illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

修正稿 「セカンド・オピニオン」第1章(連載)

木枯らしの吹く秋の日のように、ではなく、春の木漏れ日のように、人の生きる意味に思いをめぐらせることはできないだろうか。病める人もそうでない人も、互いに手を伸ばし、いまここで生きていることを確かめあえるような、何かうまい方法はないだろうか。

いまここで病を宿している誰かに対して、「励まし」というオブラートで包みながらその実は「がんばる」ことを意識的にも無意識のうちにも強いてしまうのではなく。

「あんなにかわいそうな人でもがんばっているのだから、健康な自分はなおさら」と、どこかボタンをかけ違えた自分への動機付けをするのでもない、何か別のやり方で。

きっと、あるのだとは思う。けれど、そんな「何か」をたまたま見つけたとして、その手応えをずっと手放さないでいるとなると、これがなかなか難しい。

*

一人の血液内科医がいた。

いまから、15年ほど前のことだ。彼女はそのとき「2ちゃんねる」に降りてきていた。九州の地方都市に生まれ、医大に進み、研修医を経て、医師になった。血液内科医、1980年代半ばのこと。不器用で、人付き合いの苦手な彼女は、せめて医療を架け橋にして「患者さんと友だちになれたら」という願いを抱いた。上京し、目一杯、働き続けた。

連日の4時間睡眠。30歳をわずかに越えたあたりで、彼女は力尽きたようだった。

もともとやせっぽちだった身体が、まるで鶏がらのようになった。ガスの栓をひねり、果物ナイフで手首を引いた彼女に精神科医は「典型的なうつ病です」と告げた。以来、精神安定剤と入眠剤と、「2ちゃんねる」は、彼女のマスト・アイテムになっている。

そんな彼女の目の前に、一人の男の子が降り立った。よよん君、22歳。成人急性リンパ性白血病にかかり、骨髄移植に一度は、成功した。再発して、それでも明るさと優しさを失わなかった。「逃病日記」と題するウェブ・サイトを立ち上げ、ある日、誰かと話をしてみたいと思い立つ。前日に兄から教えられた「2ちゃんねる」のアドレスを目指して、入院先の滋賀県医大病院から、PHSの細い電波をたよりに医療板に、足を踏み入れた。

「医、者、っ、て、さ」と、よよん君は打ち込む。2002年2月20日の、午後3時過ぎのことだった。

医者ってさ、マヌケ多くない? 俺が入院してる病棟にマヌケが多いだけなのかなあ…。なんか『えっ?』と思うような常識が抜けているというか。もちろんしっかりした医者もいますが。とりあえず研修医みてる限りでは命あずけるの不安です。

血液内科医がその日その時、その場に居合わせたのは、ただの偶然にすぎない。

いつものように、午後になってようやく起き出し、テーブルの上に散らばった精神安定剤を少ない水で飲み干すと、PCデスクに腰掛けた。休職していたが、それでも気になるのは専門分野のことである。ブラウザで「2ちゃんねる」を開き、医療板の、煉瓦色と緑色の入り混じった背景を上から下までスクロールする。細かい、目がちかちかするような文字で、「医者ってさ…」。

そのころ、偶々同じようなことを考えていた血液内科医は、虚を衝かれ、思わずクリックした。そうして開いたスレッドは、しかし、期待に反して、男の子に対する心ないお約束の書き込みが優勢を占めていた。

 >1ってさ、マヌケ多くない? 俺が入院してる病棟にマヌケが多いだけなのかなあ…。なんか『えっ?』と思うような常識が抜けているというか。もちろんしっかりした医者もいますが。とりあえずここの1みてる限りでは1の人生不安です。

15時41分に立ち上げられたこのスレッドを、血液内科医が見たのが16時過ぎ。そして、心ない書き込みが15時43分から16時16分まで、断続的に、約30分間。

血液内科医は、その間、男の子の2度めの書き込みを、PCデスクの前で冷え固まりながら待っていた。

16時36分。男の子は心ない書き込みに反論を試みる。

念のためにいっとくが煽りでいってるんじゃないよこれ。 たとえば入院病棟の夕食が6時からなんだけど、6時10分ごろに処置にやってきて「お食事中でしたかー、またきますー」て…。 その研修医もう1年病棟にいるから食事の時間しらんとはいわせんぞ。 IVHのヘパロックで栓を開けずに通そうと5,6分「おかしいなー」と悩む医者とか…。これをマヌケといわずになんという?

>2 俺だっていたくねーよ病院なんて…。こんな病気じゃなけりゃあ。もう1年半だよ入院生活。退院してえ。

16時42分、男の子の書き込みから6分後、血液内科医はプロの仕業と知れないように、しかし男の子にはそれと分かるように、慎重に探りを入れた。

>>8 うん。たしかにそいつらはマヌケだ。どんどん突っ込んでやってくれ。ところで、キミはなんの病気でそんなに長く入院してるの? MGとかの難病系?

17時28分、よよん君はその間に行われた「ネタだろう」という書き込みに返信をする。そしてそこには、血液内科医がよもやの予感に襲われ、しかし尋ねるのがためらわれた情報が、記されていた。

ネタならどんなにいいか。ネタであってほしいぞ。

病名ALL急性リンパ系白血病成人

発病率10万人に1人だ。

骨髄移植をして5年生存率がもっともよくて60%かな。どう?ちなみに移植したが再発した。ただただ病院のベッドの上で生きてるだけって状態でもある。

17時46分、ハンドル名「血液グループ」を名乗る謎の人物が突如として現れる。直前のよよん君の書き込みから、18分。

DLT(donor lymphocyte transfusion)と言う手もある。血縁か?バンクか? 骨髄移植か? 末梢血幹細胞移植か? まさか自己移植じゃないよね。あきらめるな! 研修医なんか無視してよろし。ストレス溜めると、免疫力に宜しくない。看護婦さんか上のセンセにぶちまけちゃえっ!! 応援してるぞ!!

男の子の最初の書き込みからここまで、約2時間。勝負は実質的に、この時点で決まっていたようなものだった。

私の患者。放っておくわけにはいかない。

後にぼくのインタビューに応じてくれる中で、このとき、なぜかそう思ったのだと、彼女は話してくれた。繰り返しいえば、その場所は医療施設ではなく「2ちゃんねる」である。

それから夜、21時過ぎにかけて、謎の医療従事者たちが、ちらほらと釣り針にかかる。

「血液グループ」を名乗る人物が次に同じスレッドに現れるのが、翌2月21日の18時過ぎ。彼女はその間、ほこりをかぶった医学大辞典を手元に寄せ、男の子の書き込みを丹念に読み解き、メモを採っていた。

すべては、そこから始まったわけだった。

(引用時、元の書き込みの改行や、一部の記号を変えている箇所があります。)