追記:旧暦26日頃の月が「有明の月」「暁月」と呼ばれます。壬生忠峯が袖にされた(つらい別れのあった)のは(何月かは判りませんが)下旬、26日前後であることがわかります。
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壬生忠峯(860?-920?)に、有名な、
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
があります。
- 有明は月や湾ではなく、午前4時半を中心とした前後1時間半(午前3時から午後6時)の夜、明け、空、空気、物音、気配、そういったものを伝える語彙です。意味は、文字通りとってください。(何かが)有る、在る、明るさ、あるいは明るさが有る、在ることです。そこから月や星、主に月が(言外に)導かれる。
- つれなしは、「連れ」がない、accompanyできない、2つ/ふたりであるべきところ、やむなく、情けなく、ひとりであるさまです。
- 見えしは、見ゆ(思われる、感じられる)プラス、直接体験の助動詞「き」連体形。間違いなく、壬生自身のこれは実体験ですという念押し、含みがあります。作り話だとしても、実体験という枠の中で聞きてくださいねという、いわばお約束。ちなみに壬生は現代でいう守衛です。そのことは、この歌の世界では度外視していい(むしろ、そうすべき)。
- よりは、時間の起点。何々よりこの方、sinceです。
- 暁は、有明にほぼ重なる時間帯です。
- ばかり〜なしは、最上級。最も〜だ。
- 憂しは、「不満が内攻して、気持ちがつくづく(絶えず)晴れない」(岩波古語辞典P.158)が、さすが大野晋先生のご理解。
かつて、午前4時過ぎ、ひとり取り残されるような別れがありました。あれ以来、未明になると、私は自分でも味わったことのないトラウマに襲われます。
太宰治ならこんな感じでしょう。
この別れは、おそらく1回ぽっきりの情交の後、例えば身体の相性がよくなかったとか、遊んでも大しておもしろくなかった、といった軽さではないですね。憂しと釣り合わない。憂しというのは世界の終わりに近接します。ある程度の、長い男女関係にあったふたりが、女のほうが先に心が離れた。最後の情交は、互いに、これでおしまいだという予感があったはずです。愛撫はおざなりのものだったか、かえって激しかったかは、壬生に尋ねてみるよりほかにありません。
行為の後で、別れを女のほうが切り出した。女の愛のほうが深かった、だからなのかもしれない。ジュリーやオフコースや松山千春の恋歌のように。男は自分の受けたダメージに目を遣り、追って、覆うのに精いっぱいで、あり得たかもしれない女の優しさにまで想像が及ばない。
女の家を追われ、ふと斜めに見上げれば、月が残る。頭を抱える。しゃがみ込む。
「おれはあれ以来、毎月26日頃の、夜明け前がとにかく怖い。辛さがよみがえってくる」
そんな、男の幼稚、単純、身勝手さも含めて、いい歌です。激しく切ない歌なのに、ア音がリズミカルに、明るい基調を携えています。奈良でも平安でも、ア音はだいたい、あかるい語感です。