりすごい。

 「よばひ星」と、清少納言がなぜ尾っぽがないほうがかわいいと記しているか。

それは、夜這ひ星だから。妻問い、求婚のことです。

で、「流れ星」が一般的な解釈なのだけれど、これは流星ではなく彗星ではないかという説もあります。これ、989年9月に来たハレー彗星かな。何となく、清少納言の書きぶりからしてそんな気がする。しっかり観察して風刺を効かせている雰囲気があります。とすると、「彗星は少しかわいい。尾を引いていないほうがよかった」くらいかな。

清少納言は文章からも感じられるとおり、尾を引かないのが好み。

彗星、特にその尾は、異性(女性)を求めて夜をさまよう人魂を連想させませんか。

古語「だに」は「せめて」「~すら」くらいの強意です。「まいて」は一層。「尾がだめ。なければかわいさ増量だったのに」くらい。うーん、ニュアンスが出にくい。