id:nenesan0102 さんが記事を書いていらっしゃいます。そしてそれにさまざまなコメントが寄せられています。
せっかくなので、私はできることならみなさんとちがった角度からコメントをしたいと思います。私が引かれたのはこのフレーズです。
私が子どものころは「発達障害」という概念そのものがありませんでした。
だから、私も社会でやっていけなくなるまで、まったく自分のことを健常者だと信じてうたがいませんでした。
たいへん失礼ながら、何かのエントリーかブコメでid:nenesan0102 さんが世代論やお生まれの時期について少々、言及し、おそらく私(1973-)よりも少し下の年代の方とお見受けし、勝手な親近感をもった覚えがあります。
たしかこのときです。
以来、id:nenesan0102 さんのことをそこかしこのブコメでお見掛けし、今回の記事では書いていらっしゃらない、家庭環境、お父様のことなど、ちらちらと、興味深く拝見していました。何を隠そう私も学者(漢学者)の家系と共産主義者のハイブリッドであります。三人兄弟、男男男の長男。
しんどいでっせ(笑)。「自殺はつねに省察の中心にある」といったのは確か晩年の中上健次だったと思いますが、野郎は46歳でがんでくたばった。私がもうじき44になりますので晩年です。漱石49、山際淳司47、そうしてみると私もなかなかがんばったクチかもしれません。
吾輩めちゃくちゃ働きますし、金も稼がなきゃいけないですし、スカウトだってきます。それと、当人の生き難さは、ベクトルと重みがまるで別です。吾輩はねこちゃんと、お嬢(と呼んでいる、別れた妻の姪で15年来の親友)と、ここ、はてなでことばを交わすようになった何人かの方以外には、いまでもうまく心を開いたり、気持ちを察したりということができません。
思春期を迎えてからこのかた30年、「私が子どものころは『発達障害』という概念そのものがありませんでした」という時代に、しょうがないので加藤諦三や岸田秀といったあほんだらたちを手掛かりに、自分の精神を自分で切開しながら戦わなければならなかった記憶が鮮明にあります。
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きょうお話ししたいのは、本質的には1点だけです。
私は発達障害の何たるかを知らない。ゆえに発達障害ということばは用いない。自家薬籠中にする気などはなからさらさらない。興味もない。一緒にしないでくれと思う。これはid:nenesan0102 さんにいっているのではありません。俺の病は俺の病なんです。時に残月光冷ややかに…(中島敦「山月記」)。中島もまた個の疾病に苦しんで、中国古典とそこから得た虎というメタファーによって、おそらく、己(おのれ)の病をぐっと胸の片隅に押しやることができた。
漱石は「坊ちゃん」「私の個人主義」。芥川は「羅生門」「蜘蛛の糸」「漱石先生」あたりで糸口を得るには得たが持ちこたえることができなかった。
彼らはいずれも発達障害なんていうことばは使っていません。だから使うなというのではなく、使ったところで癒すことのできない悲しみに、忠実、誠実だったのだと思います。あるときは、わが個人史上のエピソードをそのまま(に近く)、あるときは別の何かに仮託して、なんていうんでしたっけ、こういう療法。現代の精神医学以前に、物語/ものを語ることによって何とか癒そうという切実さが、ある/あったのだと思うんです。
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たいへん僭越ないい方ですが、id:nenesan0102 さんは、なんとなく、記事やコメントでのおっしゃり方が、個の悲しみを、少しずつ少しずつ、対象化して、ぽろぽろと場に投げて示す機会が(私が袖振り合った範囲ですが)増えてきたように感じます。私も、しばしば同じ手法を用います。これは、きっと、いい傾向ですよね。
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ですから、今回、いろんなコメントが付き、中には不本意なもの、id:nenesan0102 さんの悲しみを増幅させる方向に機能したものもあるかとお見受けします。が、それでも、めげずに、小出し小出しに、悲しみを舞台装置や物語としてパッケージングできたところから、できれば発信を続けてほしいと思います。
借り物のことばや概念では掬えない個の悲しみをそのままに掘り下げる先にこそ、私たちの救いはあるのではないでしょうか。そして、恐れずに踏み込めば、そのようにして、つるはしを振る姿に勇気づけられてくれる増田が、きっといると思うのです。
ね、よよん君。
(追伸)id:nenesan0102 さん、よろしければ、いちど、よよん君のお墓参り、ご一緒しませんか。今出川駅から、まあ、徒歩圏内です。