読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

わかりはじめたマーイレボリューション(いまだにわからない)

お題「アイデンティティを規定している楽曲」

たまには、ひとり語りではなく、お題を。

アイデンティティを問い直すことって、あるじゃん。大人になったって。どこまで掘り下げて、どこを自分の出発点にしますか。僕は渡辺美里My Revolution」です。

Lovin’You

Lovin’You

 

発売日91年7月になってるけど実際はそんなことなくて、86年の7月です。おれ(13)が初めて小遣いで買ったCDだからね。忘れるわきゃない。小室には基本的に「一生Get wild and toughやってろ」以外の感想をもたないが、これ(My Revolution)だけはだめだね。否定のしようがない。ていうか川村真澄か。川村真澄ったらクボジャーやね。

www.utamap.com

無条件で正しいんじゃないか。これ聞いて岡崎京子方面にいくやつはきっと行く。おれは行ったさ。

*

で、10年が過ぎる。唐突なんだけど。

www.youtube.com

夢なんて成就しないじゃん? つらいよねえ。おれ(23)。夢のとば口だったけどさ。夢がかなわない予感はそりゃしたよ。でも好きだったんだよ。わるかったな。だれが? 何が? 結果、半端な夢のひとかけらが好きな人を傷つけていくことを知るのもこのころ(2001年:おれ28。初夏に離婚届を練馬区役所に出した)なわけで。

www.kasi-time.com

さらに10年たって震災で、地震前のいつだったかな、スポーツクラブで(あそこは倒壊したから震災前だな)Salyuと桜井を聞いて「けっうそくせー」とひたすら泳いでいた。震災後にも、いっとき、「こだまでしょうか」と同じ時期に商店街でかかってた記憶がある。

www.youtube.com

*

どこに行くんだろうね。悲しみを、自分ひとりで癒しながら、たやすく泣かないで、明日を変えたいと思ってはいるんだけど。

*

そんなわけで、楽曲にのせて、増田のみなさんも、そうでないみなさんも、これは自分の半生を規定しているなあという楽曲があれば教えてください。よろひくおねかいします。

www.kasi-time.com

渡辺美里 跳べ模型ヒコーキ by pom - ニコニコ動画

かしこ(おっさんだけどな)

ぼくのかんがえるさいきょうの記念館

少し前に読んだ。

www.sankei.com

あたまおかしい。ムース(ノム)なんて、もともと(ここ点々うって)どうだっていい。松井も別に。野球関連は、野球殿堂博物館と、甲子園歴史博物館、津田恒美以外にはいらない。

野球以外では、ミッフィーミュージアムid:nenesan0102 さんが教えてくれた)があればいい。お酒は温めのくコ:彡でいい。いろんな思念が交わるのはおれのわるい癖だ。いい癖だという人もいる。

いちど、お嬢と行くのである。先日約束をした。

*

きょう話したいのはそれとは少し別のこと。id:netcraft3 行ってこい。という話である。円谷幸吉記念館。

ここじゃねえ。こっちだ。ちゃんと断っておかねえと野郎すぐに手を抜いて女の尻を追いはじめるからな。馬喰め。(宮本常一土佐源氏」)

相馬ならこれでだいたいどこかわかるだろ。おれはわかった。

*

おれが円谷幸吉を知ったのは1年3組時代(奥付の余白にそう手書きしてある)に読んだ「敗れざる者たち」(沢木耕太郎)である。「長距離ランナーの遺書」。めんどくさいので端折って話すがアラン・シリトー「長距離走者の孤独」のタイトルパクリである。くっそー。なんでここから話さなきゃならんのだ。しょうがないのでついでにいうが「遥かなるセントラル・パーク」はこれ(沢木じゃないほう)へのトリビュートな。あれ? ちがう?

遥かなるセントラルパーク 上 (文春文庫)

遥かなるセントラルパーク 上 (文春文庫)

 

マクナブは実にいい仕事をした。めちゃくちゃおもしろいよ、これ。なんというか、アメリカ文学の底の浅さがいいほうに作用している。ハリウッド向きだ。駅伝なんてやめちまえ。中長距離はおっさんが皮肉と屈折を背負って走るもんだよ。

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

 

で、これ。シリトーはいい仕事をした。薄っちくてぱっと見つまらなそうな(コスパの悪そうな)本なんだけど、訳が円熟しつつある丸谷才一なんだ。うまいぜ。「怒れる若者たち」とかいう前にシリトーはこっち。自分探しとか、既存社会への若者の反発、とかじゃなくてね。だれしも一生に一時期はあるものだと思うんだけど、旬でしか発せないフレーズ、短編ってある。それがこれだ。その瑞々しいところの乾いた方面へのてんこ盛り。(乾いたって断ったのは、この先で話す沢木の短編が若干じめっとした話だからそれへの配慮伏線。)近代イギリス(中産階級の怒り(# ゚Д゚))史は、これ(シリトー)と、ビュフォードの「フーリガン戦記」を読んどきゃいいんじゃないの。

フーリガン戦記

フーリガン戦記

 

なかなか本題に入れないな…。えい。

*

いくよ。

円谷という姓は須賀川近辺ではさほど珍しくない。「つむらや」と濁らないで発音する。円谷幸吉の父である幸七は、明治32年に生まれている。祖父は幸左衛門、幸七はその七男だった。百姓は兄にまかせ、宇都宮に出て運送会社の荷役になった。昭和初年にミツと結婚した。ミツは明治35年に生まれ、鬼怒川沿いの小さな村で育った。実家は干瓢などを作る、やはり農家だった。

≪水穂村というんだ。町から二里半も離れてるでしょ、年中おいはぎがいてね、そういう所ですよ。それにしても縁ちゃ怖ろしいもんだ≫

沢木耕太郎「長距離ランナーの遺書」(文春文庫『敗れざる者たち』P.106)

現在の栃木県宇都宮市瑞穂。日光連山の奥のほうにある鬼怒沼を源流とする鬼怒川の右岸。左岸は桑島という。もとは水穂といい、市制施行のあたりで瑞穂野(みずほの)に改められた。と、聞いた。読んで字のごとし市内有数の米どころ。干瓢はいまだってとれる。

その少し上流、辰街道と昔はよばれた県道なんちゃら号線をいったところにおれの母方の本家があり、大正12年に生まれたおれのばあさんと、明治30年頃に生まれたその母親(おれは会ったことがない。仏様のような人だったそうだ。悔やまれる)は水穂村と交易を行っていた。まあ要するに「円谷」といえば、「ああそういえばあの辺りにお嫁にいった人があると聞いたことがある。おいはぎ? 物騒なところで、街から10キロ近くも離れてるでしょう。灯りがない。通っていい道と、そうでない道があったのよ」と昭和60年当時にばあさんはおれに話してくれた。そいでおれは長じて大学生のころ(1993-4)に旧瑞穂村に取材に出て聞き込みと墓場をめぐって円谷姓を探したのだが首尾よく見つけることはできなかった。いるわけがない。みんな首をかしげていた。ミツさんの生まれは別の姓だろう。不審者かおれは。

栃木県道158号下岡本上三川線 - Wikipedia

円谷幸吉は昭和15年に生まれている。須賀川の生まれだから、1930年ごろのどこかで、ミツさんはばあさんとすれ違うようにして福島須賀川に移ったわけだ。

*

64年に、円谷は、東京五輪に出て、走った。(ここは話さねえからな。)

円谷幸吉 - Wikipedia

「おいしゅうございました」の話も、しねえ。そこじゃない。韓国系まとめサイトに決して引かれない、Google検索で中位をたゆたい続ける書き方をおれはするのだ。したい。きっと何かあるはずだ。

*

再び、いくよ。

円谷幸吉の両親は、彼の死後、普通の民家を改造して作った「円谷幸吉記念館」に寝起きするようになった。彼の子供たちが、せめて末子の幸吉の思い出の中に、余生を送らせてあげたいと願ったのだ。

さほど広くない空間に、長距離ランナー円谷幸吉のさまざまな遺品が陳列されている。遺影、表彰状、メダル、ランニング用シャツ、パンツ、シューズ、自衛隊制服、オリンピック出場時のゼッケン77、そして遺書。

幸七はこの部屋の日だまりで、日向ぼっこをしながら浪曲を聴くのが好きだったという。煙草をふかしながら浪曲円谷幸吉物語』を何度もかけていた。

前掲書P.140

This is 記念館。川端も三島も、「おいしゅうございました」を評価したらしいが、ことこの点に関しては、おれは沢木の取材の肩をもつ。

というわけで id:netcraft3 には、こないだモツをつつきながら、おれが「行ってこい」といった理由が伝わったとおもう。

www.youtube.com

ベイジル・ヒートリー - Wikipedia

いま知った。円谷を抜き去った銀メダルのヒートリー(英国)は、2014年10月に須賀川を訪れている。そうだろう。それ以外にあり得ない。よくぞ来てくれた。ヒートリーありがとう。凡百のスポーツノンフィクションが通り過ぎたとしても、おれはこのことを決して忘れない。

個の悲しみをどうすりゃいいの

id:nenesan0102 さんが記事を書いていらっしゃいます。そしてそれにさまざまなコメントが寄せられています。

nenesan0102.hatenablog.com

せっかくなので、私はできることならみなさんとちがった角度からコメントをしたいと思います。私が引かれたのはこのフレーズです。

私が子どものころは「発達障害」という概念そのものがありませんでした。

だから、私も社会でやっていけなくなるまで、まったく自分のことを健常者だと信じてうたがいませんでした。

たいへん失礼ながら、何かのエントリーかブコメid:nenesan0102 さんが世代論やお生まれの時期について少々、言及し、おそらく私(1973-)よりも少し下の年代の方とお見受けし、勝手な親近感をもった覚えがあります。

dk4130523.hatenablog.com

たしかこのときです。

以来、id:nenesan0102 さんのことをそこかしこのブコメでお見掛けし、今回の記事では書いていらっしゃらない、家庭環境、お父様のことなど、ちらちらと、興味深く拝見していました。何を隠そう私も学者(漢学者)の家系と共産主義者のハイブリッドであります。三人兄弟、男男男の長男。

しんどいでっせ(笑)。「自殺はつねに省察の中心にある」といったのは確か晩年の中上健次だったと思いますが、野郎は46歳でがんでくたばった。私がもうじき44になりますので晩年です。漱石49、山際淳司47、そうしてみると私もなかなかがんばったクチかもしれません。

吾輩めちゃくちゃ働きますし、金も稼がなきゃいけないですし、スカウトだってきます。それと、当人の生き難さは、ベクトルと重みがまるで別です。吾輩はねこちゃんと、お嬢(と呼んでいる、別れた妻の姪で15年来の親友)と、ここ、はてなでことばを交わすようになった何人かの方以外には、いまでもうまく心を開いたり、気持ちを察したりということができません。

思春期を迎えてからこのかた30年、「私が子どものころは『発達障害』という概念そのものがありませんでした」という時代に、しょうがないので加藤諦三岸田秀といったあほんだらたちを手掛かりに、自分の精神を自分で切開しながら戦わなければならなかった記憶が鮮明にあります。

*

きょうお話ししたいのは、本質的には1点だけです。

私は発達障害の何たるかを知らない。ゆえに発達障害ということばは用いない。自家薬籠中にする気などはなからさらさらない。興味もない。一緒にしないでくれと思う。これはid:nenesan0102 さんにいっているのではありません。俺の病は俺の病なんです。時に残月光冷ややかに…(中島敦山月記」)。中島もまた個の疾病に苦しんで、中国古典とそこから得た虎というメタファーによって、おそらく、己(おのれ)の病をぐっと胸の片隅に押しやることができた。

漱石は「坊ちゃん」「私の個人主義」。芥川は「羅生門」「蜘蛛の糸」「漱石先生」あたりで糸口を得るには得たが持ちこたえることができなかった。

彼らはいずれも発達障害なんていうことばは使っていません。だから使うなというのではなく、使ったところで癒すことのできない悲しみに、忠実、誠実だったのだと思います。あるときは、わが個人史上のエピソードをそのまま(に近く)、あるときは別の何かに仮託して、なんていうんでしたっけ、こういう療法。現代の精神医学以前に、物語/ものを語ることによって何とか癒そうという切実さが、ある/あったのだと思うんです。

*

たいへん僭越ないい方ですが、id:nenesan0102 さんは、なんとなく、記事やコメントでのおっしゃり方が、個の悲しみを、少しずつ少しずつ、対象化して、ぽろぽろと場に投げて示す機会が(私が袖振り合った範囲ですが)増えてきたように感じます。私も、しばしば同じ手法を用います。これは、きっと、いい傾向ですよね。

*

ですから、今回、いろんなコメントが付き、中には不本意なもの、id:nenesan0102 さんの悲しみを増幅させる方向に機能したものもあるかとお見受けします。が、それでも、めげずに、小出し小出しに、悲しみを舞台装置や物語としてパッケージングできたところから、できれば発信を続けてほしいと思います。

借り物のことばや概念では掬えない個の悲しみをそのままに掘り下げる先にこそ、私たちの救いはあるのではないでしょうか。そして、恐れずに踏み込めば、そのようにして、つるはしを振る姿に勇気づけられてくれる増田が、きっといると思うのです。


大迷惑 UNICORN

ね、よよん君。

dk4130523.hatenablog.com

(追伸)id:nenesan0102 さん、よろしければ、いちど、よよん君のお墓参り、ご一緒しませんか。今出川駅から、まあ、徒歩圏内です。

www.nekodera.net

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

 

 

(私信)みつかってしまった

今週のお題「卒業」

前略

古へより、悪事千里を走り、天網恢恢疎にして漏らさずとはまさにこのことと言へり。

先だって当方よりご連絡を差し上げておきながら、体調不良、実家の諸般の事情、私自身の転居などございまして、達筆を頂戴しておきながら無精をしていた、91年卒、その直後に某駒場キャンパスというところに引っかかった不肖Xにございます。その節のご無礼をお詫び申し上げます。どうぞ拙文をもってお許しください。

*

ときに、私の卒業時にはすでに先生は確か―その前年か前々年に―内地留学として大学に戻られていました。受験を前にして何たる非道な仕打ちと心ある弟子たちはぶーぶー文句を口にしておりました。

しかしながら、こうして呼び止めていただけて私はうれしさで一杯です。そうして、悪事千里を走るのほかにしみじみと思い至ったことがございます。

*

先生はお忘れかもしれません。先般の失礼のお詫びに2つエピソードをお披露目いたします。88年か89年に先生は次のようにおっしゃいました。

「君たちは偉くなる人です。そうなると、仕事やおねえちゃんに夢中になり、僕や古典のことなんて忘れてしまうでしょう。でも、だれか一人でも、ああ、あのとき、石塚というおもしろい先生がいて日本の心を一生懸命におしゃべりしていたなあと思い出してくれれば、私はそれでいいとすら思います」

「(おれ)君、はい、ちゃらちゃらしてよそみをしていないで人の話を聞く…勉強という意味ではせっかく選ばれた人たちなんだから、ちょっとがんばって、いい大学を目指したらどうですか。男子一生、せめて学歴くらいは、東大、京大、それくらいの志を持たなければいけません」

単純な俺はこれを真に受けて勉強したのです。

もうひとつ覚えています。

「(弱起)たらたりと、たりたるたれたれ」

いえ、石塚先生に習った古文の知識と(名人)芸は、実のところそのほとんどを四半世紀(なんと…さほどに経ってしまったのですね)ずっと忘れずにおります。私自身、塾講師や予備校講師として、なんど実践で披露させていただいたことか。いまでも、品詞分解は、工夫を重ね、まったく関係のない仕事をしている身でありながら、受験当時の水準を保っています(たぶん)。薫陶の賜物であります。

ちなみに、大人になってからの愛読書の1つは、大野晋さんの岩波古語辞典です。

*

それにしても、古文を覚えているなんて、何のためなのでしょうね。

::: 石塚修 Ishizuka Osamu ::: 筑波大学 人文社会科学研究科 文芸・言語専攻 教授

先生も、触れていらっしゃいます。

一方、ここで引かれた生徒さんたちの感想のことばは、心からのものではあると思いますが、やむないことではありますが、公のことばですね。先生ご自身のことばも、授業(ライブ)を知っている僕たちからすると、ややよそ行きに感じます。(みなさん、石塚先生の授業は、これに躍動感と歯切れのよさが加わって、もっとずっとおもしろくなるんだよ。追記:しかも板書で達筆です)

古来、男性は漢語を中心に公の言葉を語り記すことが強いられてきました。やまとことば、かなは、女(房)たちが担い、受け継いだ。(男性のブログに天下国家や社会問題や決意表明が多いのはその延長上にあるからです。僕がその類をしないのはこのことへの反発もあります。)

でも、僕ら男性陣だって、ふっと、心情を吐露したい気分になることがあります。そういうときに、僕の脳裏には、万葉集(そういえば、先生は春の初回の授業の自己紹介のときに「ま'んに'ようしゅう」と発音されましたね)や、古今や、新古今が浮かびます。あるいは一葉(樋口)を好んでいた、亡くした母親のことです。

ここ、はてなで知った、季雲納言さん(id:kikumonagon)という方がいらっしゃいます。彼女はおそらく受験生で、清少納言が好きで、はっちゃけている。僕は彼女の感性に個人的にとても響くところがあり、それでたまに古文の話を振るのですが、先日、たまたま、小式部内侍のことを思った。連れて、和泉式部のことを思い、例の歌で「らむ」「けり」を解説する石塚先生の板書が思い出された。自発の助動詞「る」「らる」意味は「自然と思い出される」でしたね。

*

季雲納言さん(id:kikumonagon)、もし文学、国語学、中世古文に進まれるのでしたら、石塚先生のところ、いかがですか。あるいは違う大学に進まれても、お名前は覚えておかれるとよろしいかと思います。石塚先生の古文解釈、授業の技法(話芸とお人柄)の確かさは、真打におなりになるまえの、登竜門をめざす竜であったころを知る、僕が保証します。 

納豆のはなし: 文豪も愛した納豆と日本人のくらし

納豆のはなし: 文豪も愛した納豆と日本人のくらし

 

hon-hikidashi.jp

僕は大学ではアジア近代史、院では国際関係論を学んだのですが、それにひっかけていうと、石塚先生のようなかたは郷紳(gentleman / gentlemen)と伝統中国では呼びます。近代になり、立身出世と人徳と学問が切り離された。僕は学問を終えて世に出るときに、立身出世でないほうを選んだ。それでいて、国語学科を選ばなかったのは、古文が大好きだったからです。個人的なひそかな趣味として残しておこうと思った。(ご存命だった鈴木日出男先生が、親身に相談に乗ってくださいました)。そして「とどめおきて」が残った。

ただこれは、石塚先生からしたら教えと期待に背く行いだったかもしれません。そこは申し訳なく思います。

*

そんなわけで、のちほど、研究室のほうにお手紙します。この春こそ、つくばを必ずやお訪ねできればと、あらためてよろしくお願いいたします。

草々

 

石塚修先生(id:ichikanjin

2017年春吉日

船橋市海神

不肖X

dk4130523.hatenablog.com

(私信)和泉式部「とどめおきて」のこと

id:kikumonagon さんの受験勉強の気休めにと、ちょっと、訳しておきます。ざっとウェブを見た限りでは、しみいるような訳がみつからなかったので。

とどめおきて/たれをあはれとおもふらむ/子はまさるらむ/子はまさりけり

和泉式部後拾遺集、哀歌

::: 石塚修 Ishizuka Osamu ::: 筑波大学 人文社会科学研究科 文芸・言語専攻 教授

私の、高校時代の恩師です。まさか、ここで再会するとは思わなかった(笑)。石塚先生、ずっと同じことおっしゃってる。よほどこの歌がお好み。僕もだけど。

それで、歌の背景をひらたくいえば、小式部内侍が、男子を生んだ際に予後をわるくして亡くなってしまいます。享年20代半ば過ぎと伝えられる。そのときに、母の和泉式部が詠んだもの。

訳します。

子と母をこの世に残して、あの子はいったいどちらを切なく思っているかしら。子のほうよね。だってわたしがそうだから。

「らむ」は現在推量。目のとどかないところでいま起きていることを、どうかしら、と想像する。「けり」は俗に気づきの詠嘆といって、はっとする気持ちを場に嘆き放り投げる。僕の訳だと、筑波の人文社会には採点者を指名すればきっと受かる。それ以外は減点されます。

でもね、僕はこの訳だと思う。「だったのだなあ」なんて、杓子定規に訳したのでは伝わらないものも、古文解釈にはあります。

山本夏彦と向田邦子のこと

山本夏彦(1915-2002)はいろいろと面倒くさいオヤジなんだが1つ2ついい仕事を残している。二葉亭(四迷)のこと、半井桃水(なからい/とうすい)のこと、そして向田邦子のことである。二葉亭と桃水の話はきょうはしない。

山本夏彦 - Wikipedia

いや、枕に、桃水の話だけしようか。桃水(1861-1926)は、樋口一葉のお師匠であり新聞小説家で、いっとき一葉に恋われていた。「一葉と恋人関係にあったという噂が当時からあった」なんてウィキペディアにはつまらねえ書き方をしてあるが、熱をあげていたのは一葉である。引こうか。

日没後、戸さしかためて皆々火桶のもとに寄りつどひつつ物語りするほどに、門の戸ほとほととたたきて音なふ人あり、(略)誰様やと家のうちより問へば、半井にこそ候へ、夜に入て無礼なれどといふに、その人なりと聞くままに胸はただ大波のうつらん様に成て、思ひがけずただ夢とのみあきれ…

山本夏彦「完本 文語文」(文春文庫)P.76 むろん原典は一葉日記。

前にも書いたかもしれないが、おれの亡くしたお袋が一葉が好きでね。「どうしていまの世にはこういう恋の物語がないのかしら」なんておれに訊くわけ。「さあ」「はて」なんておれもある程度の答えはあるがはぐらかすと「あなた文学部だったわよね。何のために天下の一高に入ったのかしら」なんて、にこにこする。

もちろんお袋もおれもわかっていて、ことばから入る恋ってのはある定型、規範だから。万葉集、古今新古今、小倉百人、同じことを知って話せてそこを微妙にずらして私のおれのあなたへの恋はかようにすばらしいんですよ、あの歌よりもわが恋はこれだけ上なんですよってやる。本歌取りはそのためにある(ちょいうそ)。

共通の土台がないところに、ことばを交わす恋の成り立つはずがない。

f:id:cj3029412:20170225213933p:plain

歌を詠む平安貴族のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

だから、ベクトルが反対のとき、ばかね、あなたじゃ相手にならないわ(とはもちろん口にしないのがたしなみである)ってときも事情は同じ。その古今もっとも人口に膾炙した例は、おそらくあの小式部内侍、

大江山いく野の道の遠ければ/まだふみもみず天の橋立

であろう。

ウィキペディアにはこれまた実につまらなく書いてあるが、四条中納言が小式部内侍に何とかして話の糸口を作りたくて、ちょっかいを出したのである。からかったと、ちょっかいを出すのとではちがう。

小式部内侍 - Wikipedia

軽薄でイケメンの四条藤原定頼はおそらく「ちょろい」と踏んだのだろう。あるいは恋心を仮面で隠した。母親は当代美人の誉れ高い和泉式部。その不在を幸いとした軟派に肘鉄を食らわせた。ぐうの音も出まい。はっはっは。さすがに定頼には袖にされたことがわかるだけの教養はあったはずだ。

*

山本夏彦向田邦子の話だった。

上で引いた、山本の「完本 文語文」には、かような、平安から明治まで(あるいはぎりぎり昭和20年まで)地続きでいられた和歌、漢籍、サロンといったものが、なぜよりにもよって自分が生きるいまこの時代(1915-2002)に断絶しなければならなかったのかを、洒脱な恨み節でもって記してある。

完本・文語文 (文春文庫)

完本・文語文 (文春文庫)

 

山本の著作の全貌からすると本書に対するAmazonの評点は甘いとおれは思うが、しかし、朔太郎(萩原)、綺堂(岡本)、敦(中島)、そして冒頭に述べた四迷、桃水、向田邦子らのことが、実に親切にフェアに、近代文学史の稜線上に並べてある。その山本をして向田姉さんの直木賞(1980上)受賞時にいわしめて曰く、

向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。

(引用はまあどこからでもできるが今回は向田邦子「父の詫び状」(文春文庫)の、沢木耕太郎による解説から。沢木もたまにはいい仕事をする)

山本は、もうずいぶん前から向田姉さんのことを知っていて、その才覚に目をつけており、満を持したといういで立ちで、この一文を書きつける。それが昭和55(1980)年のこと。向田姉さんはその5年前、昭和50(1975)年に乳がんにかかり、肝炎と、右腕不如意の後遺症に苦しめられながら、「父の詫び状」を『銀座百点』に連載し、「だいこんの花」「阿修羅のごとく」「かわうそ」などの傑作を物した。

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

 

本格的な文筆家になる前は、当時どちらかといえば色物とされていたトップ屋(事件記者)や脚本家を経て、じつに慌ただしくその軌跡を残している。それが、おそらく病気が1つの転機になって、静謐で鮮烈な「父の詫び状」につながったのだとおれは見る。以降、81年の台湾航空機事故まで、わずか6年。急ぎすぎたことが、返す返すも惜しまれる。

銀座百点◆銀座百店会

*

以上が前振りである。

おれは、止(や)まれぬ事情でいまを急ぎ生きている、ある女社長さんと淡い親交がある。山本は、(よそから見たら)もったいを付けて、それでいてうれしくて仕方がない表情で向田評を述べた。おれはそういうことはやらない。山本の時代はそれで間に合ったかもしれないが、いまは時代の速度がちがうのだ。

*

やるぞ。

川崎貴子の時代はもうすぐそこまで来ている。その文筆の蛹が蝶にかえる助走期間(つまりいま)をおれ(たち)は目の当たりにしている。病に打ち克つだろう。いささかの休息期間は彼女の文章をいっそう磨き上げるに違いない。向田姉さんのように、まったく予想外の矢を放つことだってありえる。そして飛行機はそうやすやすと落ちるものではないから、彼女は長生きをし、10年もすればいまとはまたテーマも味わいも違ったエッセイ集を出してくれるはずだ。

そのとき、彼女のギザギザのおっぱいに、おれ(たち)はあらためてひれ伏すことになるだろう。

wotopi.jp

dk4130523.hatenablog.com

補1:なら山本の何を読めばいいかの話はそのうちする。

補2:いちおう、父と乳をかけてはみたんだが。

補3:念のために断っておくが、このエントリーは川崎貴子のために書かれている。

作ってみた 豚バラ軟骨と白菜ざくざくカレー

作ってみた。カレーのレシピを晒すなんてどうかしてると思わないでもない。といいつつ俺は料理は素人なので平ちゃらである。俺は腕をあげた。うまい(味が)。かなりうまい(白菜が)。そう思ったらそう書くのである。

材料

  • 豚バラ軟骨:適量気持ち多め
  • じゃがいも:ぼちぼち
  • さつまいも:ぼちぼち
  • にんじん:大1本
  • 玉ねぎ:2個
  • 白菜:大振りに切ったもの数枚
  • カレールー:辛口1パック

作り方

  1. 豚バラ肉軟骨を鍋で2度茹でこぼす。そして流水でざっざっと洗う。脂をある程度思い切って落とすのがコツかもしれない。
  2. じゃがいも、さつまいも、にんじんは、皮をむいて一口大に切る。たまねぎは粗みじんにする。それぞれ水にさらす。
  3. 2を1と別鍋のひたひた水で茹でる。沸騰させたら弱火で20分。行平鍋からたまらない匂いが立ち上ってきた。
  4. 1.をシャトルシェフ(鍋)に入れる。葱の青い部分を数本入れる。ひたひた水で沸騰させ、火からおろして葱を取り出し、シャトルシェフ(本体)に入れ蓋をする。
  5. 4.に3.を入れる。3時間くらいがまんする。ねこちゃんをなでなでしましょう。僕はそのまま昼寝してしまいました。
  6. 5.にカレールーを入れる。やさしくかきまぜる。2時間くらいがまんする。僕はお部屋の掃除をしていました。
  7. 6.をかきまぜる。
  8. 白菜を大振りに切る(白いところを含む)。塩もみにする。
  9. 7.に8.を蓋をするように入れる。もちろんシャトルシェフの蓋もする。1時間くらいがまんする。僕はここでご飯を炊き、洗濯をしました。
  10. もりつける。付け合わせには、だいこん(やや青い部分)のぬか漬けを。

f:id:cj3029412:20170225145140j:plain

白菜の歯ごたえがたまりません。あっさり風味。味はカレールーに任せる。コツは豚を別茹でにして、捨てるべき脂は思い切って捨てる。菜ものはいちおう水にさらす。この辺りだ。たぶん。

自慢したくなるくらいおいしかった。どうということのないカレーなんだけど、作るのうまくなったかもしれない(笑)。

サーモス 真空保温調理器 シャトルシェフ 4.5L クリアブラウン KBG-4500 CBW
 

作りすぎた…。