illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

有明の月を待ち出でつるかな

こちらは、素性法師です。

今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

これも非常にいい歌です。前回の「有明のつれなく見えし別れより」との対で見ても面白い。

  • 今来むと:「む」は意志。「と」は引用。今はこの場合「いますぐ」「もう間もなくこれから」です。今回の解釈には関係ありませんが、古語の今は「新しい」の意味もあります。「今様」。ご参考まで。《「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と》。
  • 言ひし:「し」は直接体験過去。伝聞ではなく我が身に起きたことです。和歌の場合は自分か相手です。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」といった(仰った)》
  • ばかりに:副助詞。およその見当、だけ、だから。もとは「計り」(推し量る)。現代語でもこの「ばかり」(ばっかり)は通じますね。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに》
  • 長月の:夜の長い(長さ、深まりが感じられるようになった)月です。陰暦9月。太陽暦の10月下旬です。「ああ、日が詰まったなあ」としみじみと感じられるころ。「の」はここでは比況例示の感じもあるだろうと思います。いかにも日の詰まった10月下旬の。
  • 有明の月を:午前4時半を前後とする1時間半の時間帯です。その中空に沈みかねているお月様。もちろん長月との韻です。ここでもう中世人は「あはれ」と思うんですね。歌い手が女性であることがわかる。次に「待つ」が続くこともわかる。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた月を、私は》
  • 待ち出で:単に待つではない。待ち出づ。岩波古語辞典P.1225「待ちかまえる」「出てくるまで待つ」。現代語にも「(アイドルや推し筋の)出待ちをする」語彙がありますね。あれです。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた未明の月を、貴方がお出ましになるのを、私は、今か今かと待って》
  • つるかな:「つる」は完了継続態から強意詠嘆に転じた助動詞です。その連体形。助詞「か」の上は連体形です。「かな」は、奈良時代までは「かも」が用いられていた。平安人は「も」(不確かさ)よりも若干、輪郭のはっきりした詠嘆(気づき)の「な」を好んだ。自分でも意外さに軽く驚いている、拍子抜けをしている含みです。「ずっと待ってしまったのですね」。《貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた未明の月を、貴方がお出ましになるのを、私は、今か今かと、ずっと(こうして)待ってしまったのですね》。これで完成です。

貴方が「もう間もなく訪ねていく(つもりだから)から」と仰ったばかりに、いかにも日の詰まった10月下旬の沈みかねた未明の月を、貴方がお出ましになるのを、私は、今か今かと、ずっと(こうして)(気づけば夜通し)待ってしまったのですね。

これを不成立の後朝として女の家から使いが男の家に届ける。そうすると男は、忘れていたのか、別の女のところに通っていたのか、反省を強いられる。「ああ、自分は、あの女を前の晩の8時9時から(夜通し)待たせきりにしてしまったんだな。何て済まないことをした」と。その詫びを歌にして返さなくてはならない。花か、布地か、季節のものを添えなくては形が付かない。

女はひとことも男を責めていない。男は責められていないのに、どういうわけか責められた気がして、「もう、別の女のところに行くのはよそう、やめにしよう」と思い、愛しさが募る。よくできています。

素性法師(そせい-ほうし)は史実を残していないので、実際のところはわかりません。女に仮託した、作りごとでしょう。ただ、何となく、ふたりがもし結ばれたのだとしたら、男は一生、いわゆる尻に敷かれた、頭の上がらない関係だった、ことあるごとにこのなれそめを持ち出して拗ねられた、男はそのような女を娶り得たことに幸せを覚えたのでは、という感じはします。