「ここのカップ焼きそばはうまいんだ」と岡田三郎はいった。「あちらでは、エンゼルスのキャンプは久しぶりの《広岡達朗》のユニフォームというので、人だかりがすごいそうじゃないか」
広岡は運ばれてきたグラスの水に口をつけ、少し思いとどまってナプキンで口元をぬぐった。自分に、臨時コーチでも構わないからと無理矢理にアリゾナまでのチケットを送ってきたのは、一体だれだったか? ――それは、他ならぬエンゼルス球団元社長の岡田だった。岡田と広岡は78年に初めてエンゼルスの監督を務めて以来の仲だった。いつの間にか、初対面のときには想像もしない長い付き合いになっていた。そしてこういうときの岡田の率直さと照れを見るのが、広岡はわりあいに好きだった。
カップ焼きそばが運ばれてきた。
給仕がていねいに蓋をあけると湯気が立ちのぼった。何ともいえないいい香りがした。湯切りをしたばかりの麺にソースが微妙にからまり、具材を合わせて口に運ぶと、近頃ではめったに味わうことのできない風味が頬いっぱいに広がってきた。ダイスミンチの乾きを残した固さには広岡も思わず頷いた。
「このダイスミンチをお前さんにいちど食べさせたかったんだ」
岡田が目の前でにんまりとした。岡田が何かを企んでいるときの表情だということを、広岡は20年におよぶ付き合いでよく知っていた。
「それで、話というのは何です?」
「お前さんは変わらないね」
「お互い様でしょう」
「そういうところだ――どうだい、正式に、エンゼルスの内野守備コーチになってくれないか」
冗談だろうと、広岡は口に含んだ水を思わず吹き出しそうになった。「私はもうこの前の2月9日で66です。エンゼルスの若い連中に教えられることなどありません」
「ドラゴンズの杉下さんだって72歳でブルペンを視察しているじゃないか。実に精力的に。私だって杉下さんとはほとんど同じ歳で毎朝、執務室に通っている。昔とはちがって、立場は顧問だがね」
岡田は衰えを知らない情熱的な表情で語った。親会社のオリンピック建設役員だったころ、得意先や商売敵を口説き落とそうとするときのまなざしそのそのままだった。広岡は本能的に身構え、そして苦笑した。
「5年契約で、どうだい?」
岡田はそういうと、自分のカップ焼きそばをフォークですくった。岡田はあくまで本気だった。その様子を見ながら、広岡は自分の気持ちが傾いていることに気づいた。エンゼルスの若い選手たちと同じ内野のグラウンドに立って、グラブさばきを披露している自分の姿が脳裏に浮かんだ。それは広岡にとって決してわるい想像ではなかった。
や、山際淳司と海老沢泰久は、僕に書かせてください…w (´;ω;`) 今夜書くw / “文体模写にコツってあるの? 「もしそば」の著者に実演してもらった | P+D MAGAZINE” https://t.co/nTQ73VFMWX
— nekohanahime (@nekohanahime) 2018年2月18日
--
かこ (id:kozikokozirou) さん、こんばんは、広岡って、こうだよね?w