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illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「わいせつ石こうの村」に寄す

id:nenesan0102 さんの記事を読んで、触発されてしまった。

nenesan0102.hatenablog.com

私はこれまでのエントリで、氷河期世代の持つしんどさをちょこちょこと書いてきたのですが、関内さんもそう。彼は、私と同じく就職氷河期世代で、歯を食いしばって大学へ通ってもはたして就活がスムーズに行ったのかというと、正直なところかなり厳しいのではないか。そのくらい就職氷河期の就活は厳しいものがあった。

僕は1年留年して96年新卒です。就職活動もしましたがそのまま修士に進んだのでちがった意味の苦労をしてはいます。それでもここで書かれている「厳しさ」は時代の空気として知っています。

ごめんなさい、話したいのはむしろこちらのことです。

すごい。いま9/18ですけど、1128もブクマついてる。この人本当にすごいめちゃくちゃ文章うまいですよね。絶対地頭いいよ、そう思っている。

才人です。

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慶応文中退と何かで読みましたが、なるほどと思わせる。慶応の文学部くらいでは才能を押しとどめることができなかった。普通のレールに乗ることを全身が拒否したのだろうと思います。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、これから代表作を紹介します。どうぞ眉をひそめてください。

kakuyomu.jp

「わいせつ/非わいせつ」「なぜ石こうなのか(石こう/それ以外の製法)」「【の】とは何か(なぜわいせつ石こうでこの村は代表されなければならなかったか。そこにはどんな前近代性が秘められているのか)」「『おまん』と呼ばれる女性たちはこれは京都の野菜売りの隠喩か」「売春島とは例の三重沖合いのあれのことか」etc.

おまんという流れ者の女たちが、故郷の特産物だという小豆を供えたりもする。
やがて夕刻、日の沈む方向に、火の放たれたわいせつ魚拓の小舟が出航する。潮の流れで自然と沖に向かって進んでいく。それを見ながら、男たちも女たちも「ホトホト、ホダラク、ホーイホイ」と唱える。皆で唱える。唱え続ける。小舟も夕日も西の海も真っ赤に染まる。詠唱は小舟がすっかり沈んでしまうまで続く。

「第3話わいせつ魚拓の村」より。

第3話わいせつ魚拓の村 - わいせつ石こうの村(黄金頭) - カクヨム

「ほと」というのは、女陰のことでしょう(ちなみに「ほとはら」とかいう芸人がテレビで名前を呼ばれるたびに俺は赤面して地団太を踏む。「ほとちゃん!」正気か…)。古事記以来の日本の神話には、この「ほと」を焼かれて命を落とす女性が数人登場します。「ほだらく」というのはおそらく補陀落(ふだらく)のなまったもの。「ほいほい」は掛け声ですが、古形は「ほとおい」「ほとおえ」(ほとを追え)であり、そこから「ほをおえ」(tが落ちる)「ほおえ」「ほおい」と転じたのではないかと勝手な想像を成り立たせます。

勝手なとはいいましたが、日本の音韻の転化の大まかなパターンからして僕の推測は成り立つ余地がありそうです。その辺の話は大野晋先生の知見がたいへん参考になります。何かの機会に手にしてみてください。

古典基礎語辞典

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古典文法質問箱 (角川ソフィア文庫)

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(ついでにいえば小豆は女性器の特定部分を想起させてなお余りある。実にけしからん。)

*

こんなふうに、まあ、ソシュールやらを引いてもいいのですが、引くまでもなく、解釈欲をそそるいくつかの仕掛けがこの作品の特に前半部分には凝縮されています。学生時分にこの萌芽があったとしたら、そりゃまっとうな人の道は進めるはずがありません。

で、そうそう、「わいせつ石こうの村」。いちどは読んで…読まないでください。希代の悪書です。

kakuyomu.jp

うれしい。御意。我が意を得たり(にこにこ)。

*

ほかにも、いくつかこの場に乗じて書きたいことはあるのですが、やめておきます。ただ、id:nenesan0102 さんの屈託の一片が、ああ、この方も俺と同じ時代を生きていらしたのだなあと、退役軍人の同窓会のような趣きをいただいたことは、うれしかった。若者が、どう働くべきかとかは、俺は直接的なものいいを避けたいと思ふ。代わりに、1点だけ、衝いておきたい。

絶望的なまでの読解力とコミュニケーション力のなさは、きっちり叱っておかねばならぬ。若いからといって許されることではない。バカ。

ここは、

そして成功したら、なんかおれに恵んでくれ。

これに対して、こう、

ぜひ、恵ませていただきます。若輩者ですが、その日まで、どうかご自愛なさってください。わいせつ石こうを1つ購入すればよろしいですか。

こんな感じであるべきだったところだ。みすみすチャンスボール1つを逃したのである。

*

石田君がこれから相手にする実社会というのは、こうした一見意味のない会話の積み重ねで成り立っている。それは、老いも若きも、望んで形作った/形作られたものではない。社会は個人に先行している。そこからいえば、大学を辞めるのは、老害とレッテルを貼るのは、思想的にも行動的にも退行である。現時点では。

辞めるのなら、構造的に解析してからにしたまへ。さもないと、君も同じ穴の貉だ。

テクノロジーは社会を変える。確かにそうだ。しかしそれは、スティーブ爺クラスのやること。あるいはビルゲイツウィリアムス2世3世にしたってむしろ弁護士としての才と先見が蓄財の礎となった。

ついでにもうひとことだけいえば、近年(誤った)ブームが出来している田中角栄は、この種の懐柔の怪獣であった。酸いも甘いも嗅ぎ分けて、徹底して社会のリアリズムに寄り添った、そのことは間違いないだろう。小卒でも、士業資格をもち、選挙テクノロジーを身につけ、人心に通じたら、数億のカネを動かせる。かつての日本はそんな国だった。あるいは、いまでも。

まんがでわかる 田中角栄の人を動かす力 (まんがでわかるシリーズ)
 

こんなふうにして、若くして成功を収めるには、何かしら苦労と、秘訣がある。まず2つか、3つほしい。石田君には、それがまだ、ほとんど何ひとつない。そこがなんというか、こう、ほほえましい(笑)。

失敗したら、ぜひはてな村に入植して、敗北の記を書いてね。待ってるよ。