広岡達朗をエンゼルスに招聘し、1977年の8月途中から監督に昇格させたのは、親会社オリンピック建設の社長兼球団オーナーを務めていた岡田三郎の手柄である。
広岡と岡田との蜜月のことはこれまでに幾度か記した。
この、永田雅一を思わせる、それでいてワンマンでもない、「合理的球団愛」に満ちたオーナーを描く海老沢の筆致をなぞるとき、僕はこの役は津川雅彦のほかにいまいとずっと思っていた。
津川雅彦といっても、マルサの女の津川ではない。まだ、あのときにはオーナーたる風格が出ていない。
ならば、どれだろう。
うーん(笑)(´;ω;`)
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1978年のシーズン、広岡率いるエンゼルスは下馬評を覆し、長島のジャイアンツとデッドヒートを繰り広げる。オールスターを過ぎ、セリーグは佳境に入っていた。
しかし、内紛あり、その内紛に野球賭博の影がしのびより、エースの大滝に黒い噂が立つ。大滝は二軍落ちを免れるが、ファンにも、チームにも、不可解な形で登板しない日が続く。
岡田三郎は自社の精鋭に秘密裏に大滝の身辺調査を命じる。結果はシロだった。広岡に集まる注目を妬んだ、内部からのいささか手の込みすぎた「足の引っ張り」にすぎなかった。調査報告を受け、広岡から秘密練習を命じられた大滝の自宅に岡田はタクシーを飛ばす。そして、そのままカープとの試合を行っている神宮に駆けつける。
(その―8点差を1点差まで追い上げられ、リリーフの駒数が足りずに広岡は頭を抱えていた。ジャイアンツは高田の満塁走者一掃のタイムリーなどで楽な試合運びをしていた―引用者注)ストレスが一時的に中断したのは、誰かがうしろで肩をたたいたからだった。広岡はノックバットを持ったままぐるっと振り向いた。岡田だった。
「どうかね、やっとるかね」
広岡は葉巻をくわえたその顔を呆れる気持で眺めた。ストレスが急激に復活してきた。つまらない話につきあっているヒマなどありはしないのだ。オーナーならそれくらい分かっていて当然ではないか。それとも優勝の夢から覚めて気が狂ってしまったのだろうか。
「どうやらピッチャーが足りんようだな」
岡田は葉巻の灰をたたきながらいった。
「だからどうだっていうんです?」
「イキのいいピッチャーがひとりいるんだがね」
「そういう話はオフにしていただきたいもんですね。わたしのほうはそれどころじゃないんですよ!」
「そうかな?」
岡田はニヤニヤ笑いながらドアの向うを振り返り、指を動かした。広岡は何かいいかけて声をのんだ。ノックバットがぽろりと手から離れて、コンクリートの床に乾いた音をたてた。頬を紅潮させた大滝がいまにも泣きだしそうな顔で立っていた。広岡はたっぷり三十秒も経ってから体を動かし、大滝の手を力強く握りしめた。それから左手でその肩を何度もたたいた。岡田のほうを見ると、彼は黙ってうなずき返した。
海老沢泰久『監督』(文春文庫)P.344-345
津川雅彦のほかにいはしまい。津川は最晩年、政治色のついたポスターに顔を貸すようになってしまい、そのことを僕は大変に惜しいと思っていた。彼の味はみなさんよくご存知のように何ともいえないとぼけた、男の笑いと悲しみと、端正なギョロ目のおおらかさにある。
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ポロ葱と鴨のロースト - illegal function call in 1980s
試合終了後、広岡は岡田と食事に行った。
「ここの鴨のローストはうまいんだ。バターを塗って丸焼きにしただけのものだがね」
なるほど岡田のいうとおりだった。鴨の味がそのまま生きていて、ためいきが出るほどうまかった。広岡はその味を楽しみながらワインをのみ、それからコップの水をすこしのんだ。
「うまい料理を食べているときにこんな話をするのはいやなんですが――」
彼はいった。「どういうふうにしたんです? 高柳を締めあげたんですか」
「ああ、そうだ」
岡田は鴨を口に運びながら、顔色ひとつ変えずに答えた。「どうしても監督になりたかったらしい」
海老沢泰久『監督』(文春文庫)P.347
「わたしはジャイアンツを追われた人間ですよ。どうしてそんなやつに監督の話がくるんですか。そんなことはありえません。ジャイアンツというのはそういう球団です」
「万が一、話があったとしたらどうする?」
「どうしたんです、いったい」
「きみをどこへもやりたくないからだよ」
「そうですか。万が一、話があったら――、きっとどうすべきか考えるでしょう。そして――」
「どうする?」
広岡は苦笑した。
「厭だ、といいますね」
岡田の顔に笑いが広がり、それから彼はボーイを呼んで新しいワインをはこばせた。そしてふたつのグラスになみなみと注いだ。
「乾杯しよう」
と彼はいった。「きみをクビにしてくれたジャイアンツに!」
前掲書P.352-353
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津川雅彦。役者らしい(ほとんど最後の、と冠して構わないだろう)いい、役者さんだった。