illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0014 渡(わたりではなく、わた)さんの件

やはり、この箇所を何度でも引かせてほしい。海老沢泰久「監督」屈指の名場面。アフィリエイトに結びつかないほうのリンクを貼るので、どうかご容赦願いたい。

監督 (1979年)

監督 (1979年)

 

試合終了後、広岡は岡田と食事に行った。

「ここの鴨のローストはうまいんだ。バターを塗って丸焼きにしただけのものだがね」

なるほど岡田のいうとおりだった。鴨の味がそのまま生きていて、ためいきが出るほどうまかった。広岡はその味を楽しみながらワインをのみ、それからコップの水をすこしのんだ。

「うまい料理を食べているときにこんな話をするのはいやなんですが――」

彼はいった。「どういうふうにしたんです? 高柳を締めあげたんですか」

「ああ、そうだ」

岡田は鴨を口に運びながら、顔色ひとつ変えずに答えた。「どうしても監督になりたかったらしい」

海老沢泰久『監督』(文春文庫)P.347

めんどくさいのでいろんなことは書かない。高柳とはとか、この話は何であるかとか。

*

それらのことは、あらかじめ飲み込んでおいてほしいのである。

*

主眼は、ここで一呼吸をおいて、岡田三郎は広岡達朗の気持ちをどうしても確かめたくなる、その心持ちのことだ。

三者的に見れば、そして広岡達朗という人物のあり方を見れば、広岡の気持ちはとうに固まっていたことは(初めから)わかっている。それでも岡田は広岡の気持ちを確かめたい。

「わたしはジャイアンツを追われた人間ですよ。どうしてそんなやつに監督の話がくるんですか。そんなことはありえません。ジャイアンツというのはそういう球団です」

「万が一、話があったとしたらどうする?」

「どうしたんです、いったい」

「きみをどこへもやりたくないからだよ」

「そうですか。万が一、話があったら――、きっとどうすべきか考えるでしょう。そして――」

「どうする?」

広岡は苦笑した。

「厭だ、といいますね」

岡田の顔に笑いが広がり、それから彼はボーイを呼んで新しいワインをはこばせた。そしてふたつのグラスになみなみと注いだ。

「乾杯しよう」

と彼はいった。「きみをクビにしてくれたジャイアンツに!」

前掲書P.352-353

*

私はある人物を、どうしても、何があっても箕輪厚介(伏せ字)の側にやりたくない。

「万が一、話があったとしたらどうする?」

問い詰めたい。言質を引き出したい。伏せ字の側には金がある(らしい)。万が一、そう、「万が一、話があったら――」その人物、彼が、転ぶような人ではないことは、その書くものから明らかだ。顕現である。信じないのではない。私の目に狂いはない。

それでも、

「どうする?」

どうもしないのはわかっている。そちらに行ったら才能を使い潰されて枯れて倒れる、そのことも私はわかっているし、その人物、彼も、冷静に直観しているだろう。

でも、岡田三郎は切ないのだ。ここでの切は、大切の切である。

「きみをどこへもやりたくないからだよ」

「そうですか。万が一、話があったら――、きっとどうすべきか考えるでしょう。そして――」

岡田=津川雅彦の目を大きく剥く、見開く気持ちが、この数日間ほど痛切に感じられたことはなかった。私もかつて一時期、いわゆる編集の仕事に携わっていたことがある。稀有の才能、それも生涯この1回しかないと思えた出会いは、どこへもやりたくない。

編集者なりディレクターなりプロデューサーなりの価値の第一歩は、そこにある。本来、そこにしかない。そう、叩き込まれた。渡さん。

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