illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

みたび川崎貴子のエッセイについて

もうちょっと言及している気もするのだが本格的にはこれでおそらく三度目。

dk4130523.hatenablog.com

dk4130523.hatenablog.com

川崎貴子のエッセイには熟語が多い

不満から入るような見出しだが、そのこと(だけ)がいいたいのではない。釣り糸を垂れたまでである。何より、次の最新のおっぱいエッセイはすばらしい。にもかかわらず、現時点でブックマークが1件しかないのは、ひとえに私の人徳のなさゆえである。んなことはわかっている。

wotopi.jp

さておき、で、これだ。

絶対に必要な場面でちゃんと結果を出し、「社会に必要とされる仕事」を仲間と実現

川崎貴子(敬称略、以下同じ)がその必要上(何の必要上かは後で述べる)わが内に飼っているおっさんが、「絶対必要場面結果社会必要仕事仲間実現喝っ!」と、にこにこと凄んでいる。

しがない物書きとしての私は、「ねえさん、あかんで」と呟かざるを得ない。「やまとことば、形容詞をお遣いなされ」といらぬお節介をつい口にしたくなる。

*

…やめた。

ひとつには、私が何をいおうと、無慈悲に有能な執事殿(id:aatoku)が、

執事の手にはお見舞いの品と、なぜかたくさんの事業計画書の束が携えられていた。

と、「貴子おねえさんをやすませるにゃよー」と、その文才を惜しむ私がねこの姿を借りて申し上げているにもかかわらず、ますます無慈悲に有能なご様子だからである。

*

理由のふたつめ以降は、以下に述べる。

近代日本の闘病記には珍しい形

闘病記というのは、だいたい相場が決まっている。「めそめそ/いらいらしている」「死に至る病の記録である」。そして何より私が気に食わないのは「病と戦う」ことだ。病と戦ったら消耗してしまうではないか。そんなのはいやだ。

極力、身をかわして、ぐうたらしつつ、一方で生に爪を立てる、その立ち上がりに力を込める、ために養生する、のが前向きな姿勢のはずなのに。それなのに、みんな病気になったら下り坂を美しく急いでしまう。

例えば、傑作であることは間違いのない次の2作。

死の淵より (講談社文芸文庫)

死の淵より (講談社文芸文庫)

 
おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒―江国滋闘病日記 (新潮文庫)

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒―江国滋闘病日記 (新潮文庫)

 

おふたりとも、尊敬してやまない。高見順なんていまの人は読まないだろう。江國滋もしかり。高見はその資質からもともと「めそめそ型」だからまあ安心して読める。江國はちがう。落語とジャズとトランプを愛した洒脱な俳人にして、しかし、救いがだんだんに目減りしていく。その姿が読み手の目に焼き付いていくのは、つらい。

*

川崎貴子のおっぱい闘病記は、どちらともちがう。

wotopi.jp

シリーズを、ぜひ読んでほしい。この人は、はなから、生きることに、うずうずしている。一般的にイメージする病人の姿ではない。そしてうずうずしている人に、やまとことば、形容詞はまどろっこしいのである。

「背中の向こう」を見ている

哭きの竜という有名な麻雀マンガがあって、その主人公の決め台詞が「あンた、背中が煤けてるぜ」。

「あんた、背中が煤けてるぜ」の画像検索結果

哭きの竜 セリフ集 - NAVER まとめ

竜は卓を囲んだ相手の背中に、欲と、飢(かつ)えと、勝負の綾を見透かす。

川崎貴子は、お嬢ちゃんの未来と、亡くなった先の旦那さんの後ろ姿を、思わず(あの件りは、おそらく、思わず、ふと出た発想なのだろう)二重映しにする。

もういちどリンクする。

女社長・川崎貴子、長女に約束する「キミが大人になるまで絶対に生きるから」|ウートピ

この、小見出し「女社長、亡き夫を想う」に相前後する、8段落ほどをできれば読んでほしい。そしてそこから締めへと向かう筆致の瑞々しさに唸ってほしい。

これは、生半可の書き手にできることじゃない。

お気づきか。

野暮を承知で私が問うてみたのは、だんだんと、川崎貴子の内なる「おっさん」のボキャブラリーが減っていくことである。数えるんじゃない。感じるんだ(笑)。筒井康隆なら、計算してやるだろう。川崎貴子が計算して書いたとは、いささかも思わない。

「背中」はもうひとつある

私が初めて川崎貴子の書くものを読み、何かに撃ち抜かれたように感じたのは、「無条件の愛と支配」と題する、次のエッセイだった。

ninoya.co.jp

私が置かれた状況や親の事情はもちろん異なる。

それでも「愛と支配」の構造には私自身やられている自覚はあった。加えて、川崎さん(ここは「さん」と親しみを込めて呼ぶところかな)がこのエッセイを発表したときというのは、私が2001年に離婚した経緯をある程度のゆとりをもって振り返ることができはじめたころだった。

ちなみにいえば、2014年2月の、まだいまとはいささか文体の趣のことなる、川崎さんがまるで自分にいいきかせながら、ゆっくりと地固めを行っているような、このエッセイは私の好みだ。おっさんが、顔を出してこない(笑)。10歳の少女のころの感じ方に、寄り添おうとしている姿が、この人の原風景のひとつは確かにここにあるのだと私に思わせてくれた。

そのように、原風景を、しかもプライベートと新興宗教というきわめてデリケートなテーマを、露悪にならず、繰り返しいうがゆっくりと落ち着いて自分のために、静かに語る。私はこの人の書くものはきっと信じられるとはっきりと思い、以来、ninoyaさんで配信される記事を読み進めてきた。

そして、ふたたび同じ上の記事に話を戻せば、

私など、人様の会社で「コーチング」や「コミュニケーション」を講義させていただき、自発的に考える社員の育成を吹聴しているというのに、娘の暴言に真っ向から対決。

「こらー!今なんて言った!言い直しなさい!」

その時、「これを今ちゃんと教えないとこの子は大変なことになる。」という親の愛情と、「親の意見には従うものだ。」という支配欲が、私の中で微妙に入り混じるのを感じます。

ここまで踏み込んで書く勇気。

*

川崎貴子がわがお嬢さんのことを思うとき、おそらくお母様の背中をも見ている。そして私は思うのだ。「人様会社講義自発的社員育成吹聴暴言対決愛情支配欲微妙喝っ!」と、熟語はやっぱり多い。しかし、これは川崎貴子の中に棲まうおっさんの「いい仕事」「グッドジョブ」であると。

愛情と支配欲という組んず解れつのあいだがらを、客体化するには、適切なおっさんが必要なのだ。そんなことを、何のために? 決まってる。大切なお嬢さんを、愛情と支配のパラドクスから守るブレーキをかけつつ、その未来へと、エールを送るためにである。

しかしいつの日にか

しかし諸君、私は川崎貴子勝手連の主宰として、彼女の「おっさん」に退いてもらい、その暁には、たおやかな女手のエッセイを書いてもらう夢を諦めたわけでは、決してない。

静謐なものがいい。動きのある、柔らかなものがいい。お花、お皿、人形、猫。風、小川。着物。珈琲。洋菓子。和菓子。

そうだ、手近なところで、焼き物など、どうだろう。

p-dress.jp

ろくろを、回しかけている。

きっと、すっかり癒えて、ふたりのお嬢さんが自立し、暮らしに落ち着きを取り戻したころ、川崎さんならやってくれるだろう。なぜ願うのか。才能があるのがわか(り切)っているからである。

その日が来るのを、私は待っている。