illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

今からでは間に合わないTOEIC対策(今回は読解のさわりと心構えのみ)

17の春に大学に合格して、経堂のアパートが決まって、学生課の紹介で教壇に立つようになってから、かれこれ通算で25年近く、サラリーマンの傍ら(よって途中で切れたことはありましたが)英語や国語の授業を行ってきた計算になります。

中1補習から東大受験、院試、社会人の昇進昇格試験、小論文、TOEIC、帰国子女入試、請われるまでに何でもやってきました。現役の(副業)産業翻訳者でもあります。

現時点の力が、本日、受講生の陰で受けたTOEIC模擬試験で975点です。平日日中の本業では、外資の管理職として、日々、世界各国あての、1日平均40通の英語の(それなりに濃厚な)メールを書いています。

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これから紹介するのは、普段、生徒さんにお話しし、それなり以上の効果を出してきたメソッドです。私の流儀からして、ハウツーものをここに書くのにはためらいがあるのですが、親愛なるネットのお知り合いの方々がTOEICでお困りとおっしゃるのを目にしました。そんなわけで、今日は特別に。

ただ、題名にあるように「今からでは間に合わない」です。1年後、3年後、あるいは私のように25年後を目指していただけたらと思います。

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基本は、選択肢即決

TOEICの出題は、すべて見た(聞いた)瞬間に、答えが出ます。日本のセンター試験や私大二次試験とは、そこが大きな違いです。TOEICでは、日本のセンター試験や私大二次試験にあるような「5肢を2肢に絞り(ここまでは瞬時)、2肢を吟味し消去法に頼る」ような非生産的な小手先は、まずないと思ってください。頼(りたくな)るとしたら、実力不足です。500点、600点レベルの方にしばしば見られる錯誤、方法論上の袋小路です。

時間不足も、原理的には、これでなくなります。見た(聞いた)瞬間に「これだ」と選んだ結果が、実力値です。したがって、一瞬以上に時間をかけてしまった問題は、たとえ自己採点で正解でも、点数半減としてください。

見た(聞いた)瞬間に選ぶことを続ければ、時間はお釣りがきます。TOEICという試験の性格からしても、ビジネス現場での即答を志向しますので、このことは必然です。

例題

出展: https://www.ets.org/s/toeic/pdf/toeic-listening-reading-sample-test-updated.pdf

Q149-151の一式3問だけ、解いてみましょう。

On Monday, Salinas Products, a large food distributor based in Mexico City, announced its plans to acquire the Pablo’s restaurant chain. Pablo Benavidez, the chain’s owner, had been considering holding an auction for ownership of the chain. He ultimately made the decision to sell to Salinas without seeking other offers. According to inside sources, Salinas has agreed to keep the restaurant’s name as part of the deal. Mr. Benavidez started the business 40 years ago right after finishing school. He opened a small food stand in his hometown of Cancún. Following that, he opened restaurants in Puerto Vallarta and Veracruz, and there are now over 50 Pablo’s restaurants nationwide.

腹式呼吸で、できるだけご自身で美しいと思える発音で、英語の語順のまま理解するように努めながら、音読してください。それで、ははーんと、頭に入ったなら、問題を解いてください。このくらいの英文がすらすらと読めないで、「まず出題文から」「選択肢から」「なんとか式」に頼りたくなるとしたら、そこがすでに間違いです。

大した内容ではありません。これは成功者バイアスではなく、これくらいの英文が「大した内容ではない」と「素で」「対策なしで」読めることが、TOEICの求める水準です。ただそれだけのことです。

今回は特別ですので、(速度重視で)訳します。固有名は調べません。また、(過度の)忠実訳も心がけません。

月曜日、メキシコシティに本社を置く食品流通大手のSalinas Productsが、レストランチェーンのPablo’sを買収する計画を発表した。Pablo’sのオーナー、Pablo Benavidez氏は、チェーンの所有権を競売にかけることをこれまで検討してきたが、最終的には、他の買収提案を求めるまでもなく、今回の買収先を選んだ格好だ。Salinasの内情に詳しい情報筋によると、同社は買収条件の一環としてレストラン名を残すことに合意したとのこと。

そのBenavidez氏は40年前、学校卒業直後にレストラン事業を立ち上げた。出身地のCancúnで小さな出店(でみせ)から始まった事業は、Puerto VallartaやVeracruzでもレストランを開くようになり、現在は国内に50店舗以上を構える。

一読して、(出題画像を見れば一目瞭然ですが)日経MJによくあるような、小さな囲みの業界通信記事です。

続いて選択問題です。

149. What is suggested about Mr. Benavidez?
(A) He has hired Salinas Products to distribute his products.
(B) He has agreed to sell his business to Salinas Products.
(C) He has recently been hired as an employee of a school.
(D) He has been chosen to be the new president of Salinas Products.

 間違いようがないですね。(B)。(A)(C)(D)は、そんなことどこにも書いていない。

150. According to the article, where is Mr. Benavidez from?
(A) Cancún
(B) Veracruz
(C) Mexico City
(D) Puerto Vallarta

ね、間違いようがないでしょう? (A)

151. What is indicated about the Pablo’s restaurant chain?
(A) It was recently sold in an auction.
(B) It will soon change its name.
(C) It was founded 40 years ago.
(D) It operates in several countries.

これも、間違いようがありません。(C)

このレベルの出題ですから、訳や理解も、事実が事実として取り違いのないものであれば、問題ないわけです。

繰り返しますが、私ができることを誇っているのではなく、選択肢は極めて素直で紛れがない、ということです。よって、これも繰り返しですが、この内容を瞬時に選べないとしたら、TOEIC以前の何かが受験生に欠落しているということになります。厳しくも何でもないです。むしろ、TOEICの良心、親切さを、私はお伝えしたいと思って書いています。科挙だと、こうはいかない。

どうすればいいか

英単語そのものは、せいぜい中3から高1レベルです。加えて、distributorやacquire、あるいは記事の内容など、まずは日本語で、ビジネス文脈慣れしているかが問われます。したがって対策は次のようになるはずです。

単語を補ってください。4,000語レベルでまずはOK

単語集は何でもいいです。アフィリエイトは私の趣味ではないので貼りません。その、4,000語レベルもおろそかな受講生、受験生があまりに多い。中学卒業時点で、文部科学省というところが推奨しているのが2,500語レベルだそうです。進学校の高校1-2年で4,000語が推奨されます(これは大学受験界隈の常識でしょう)。みなさんはそれをやり直せばいい。より突っ込んだ内容は以前に記しました。

TOEICで点がとれないとかいうのは毎日英語に触れないやつの戯言にすぎない - illegal function call in 1980s

そもそも、ビジネス英語は文芸ではない。標準化、水平化(誰にでも通じること)を指向するものです。せいぜい、動詞でagree, announce, base, consider, hold, seek, 名詞でauction, deal, business, restaurantくらいでしょう。副詞が若干むずかしいとはいえ、ultimately, nationwide, それからまあ、inside sourcesくらいのものです。みなさん日々、もっとややこしいジェンダーの話とか政治の話とか(目に)してるじゃないですか。

ここで述べられているのは、企業の買収と、レストランチェーンのオーナーの出身と立志伝のほんのさわりくらいのものです。私立中学の、中3の英語の副読本に掲載される内容に、少しの大人の味付けがされた程度のものでしょう。

音読してください

みなさん、ここまで読んで、解いても、やっぱり他人任せなんですね(講義の口調)。私が音読する、みなさんは聞く。受け身でおしまい。だからいつまでもできないんです。音読、必ずしてください。私、毎朝毎晩の通勤時、iPodBBCのWorld Newsを聞きながら、たまに、シャドウイングをしたり、別の英文記事を音読したりしながら歩いています。自宅から船橋駅、会社最寄り駅から会社までの、トータル15分にも満たない道のりです。しかし、それを年間240日、往復で続けたら、年間120時間の学習になります。

もっといえば、家にいるとき、かけ流すTVは、基本的にBBCのみです。ひょっとして、聞くことはリスニング対策と思っていませんか。そんなわけないでしょう。みなさん、赤ちゃんのときに、お母さんの話すことばを、「これは日本語のリスニング対策」と思って聞いていましたか(ここでたいてい、筋のいい生徒さんは頷いて笑ってくれます)。

聞いて、口真似をする。これは、聞くことにも、話すことにも、読むことにも通じる道です。

で、ここまで口を酸っぱくしても、みなさんはやらない。私は毎週の講義の準備と本番と復習で、都合3回以上は、音読をする。だから私は今日でみなさんを受け持って2年弱になりますが、いつの間にか975点になったし、みなさんはいつまでたっても600点のままなんです。

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(一礼して、教壇を去る。拍手がもらえるときと、そうでないときがあって、つらい…)

また、そのうち続きを書きます。

車谷長吉のこと(黄金頭さんのこと)

車谷長吉のことを、少しだけ話したい。

車谷長吉 - Wikipedia

増田に触発された。ありがとう、増田。

49歳ひきこもり歴15年の男性ですが結婚は可能でしょうか?

増田には悪いのだが、答えやアドバイスではない。むしろ、アドバイスにならないように書きたい。一方で増田のような気持ちのときに読む人生相談こそ車谷長吉だという気もする。貼っておくので、もし気が向いてくれたなら。

この人生相談はべらぼうにおもしろい。

車谷長吉の人生相談 人生の救い (朝日文庫)

車谷長吉の人生相談 人生の救い (朝日文庫)

 

引き合いに出して済まない、最近、人生相談で頓に名を上げた劇作家がいらっしゃる。私にいわせたらあれは大衆向けのソフト化された人生相談風にすぎない。車谷長吉の人生相談は、相談者を突き放し、内省に向かってしまう。私はその身勝手ともいうべき誠実さに、背を押されるタイプである。

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車谷長吉を思い出したのは、車谷48歳、高橋順子49歳で二人が巡り合った話が頭にずっと残っていたからだ。せっかくの機会。ぜひ、一読いただけたらと願う。hon-bako.com

長吉から、恋文やら贈り物やらをもらった詩人、高橋の表現を、この「ほんばこや」さんの記事をお借りして、引用で並べてみたい。車谷の書物はすべて実家に揃っているが、高橋の著作はいくつかの詩集以外に読んだことがなかった。恥じて、「夫・車谷長吉」をつい先ほど注文したばかり、お詫び申し上げる。

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「おかしなことになった、と私は思った。毎年、(大晦日には)その年にいちばん大切だと思う男友達に最後に会うことにしているのに、へんな人(車谷)に割り込まれてしまった。まさかその人がこののち生涯かけて大切な人になるとは夢にも思わなかった」

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「…<赤目四十八瀧心中未遂>は30枚くらいの予定です』と言うので、じゃあ書き上がったらご連絡ください、と言って別れた。翌々日、長吉から緑色の卵に手足が生えたような、小さな雨蛙がはねている絵手紙が届いた」

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「明けて93年2月、長吉から、『私は芸術選奨文部大臣新人賞を受けることになりました。・・・赤目四十八瀧心中未遂は、やっと100枚ほどが出来ました。本当に蝸牛の歩みです』と書いた葉書が来た。私はすぐにおめでとうの葉書を書いた」

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「(車谷が『鹽壺の匙』で三島由紀夫賞を受賞し、『新潮』に載せた)『受賞の言葉』の中の『ある人』とは、高橋順子であるかもしれないし、他の人かもしれなかった。しかし詩の補註に高橋順子の名があるので、それと知らせているようにも思えた。冷静ではいられなかった。これで長吉と私の関係は変わらないわけにはいかなくなった。長吉としては、私への(決断を迫る)最後のメッセージのつもりだったろう」

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「30年前のように、私から離れていく人を、引き止めたかった。(高校3年の時、愛を告白されると同時に別れることになった男子生徒との)遠い記憶の重力が働いて、私は長吉に手紙を書いた。『この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました』と。長吉のふところに飛び込むのは怖かった」

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ここまでで、野暮はやめにする。私もいささか書簡もの、夫婦もの、馴れ初め、別れの物語は好んできたクチである。例えば、すぐに思いつくのは、以下。

母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙 (新潮文庫)

母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙 (新潮文庫)

 
檀 (新潮文庫)

檀 (新潮文庫)

 

あえて、高橋順子の言葉遣いから離れてみるために異なる書物の画像を挟んだ。

その上で、ここで、画面をスクロールして引き戻し、高橋のことばの末尾の一文だけを5つ続けてさらっと目を走らせてみてほしい。女心の移りゆくさま、震え、怯え、もはや引き返すことの敵わない芽生えといったものが、実に自然なふうに記されていることに気づくだろう。わいせつである。

余計なことをいえば、「小さな雨蛙がはねている絵手紙」を用意した車谷の姿にも、思いを馳せてみたくなる。そんな車谷の孤独を思い、私は励まされる自分を発見する。

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もしよろしければ、もう1サイト、紹介したいところがある。

この世の苦を書き続けて

ただこれは、少々、車谷生来の毒が強い。うかつに、読まないほうがいいともいえる。私などは、まったくそのとおりだと思い、うんうん頷くばかりなのであるが、昨今はめったに見かけなくなった私小説本来の毒の、その由来の泥溜まりの話なので、お勧めはしない。

こちらの動画のほうが、毒気を抜いてあるので、いいかもしれない。

www2.nhk.or.jp

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さて、薄々お気づきの方もいらっしゃるかもしれない。車谷長吉、地主が没落した家に生まれ、幼いころは勉強が出来、読書に目覚め、慶応大学文学部というところに入り、働きながら、金が救いです、生は四苦八苦ですとわが身を掘り下げ、吐露する、どこか力の抜けたような、それでいて確かな骨格と裏打ちを感じさせる文体などは、ある部分は私であり(自分でいうな)、私よりも、より多くの部分が、私には黄金頭さんに通じるようにも見える。

同時に私は、黄金頭さんの、車谷とは違うモダンさというものにも触れておきたい。

車谷は、播磨1960年代の土着と、それゆえの上昇志向にこだわり抜いた。黄金頭さんは、横浜湾80-90年代の空気を吸って育ったので、苦しいとおっしゃりつつ、その創作世界は車谷のほうに向かわない。エッセイは十分に車谷的である。しかし、「わいせつ石こうの村」に代表される舞台と登場人物は、土着を示唆しつつも、どこか都会的だ。

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私は、長く車谷から三島由紀夫、(車谷も愛好した)嘉村礒多夏目漱石へと向かう近代文学史線が好きだった。一方で、三島から虫明亜呂無寺山修司山際淳司海老沢泰久丸谷才一辺りへと伸び広がっていく稜線も、好きだ。いま、前者を離れ、いささかの精神の健康を取り戻し、後者をたまにめくる程度の中途半端な読書人と化している。

そんなときに思うのは、私がこちら寄りに立ち戻って来られたのは、黄金頭さんのおかげということである。随筆で嘆き、私小説でとことん嘆いた車谷。エッセイで嘆き、物語でモダンを漂わせる黄金頭さん。

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高橋順子は、車谷長吉のもとを訪れた、黄金頭さんの造形「おまん」その人ではなかったろうか。

夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

 

 

おれのくーちゃん(雨の日)

アパートの下まで来て、窓辺を見上げると、くーちゃんがいつになく窓に顔を寄せておれを見つけてくれた。雨の中「くーちゃん」と声をかけ、階段の踊り場で振り返って窓をみる。くーちゃんは増々ぴったり窓に顔を寄せておれをじっと見ていた。

「くーちゃん」

おれは急ぎ足でドアを開けた。「くーちゃん」

朝、出掛けに、カリカリをいつもより少なくして置いてきたことに気付いてはいた。くーちゃんはあまり聞いたことのない、高い、甘えるような不満をいうような声でおれを叱った。「くーちゃん、ごはんすぐに出すからね。ごめんね」「ふにゃあ」

カリカリと、ゼリー状のまぐろを食べたくーちゃんはいつものくーちゃんに戻った。くーちゃんは育ちがいいので、ごちそうさまの「にゃーん」をいうことができる。おれの脚にすりすりをして、部屋をぐるっとひと回りした。そうしてキャットタワーの1F部分に落ち着いてちょこんと座った。

おれは、くーちゃんが愛や恋や夢や希望のためでなく、おれを実用本位で見てくれているらしいことをうれしく思った。おれが役に立つ(あるいは立たない)下僕でいる限り、くーちゃんはおれのことを思い出してくれるだろう。

【当日ご連絡】6/8, 23:00- オンライン乾杯

id:wattoさんと、本日6/8, 23:00過ぎから、オンライン乾杯をすることになりました。

ツイキャスで(好き勝手)手短かにしゃべって口火を切ります。その後、各自/居合わせた人で、乾杯ということで。

www.watto.nagoya

家庭教師を終えて、22:45には船橋に戻ってこられると思います。ねこちゃんのほうでだらだら直前告知しますので、まあ、少し、真顔でお話します/させてください。柄じゃないけれども。取材秘話とか。何いってんだいまごろ (´;ω;`) (# ゚Д゚) 17年も同じスレッド読んでるんだけど、発見があるんだよ、これが。

医者ってさ・・・

では、後ほど~(_ _)

読解とは

読解は、行き着くところ、野暮の骨頂であります。

www.yomiuri.co.jp

これから、野暮をお目にかけたいと思います。では第1問から。

youtu.be

(1) なぜ、田中裕子は小躍りしたでしょうか。

続けて、第2問、第3問。

www.youtube.com

(2) なぜ、大森南朋は、打ち消したでしょうか。打ち消すなら、初めからいわなければいいのです。

(3) ここでもなぜ、田中裕子は、小躍りしたでしょうか。

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みなさんが「あーもう!♥」って思ったそれが大人の読解です。設問を立てる以前にみなさんに兆したものです。すなわち読解の設問は野暮です。

このような読解の鍛え方は、だれにもわかりません。

ある秘密組織の話

昨日、あるファーマ(製薬会社)に呼ばれて、会議室で「普段はお見せしないようなものなのですが」と、1枚の印刷した画像を手渡された。上段に、女の子の笑顔と、「お薬ありがとうございます。がんばります♥」と書かれたカード。下段に、その子が撮影したという病院に近い公園に咲く花が並んでいた。

「ほら、先日メンヘラさんにがんばっていただいた」

と、ファーマの方はいった。

「ああ、あの時のものですね。よかった。ありがとうございました」

*

グローバルの本社実務部門と、関連子会社のシステム部門の間の意思疎通に行き違いがあったらしく、薬剤の配送が間に合いそうにない事案が3ヶ月ほど前に、起こった。治験薬の配送は、ファーマ、患者さん、そして私たち、治験計画と物流をアレンジして管理と配送を行う部隊の、数ヶ月に及ぶ入念な調整によって実現する。先日、私にどこか似た語り口の増田が、その「ラスト1マイル」の話を書いていた。

猫背のかりあげゴルゴ氏の話

が、そのラスト1マイルに行き着く前の上流工程では、ビジネスの生臭い話あり、システムトラブルあり、コミュニケーションギャップあり、と、よほどの胆力がないと長くは務まらないといわれる世界でもある。

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その先日のケースで、粘り強い、冷静な、タフな交渉と調整に乗り出して、話をまとめたのが私と私のチームであった。一時は、これは間に合わない、ペナルティを支払って日程再調整のカード(最後の切り札である。1回でも遅配があれば、マネージャー以上は減俸を覚悟しなければならない)を切るしかないと腹をくくったこともあった。

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「患者さんも、投与を心待ちにしていらっしゃいます。メンヘラさん、どうにか。信頼しています」

苦しい状況の中、ファーマ氏が、こちらの弱気になりつつあった気配をおそらく察して、プロジェクトのアドレスとは分けて、私信のメールを送ってくれた。私はそういわれると弱い。からきし弱い。理由は自分でもよくわからないのだが、「患者さんが待っている」といわれると、私には謎の軍神ゴッドマーズが宿り、不思議な力が蘇りみなぎって、たいていのことは何でもしてしまうのである。

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結局は、輸入通関がぎりぎり間に合って、それなら、せっかくだからということで自分で届けた。配送の後、病院側の薬剤部長さんがよくできた、理解のある方で、「内緒ですよ」といって、実際に投薬が行われる予定の小児病棟をわざと通過するように、私の前に立って帰り道の案内をしてくださった。

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話はこれで終わらない。

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知る人ぞ知る話だけれど、治験には、実薬とプラセボが対で投与されるのが習わしである(いろいろあるにはあるのだが、ここではざっくり述べた)。実薬投与群と、プラセボ投与群に、主治医も看護師も薬剤師も患者も、いまここで投与されるのがどちらなのかわからない状態で、投与され、効果が測定される(盲検)。

今回の、難しい病気の女の子にも、そのご家族にも、このことは事前に十分な説明が尽くされ、同意を得てから治験に臨む。女の子は、それでも実薬であること期待するし、私はそのことを人道的でないと思い、そんな状況で手紙を書いてくれたので、気持ちに応えてここに書いておかなくてはと思った。

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手渡された花束に、花束で応えることはできない。そのとき、それでも諦めなければ、種を蒔くことなら、できるかもしれない。

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ちなみに、世界規模で見れば、全て実薬で行っても問題のない統計処理があるとかで、むろん、私は「全実薬推進派」だ。

軍神ゴッドマーズがそうしてほしいと私をそそのかすのである。さらに余談だが、たまに、ファーマとか、厚労省とか、東京税関に足を運んで情報収集と交渉をしている理由のひとつがそれだったりする。

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一方で、現実には、だからこそ、だれか、必要最小限の人は、その薬剤X、番号20190525-P41523が、実薬なのかプラセボなのかを正確にトレースしておかなければならない。ファーマ、治験マネジメント会社、物流会社それぞれのごく一部の担当者、およびピッカー(倉庫から薬剤X、番号20190525-P41523を正確に取り出す係)である。本当は、「トレースできる」と口外することも、よくない。したがって、以下は創作ポエムである。

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冒頭に記した打ち合わせの間、私の頭を占めていたのは、「どうか実薬でありますように」ということだった。ファーマの方も、

「オフレコにしてくださいね。今回のようなことがあると、私も実薬であれば、なんてことを願ってしまいます」

とおっしゃった。そして、

「あ、もちろんメンヘラさんのところではしっかり管理されているからお分かりになるのでしょうけれど」

いい添えて、笑った。

氏は、いい方なのである。私は、氏に、生涯ねこちゃんたちに愛されるお呪いを心の中でつぶやき、ファーマを後にした。

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オフィスに着くなり、私は薬剤の出荷履歴を検索した。証跡の画像をフォルダから取り出した。

実は、上のようには記したが、番号ひとつひとつに、実薬かプラセボかのフラグが立っているわけではない。そんな一覧性のあるデータが存在し、電算システムから抜き出せるとしたら、私たちは業界に暗躍する産業スパイに目をつけられ、どこかに誘拐、連行されてしまう。実際、南米ではそのような事例があったとも聞く。

難病に苦しむ子をもつ父親が、偶然、ファーマの、それを知る立場にある男性と知り合う。子には何としても実薬を配したい。思い余って、誘拐を企てたのだという。もちろんそれだけでは複雑なプロセスに阻まれ、実効力は持たない。

けれど、気持ちは痛いほどよくわかる。私は誘拐を企てる父親に近しい種類の人間だ。

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話を戻して、複合的なノウハウにより、100パーセント間違いなく、今回のこの配送の何番は実薬である、プラセボであるという、確認をとることはできる(できなければ、確実な出荷はできず、ビジネスとして成り立たない)。

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私はトイレの個室に駆け込んで、何度も拳を強く握り、恥ずかしながら涙を流し、よよん君に感謝した。そして、ファーマ氏と、女の子と、この気持ちを分かち合うことができない立場を惜しんだ。

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はてなには、id:CALMINさん、id:kozikokozirouさんほか、病を宿したり、それを見守ったりしている方が少なからずいらっしゃることと思う。病院外で、こんなひとコマがあるということをお読みいただき、少しでも励みにしていただけたなら、うれしい。

おれのくーちゃん(好奇心について)

今日、先ほど帰宅したとき、アパートにあと5メートルで差し掛かろうとする下、左側の塀の上でねこ2人が、発情から交尾に移ろうとするポーズをとっていた。

「なるほど」

おれは頬を緩めた。後背位のオスがメスのうなじを噛んでいる。メスはまんざらでもない表情で身を固くしている。1m程度の辺りを見渡せば、好奇と、やはり発情の入り混じった表情で2人の様子を見ているねこが4人ほどいた。

「なるほど」

おれの好奇心が発動した。A walking man of curiosity.

*

アパートの下に着いた。やや右斜め上、アパートの出窓を見上げる。ねこ様たちがそこにいる可能性は割と低い。そのことを知っているおれは期待3割で見上げた。いつもの、コンマ1秒の情感と期待と反期待である。

くーちゃんが、興味深そうに、交尾に取り掛かろうとするねこたちのほうを見ていた。おれは慌てた。真下から、1歩引き、2歩引き、3歩引き、「くーちゃん」「くーちゃん」と呼んだ。

くーちゃんは少ししておれに気付き、目を移してくれた。

階段を駆け上がった。上がった先から、出窓を確かめる。「くーちゃん」「くーちゃん」と呼んだ。くーちゃんは目を合わせ、おれのことを認めてくれた。

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アパートの戸を開けると、くーちゃんはすでに窓辺から下りていて、おれの脚元に歩み寄ってきて「ふにゃあ」と鳴いてくれた。おれは胸をなでおろした。

帰宅して1時間が経つ。くーちゃんが窓辺に上る気配はない。よく冷えた床でくつろいでくれている。

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カーテンの隙間から、外をそっと見てみた。ねこのカップルはどこかに姿を消していた。

「幸あれ」とおれはつぶやいた。彼らには済まないと思いつつ、再び、胸をなでおろした。