illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

漢方とは何か

以前に、再受験生氏(id:hurends)と土曜日の猫(id:LeChatduSamedi)さんから宿題をいただいていた。

きゃー。

まず「物」「理」「学」について

中国哲学を齧ったニンゲンにとって物理ときいて真っ先に思い浮かぶのは格物致知である。

格物致知 - Wikipedia

ひっじょーうに奥が深いので、かいつまんでいえば、格物致知とは(俺は朱熹を重んじつつどちらかといえば陽明側であるので陽明の立場に倣えば)「内省によって認識の歪みを正し」「物の理(もののことはり)に至り」「よって聖人に至る道」である。よーく考えて、ものごとの仕組みを極めて、何を見ても見えちゃって、だれが見てもこの人は大丈夫だという落ち着き(聖人)に達すること。いやあ、袋叩きにあうで、この「かいつまみ」。

でも、そうなんだよ。つらい。

で、中国の近代思惟において、近代科学の根本原則の1つである「実験」「観察」「再現」「反証可能性」は、西洋のそれのようなあり方としては、あまり問われない/なかった。

いやあ、(以下略)、でも(以下略)。

だれもわかんないんだってば。とりま、2冊お勧めする。

中国における近代思惟の挫折〈1〉 (東洋文庫)

中国における近代思惟の挫折〈1〉 (東洋文庫)

 

上下巻。読めとはいえない。ハードです。でも、通らないわけにはいかない。名著だと思う。

大学・中庸 上 (朝日文庫 ち 3-6 中国古典選 6)

大学・中庸 上 (朝日文庫 ち 3-6 中国古典選 6)

 

この朝日文庫は、読後の満足度が高い。あらためてだけど、島田虔次さん(さんとかいっていいのか俺!)は、すごいね。学識、文体、先見性。なぜ「中国哲学を齧ったニンゲンにとって物理ときいて真っ先に思い浮かぶのは格物致知」なのかが、なんとなく感じ取ってくれるのではないかと思う。こっちは、一般の人でも、古本屋で見かけたら、試しに読んでみていい。僕は大好きで、いまでも読むよ。

ひとまずいえるのは、

  • 内省
  • 属人性(人格の陶冶)

に向かう傾向はあるんじゃないかってことです。

そしてその影響を、近世日本も受けている。

蘭方/漢方/中国医学

再受験生氏のそもそもの関心と今回の問題意識は、医学分野にあったと聞いている。大まかな見取り図を描くね。これ自体がけっこう重要で、知られていない感じがするから。

  • 蘭方:17世紀後半くらいから、長崎商館、杉田玄白/宇田川玄随/華岡青洲/メーデルフォールトに行く流れね。ターヘル・アナトミア/解体新書が西洋風の解剖学的基礎を与えたというのは今回のお題でいえば非常に重要なことと思うね。
  • 漢方:5世紀くらいに渡来人から伝わってきて、中国医学とは別に、日本で発展を遂げた医の体系のこと。「証」を観察することによる対処療法が特徴の1つと思う。
  • 中国医学:紀元前2世紀ごろの「黄帝内経」や、紀元1世紀ごろの「傷寒論」あるいは中世では「本草綱目」あたりを典拠とする。根本に近いところに、陰陽思想がある。ちなみに1950-60年代に毛沢東の指示で集大成が図られた。

元のお題に戻ると、「自然に働きかけその結果を考察する」営みは、蘭方/漢方/中国医学いずれでもきっとあったよね。でも、なんとなくこの中では蘭方だけが西洋医学っぽいよね。なんでかな?

また、その反対側からの話として、僕は、ある種の中国的思惟(人格の陶冶に向かわざるを得ない経典主義、のようなもの)から、医が独立し切れなかった(僕が大学で習ったある先生は、「へその緒がずっとついている状態」と形容していた)のではないかという印象を持つ。のだけれど、ただ、話が大きすぎてこれ以上はとても書けない。

日本漢語の影響

とはいえ、ことばが認識に影響を及ぼす/規定する。その側面から、示唆に富む話をすることはできる。

1つは、杉田玄白の解体新書は、日本人による漢文訳だって点。それも、後に弟子の大槻玄沢が直している(1810-1826ごろ)ように、そして玄白自身が認めているように(僕はこの玄白先生の率直さが好きだ)、誤訳だらけだったという。

誤訳は、まあ仕方ない。それこそ、「実験」「観察」「再現」「反証可能性」野菜瞑想運動喝! で、時代とともに直っていく。ただ、その認識論的基礎を与えた漢語は(正しい訳であったとしても)問い直しは必要だろう。たとえば、「五臓六腑」って何?

以上は、中国語→日本漢語→オランダ語の漢/和訳、という影響の話。

次に、事情を複雑にするのが、これもあまり(その筋以外には)知られていないんだけど、日本漢語が近代に中国に再輸出される点。

その前に

近代史研究/専攻者の間にはちょっとしたジョークがあって、英語やドイツ語、オランダ語に近代的な二字熟語を当てたのは誰? って話があり、知らなくてもまあだいたい「西周福沢諭吉森鴎外徳富蘇峰」って答えておけば当たってる。

だがね、彼らはその熟語をどこから引っ張ってきたの?

日本漢語の中国への輸出

アヘン戦争に相前後して、まあ、前後というかアヘン戦争ショックだから専ら「後」なんだけど、中華(あえて国家とは書かないよ)存亡の危機というので、中国の知識人が約半世紀にわたって(1840-1900)震え上がる。

その代表格のひとりが厳復(1854-1921)。厳復いいよ厳復。大好き。その事績はウィキペディアを読んでくれればいい。興味をもってくれたら、これまた大変にハードなんだけど、以下を。名著中の名著。

中国の近代化と知識人―厳復と西洋

中国の近代化と知識人―厳復と西洋

 

今回のお題でいえば、厳復は医者の家系に生まれる。ただまあ知的エリートのだれしもがそうであったように、いきなり医学には行かない。士大夫科挙)を目指す。そしてこれもだれもがそうであるようになかなか受からない。結局断念して、西洋科学や政治社会学に転向する。日清戦争(1894)に負けていよいよまずいっていうので、まあ、ハードな論考を発表するする。彼なんかは、福州の人で海が近いし、おそらく日本から禁書の網をかいくぐって和訳された西洋思想書を手に入れて、日本漢語に触れていたはず。

もうひとりいる。梁啓超(1873-1929)。

厳復の次の世代。日本大好きで、亡命もしてる。横浜中華街に暮らしてたこともある。日本語もやり、日本漢語もばりばり吸収して、ジャーナリスティックに、いまのことばでいうエバンジェリスト的に、精力的に執筆活動を行う。医学が含まれたかどうかははっきり覚えていないけれど、やはりその認識には深いところで日本漢語があった、あるいは伝統中国のボキャブラリーと日本漢語の間で、葛藤があったはずだ。

余談1

このように、この話は面白く、難しい。まとめの代わりに、中国側から1点余談を。

彭文祖という人がいる。研究者以外には知られていない。ただ彼は非常に面白くて、日本漢語(和製漢語)が大嫌いなんだ。ウィキペディアから引用する。

  • 支那
  • 取締
  • 取消
  • 引渡
  • 手続
  • 目的
  • 宗旨
  • 権利
  • 義務
  • 代価
  • 法人
  • 当事者
  • 第三者
  • 強制執行
  • 親属
  • 継承
  • 文憑
  • 盲従
  • 同化
  • 場合
  • 衛生

これらを含む相当の語彙(ウィキペディアには59個とある)を彼は大正年間(1915頃)に「きちがいざただ」みたいに罵るのね。いくつかは、福沢が作ったものだよね、これ。

でも、いやあ、わかるなあ、これ。同情を禁じ得ない。

この中では「衛生」なんてのは、医療にも隣接する概念用語として、研究対象として取り上げるのには面白いかもしれない。衛青霍去病(なんのこっちゃ)。

余談2

そして、日本側からも余談を。

近代翻訳語について、今回の記事でなるほどおもしろい、もうちょっと入りやすい(ように見える)本で何かないのという声にお応えするために、以下、リンクを貼る。概ねおすすめ順である。

柳父章先生はこの話の流れでは欠かせまい。

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

 

丸山真男先生のこれも。Amazonではなぜか下巻が引っかかるんだけど、(上)(中)(下)ある。もちろん(上)から読んでちょうだい。

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)

 

そして、田中克彦さんの本書。

ことばと国家 (岩波新書)

ことばと国家 (岩波新書)

 

なんだか岩波知識人みたいでやだな…(´;ω;`)

追伸

漢方の「方」ってなんだろうね。公事方御定書の「方」(かた)が熟語になって「ポウ」になったものかな。つまり近世にありがちな(また適当なことをゆった)地位役職(であること)と働き(すること)が渾然一体となったものをお上から頂戴してありがたがるという例のあれ的な。

おあとがよろしくないようで。(´;ω;`)

赤ひげ診療譚 (新潮文庫)

赤ひげ診療譚 (新潮文庫)

 

保本登は、長崎遊学から小石川に(不承不承)戻る。長崎で蘭方ったら当時のエリートコースだ。それが小石川で下働き。恋にも破れて。そんな筋書きを、周五郎はよく思いついたよね。

追々伸

佐久間象山。書き終えて思い出した。

丸山先生も何かの論考で評価していたけれど、再受験生氏のそもそものお題からすると、佐久間はかなりいい線いってると思う。ウィキペディアの以下の箇所は、「鬼神」「聖学」世界から、「実理」(一種の中体西用)を経て、近代兵学/物理学/医学への転換を示す、さりげない、見事な箇所のように思える。

学問に対する態度は、小林虎三郎へ送った次の文書からも窺うことができる。

 

宇宙に実理は二つなし。この理あるところ、天地もこれに異なる能わず。鬼神もこれに異なる能わず。百世の聖人もこれに異なる能わず。近来西洋人の発明する所の許多の学術は、要するに皆実理にして、まさに以って我が聖学を資くる足る。

 

しかし真理に忠実であろうとする象山の態度は、当時の体制及び規範から見れば誤解を受ける要因ともなった。

象山は大砲の鋳造に成功し西洋砲術家としての名声を轟かすと、蘭学を背景に、ガラスの製造や地震予知器の開発に成功し、更には牛痘種の導入も企図していたという。嘉永4年(1851年)には、再び江戸に移住して木挽町に「五月塾」を開き、砲術兵学を教えた。ここに勝海舟吉田松陰坂本龍馬ら後の俊才が続々と入門している。

佐久間から少し遡って、いくつかの元素にいまあるような熟語を当てた宇田川榕菴も、大変に魅力的だ。

むつかしいね、このお題。でも、楽しかったw

和風ベジ丼/ラーメンスープの炊き込みご飯を野菜でねじ伏せる(野菜350g以上)

ラーメンスープの炊き込みご飯を野菜でねじ伏せる。

われながら頭を抱えるタイトルでありリード文である。

しかしうまい。

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これもうまい。だが諸君もうしわけない。本題はこの安上がりな麺類ではない。

ラーメンスープの炊き込みご飯を野菜でねじ伏せたもののレシピ

  1. ご飯(2合)を、ラーメンに投入しなかった味噌スープで炊く。もったいないので。炊く際には、えのきを刻み、トマトをちぎり、ひと味足りなそうなのでツナ缶(ノンオイル)を入れる。よく混ぜ、普通炊きする。
  2. 船橋の佐々木漬物さんから「玉ねぎの甘酢漬け」「白菜の浅漬け」「梅干し」を求めておく。
  3. キャベツを切り刻み、塩もみにし、重しをして寝かし、人も猫に倣って少し昼寝をする。
  4. 炊き上がった1をよく混ぜ、丼に盛る。2と3でご飯部分を覆う。カイワレを飾り、たぶん味気が足りないので、マヨネーズなり、ケチャップなりを少々。

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ひっじょーうに、(僕個人としては)満足度が高い。

佐々木漬物のよさは、もっと世に広められてよい。

sasakitsukemono.sakura.ne.jp

僕は自分でもぬか漬けをする。今日の丼にはぬか漬け(在庫:きゅうり、大根、パプリカ)を添えようかと途中まで構想していたのだが、佐々木漬物さんシリーズで十分にお釣りがきた。

動物性蛋白質が足りないと思えば、これにチーズでも齧っておけばいいだろう。植物性なら、お豆腐かな。

それにしても、玉ねぎがうまい。明日また買ってこよう(ジプロックに入れて冷蔵庫に長く置くと発酵が進んでパンパンになるのが惚れ惚れする)。

エリンギパスタ

id:watto さんがコールをくれたころ、仕事の合間にとあるスーパーに入ろうとしていた。

www.watto.nagoya

うつむき加減に、しいたけ先生の静かで熱いメッセージをぶるぶる感受。

店内に足を踏み入れ顔を上げる。

と、そこには「きのこ類のもぎ取り」コーナーがあった。

のだが、目に入らず、お姉さんの配るきのこ類の試食品とその爪楊枝にふらふらと吸い寄せられていく船橋の私。

「いただきます」

「どうぞどうぞ」

きのこ類のガーリックバター炒めである。うまい。

「うまい。おいしい」

「でしょう?」

んなわけでもぎ取りをし、(ぽきっと折る。1本88円x2)、モランボンのソースもあわせて籠に入れる。あとカイワレ。「xxちゃん売るのじょうずー」後ろで声がする。おばちゃんそれ聞こえるようにいうのね。

わずか200円で、こんなに立派なのが手に入った。(ちなみに切ってパスタに使った残りで、これ)

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ずっしりと重く、雄々しい出で立ちである。

作り方

聞いてきた。

  1. 水で洗わない。
  2. 輪切りにする。輪切りにした上で銀杏にするのは自由。
  3. 2種類以上をブレンドすると楽しい。
  4. 試供品はオリーブオイルだが、お勧めはマヨネーズ(+ケチャップ)で炒める。
  5. スパゲティは時間通りに茹でる。
  6. モランボンのソースがあう。
  7. かいわれをちぎっていれるのが(おねえさんは)好き。

出来た

f:id:cj3029412:20170523150236j:plain

作っている間にくーちゃんはロフトに上がってしまった。

昼間はわりと自由が効く日だったので、くーちゃんに会うために立ち寄ったのに。

(なにせ朝6:10から働いている。それくらいのワークスタイルか威嚇はあってよかろうものを。)

うまい。

www.moranbong.co.jp

その、絶妙にうまいソースが、Amazonにはなかった。

*

dk4130523(id:cj3029412)さんの「無菌の国のナディア外伝」出版&「血液グループ」先生探しプロジェクトを応援します - しいたげられたしいたけ

わっとさんの優しさに心を打たれました。私もリンク先を読みたがらない派です。支援ブックマークさせていただきます。

2017/05/23 15:34

b.hatena.ne.jp

dk4130523(id:cj3029412)さんの「無菌の国のナディア外伝」出版&「血液グループ」先生探しプロジェクトを応援します - しいたげられたしいたけ

わっとさんは本当に優しい。(スマホからだとカラースターが押せない…)

2017/05/23 13:07

b.hatena.ne.jp

くっそー(笑)

みどりの小野さんがあなたのトゥートをお気に入りに登録しました
1 時間前
nekokurumihime✅ @nekokurumihime
みんな id:watto さんが優しいって(まるで俺は優しくない)(ぷんすか)(いいんだよそれで!)w

www.nekotodon.com

*

ふっふっふ。俺は俺で優しくなく、日本会議の実務能力のように(以上13字伏せ字)やらなきゃいけないことがあるんだぜ。

*

引き続き、ご支援、お口添えのほど、よろしくお願いいたします。

またおなじ話してりゅ…(´;ω;`)

また同じ話をします。

今朝6:10に出社して2時間で大半の仕事を片づけました。今日はお昼過ぎに船橋活動のあと、本郷三丁目で大学時代の先輩(恩人)に協力を依頼してきます。

FLASH

(いまの若い人たちはおそらくこのFLASHを知らない可能性がある。)

僕が書いた物語は、ひとつには、このFLASHへのアンサーです。

2つ、忘れられないコメントがあります。「映画化決定!」そして「血液G先生は今もがんばってらっしゃいますよね?」

ずっと、ずっとずっと、だれかが映画化してくれると思っていました。ところがそうは問屋が卸さなかった。いつまでたってもノベライズも映画化もない。僕が握っているから、ではない。2004年春当時、僕のほかに取材の申し入れをしていた方が数人いたと聞いています。

僕は、負けてもいいと思ってた。電車男(出版:2004/10)に先を越されて、この分なら「無菌の国のナディア」も映画化される。に、ちがいない。だって、比べたらわるいけど、作品の愛の純度がまったく違うから。(そう読んでみると、電車男は話が始まったときからメディアミックスしやすい、どこでも鋏を入れやすいある種の軽さがあった。)僕が出版関係者なら、この話は放っておかない。そう思って、あれこれ(いまと同じように)手をつくしてコンタクトを試みたのが始まりでした。

何が重い/難しいのか

ノンフィクションは、時系列で絵巻物を繰るように話を進めればいいというのではないと僕は思います。語り口、通奏低音、シーンを切り取る手の鮮やかさ。印象的な導入部。いろいろあります。たとえば、いつも引き合いに出す山際淳司江夏の21球」。あれ、ノンフィクションライターを目指したころには、書けそうに思いがちなんです。平易だし、題材は目の前に転がっている。あとは、「伝手」(関係者への取材)とチャンス(およびその前提となる若干の実績)があれば、書けるんじゃないか。

書けません。

その証拠に、山際淳司(/海老沢泰久)以降、これといったスポーツノンフィクションの書き手は現れていないでしょう。読んで「よかった」「自分もスポーツノンフィクションを志した時期があった」とまではブログに書ける。野球やサッカーその他のスポーツを見た感想も書ける。

でも、山際作品を読んで味わったときの喉越しのよさ、みたいなものは案外、作れないことに、(その道をいちどでも志した人なら)気づいて愕然とするんじゃないかな。

どの切り口から再現/ドキュメントするのか

山際さんの場合の話は、また別の機会にします。

僕の場合は、先のFLASHコメントにあった「血液G先生は今もがんばってらっしゃいますよね?」でした。そうだよなと思う。

ただもう、これが滅法きつい。周辺取材から、血液グループ先生に、よよん君だったらこう送っただろうなというエールを、浮き立たせなければならない。よよん君はもうなくなっているからね。それに、(以下は作品公開まで自粛)。

「映画化決定!」これもつらかった。(していない。)結果、以下の8章立て(プラス導入部)に落ち着かせた。

  • はじめに:初めてお読みになる方へ 3
  • 第1章:ふしぎな踊り 6
  • 第2章:血液内科医(1) 11
  • 第3章:母 21
  • 第4章:友人(1) 31
  • 第5章:主治医 39
  • 第6章:友人(2) 49
  • 第7章:血液内科医(2) 59
  • 第8章:くまとねこの酒場 65

96分の映画として、各章12分の映像。いいのかどうかはわからないよ。脚本家でも映画監督でもないから。ただ、絵になった姿をいつも念頭において書いていたことは確かです。

ただね、書き上げて、これは再ノベライズ/映像化するのが難しいだろうなという場面に僕自身が出くわした。これ以上はいえない。でもこの形しかないよなと自分にいいきかせながら書ききった。(以下は作品公開まで自粛)

仕事に戻ります(´;ω;`)

本稿のために予定していた40分を使い切ろうとしている。うむ、仕事に戻ります。次回更新は、おそらく今日午後に大学の先輩と話をしてくれば、何かしら動きや思うところがあると思うので、夜にでも。

camp-fire.jp

以上、ひとり宣伝部長でした。

ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

みんな気づいているかもしれない話

例の件、早速ご支援をいただきました。idコールはお嫌いな方がいらっしゃるかと思い、代わりに御礼の小(?)噺を。

*

猫のコピペで好きなのはいくつかあるけど、今日引くのはこれ。

23 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2010/03/22(月)

15:15:49.34 id:A1u8wKhf0

【お悩み相談】ずうずうしい野良猫

Q.通ってくる野良猫が大変にずうずうしく、困っています。

始めは家の外でみゃーみゃー鳴いて飯をねだる程度だったのですが、

この寒空、外は辛かろうと一度玄関に泊めたのが運の付き。

それから飯をねだるだけでなく、毎日家の中に入ってきて、

6kgの巨体でホットカーペットを占領するようになりました。

野良の分際で、根が生えたようにホカペから離れず、

家人が部屋のドアを開け閉めすれば寒いと鳴き、

部屋から人がいなくなれば誰か来いと鳴き、

人が来たら来たで撫でろと鳴き、さらには膝に乗せろと要求する始末。

それでいて、自分が外に出たいときにはとっとと窓際に行き、

夜中だろうが家人が寝てようが窓を開けるまでおらび倒します。

こやつ、一度私にとっ捕まって去勢手術されたのですが、拉致して

痛い思いさせた相手の前だというのに腹出して寝ている姿を見ると、

野良としての矜持はどうしたと小突きたくなります。

どうすればよいでしょうか。

 

A.あなた以外はみんな気づいていると思いますが、その猫は

野良猫ではなく、あなたの飼い猫です。いままでどおり、やさしく

世話してあげてください。

nekomemo.com

*

私は、自己愛性パーソナリティ障害、あるいは回避性パーソナリティ障害の気が、けっこうあります。自己抑制的な性格でもあり社会的には傲慢なタイプではないと思うのですが、太宰治が抱えていたという「慢性的な虚無感や疎外感」は、とてもよくわかる気がします。また、「妥協を許さぬ完璧主義者であった。祖母に溺愛され、母との情緒的な繋がりを持ちにくかった」なんていう三島由紀夫評は、共感を禁じ得ないところがあります。

社会に適応するために、精神的腕力にものをいわせてねじ伏せてきました。結果、44歳の今日までやってくることができました。それが、なぜいまさら思い至ったかというと、「セカンド・オピニオン」の原稿を脱稿したときの虚無感が並大抵のものではなかったからです。また、執筆に15年もかかった理由もそこにあります。そこにあるのだと、我が身を振り返ってようやく気づき(素直に認めることができ)ました。

*

血液グループ先生の名誉のために、作中では触れませんでしたが、血液グループ先生その人もまた、非常に厳しい(教師と聞きました)お母様に躾けられた方です。お父様は外洋船の船乗りで家にはほとんどいない。血液グループ先生は弟さんとふたりでお母様のことを「鬼」のつく伝統的な日本の罵りことばで呼んでいたそうです。そのあたりの事情は、高橋まつりちゃんについて思うところを記した記事で触れました。

dk4130523.hatenablog.com

*

頭のおかしいことを書きますが、私は、物語なんてものは、実用でなければ意味がないと思っています。手にして、読んだときに、圧倒的な共感やカタルシスや同時代的幻影が立ち上ってきて、「ああ、生きていてよかった」と思うものでなければ、なんだそりゃって感じですね。

私は、血液グループ先生が、今回の物語を手にしたときに、物語と現実の時間軸が重なり合って、「書いてもらってよかった」と思ってもらえる取材、構成、筆致にしようと、悪戦苦闘を重ねてきました。それは同時に、私自身が読んで救われるはずの物語でなければならなかった。あたかも、血液グループ先生がよよん君との…いや、なんでもない(笑)。

*

不思議なことに、書き終えて、読み直してみると、「ああ、これは俺の話でもあるんだな」って認めることができたんですね。これをいうと感情に波風がたってきついんですけれど、母親も、父親も、難しい人でした。母親は亡くなり、そのときにおそらく和解できたんじゃないかな。父親は、おそらくいまだに何が問題だったのかを理解していない。

それでね、その辺の話を、「ええかっこうしい」ばかりでなくて、俺はもうちょっとブログで発信してもいいんじゃないかと思ったわけです。生々しい話をしたらドン引きですが、実際問題、振り返ってみれば、俺のこの病はもう30年以上の付き合いです。

「ばあさんの作ってくれたもの以外は飯がうまいと思えない」とかね。「道を歩いていると日の光になんだか負けちゃいそうな気がして引き返してきました」とか。いろいろあったんだけど、離婚した理由は「この病に大切な人とその人生をこれ以上付き合わせる/費やさせるわけにはいかない」が内心けっこう大きかったとか。(ちなみにここが俺とサイバーメガネ(id:netcraft3)をわける分水嶺の1つかもしれない。)

*

どうです? こんな話、需要ありますか? 東大出て中間管理職たって実際しんどい/しんどかったんだぜ、みたいな話。ま、文才(読ませる文体)次第なんでしょうけど。

増田でやれってかw

*

そうした、万感をレトリックに溶け込ませたつもりの作品でございます。

引き続き、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。

camp-fire.jp

追記:

俺みたいなタイプは、早々に再婚すりゃよかったのかもしれないね。でもねえ、我が病を癒やして独り立ちして、それからにしないと、関わった人に迷惑をかけるからと、極端に思い込んでしまったところがある。それくらい、この病気はキツいのよw

「無菌の国のナディア」外伝の件 CAMPFIREでプロジェクトを公開しました。

「無菌の国のナディア」外伝の件 CAMPFIREでプロジェクトを公開しました。

camp-fire.jp

もう少し、収益化のところに本音でぶつけた(「高額紙幣ください」)メッセージを前面に出してもよかったかなという気持ちはありながら(笑)、修正/再申請には数日を要することもあって、時間のとれるこの週末を逃したくない気持ちを優先させました。

*

書いた内容は、自分としては、ベストです。付け加える形でいいたいことはたくさんあるんですが、それは作品を手にとってくださった読み手に委ねられるべきことと思います。

*

あとは、プロジェクトが少しでも人目に触れるよう、地道に活動を進めていきます。

*

1部3,000円とややお高めですが、自分だったら支払うだろうなという線です。また、目標の1,000部も、これくらいは広まってほしい、電車男が100万部なら、その1/1,000くらいはという気持ちです。

電車男 - Wikipedia

*

何か、お聞きになりたいことがあれば、コメント/ブコメでも、CAMPFIREのほうでも、どうぞお尋ねになってください。

*

では、あらためて、みなさまのご支援をよろしくお願いいたします。

進捗報告です(という名の自己解題)(の、ようなもの)

「無菌の国のナディア」外伝の件、進捗報告です。

本日さきほど5/18夜にCAMPFIREさんにプロジェクトの修正再申請を行いました。修正ポイントはリターン(印刷物)の発送時期です。7月末にプロジェクト完了、8月に発送準備、9月お手元着としました。他、いくつかリターンの種類を増やし、文言の修正を行うなどしました。

それはさておきサンプル公開です。先日先行でお披露目したものに、もうちょい範囲を広げました。

http://kumabooks.com/Second-Opinion-Sample.pdf

CAMPFIREの申請中のプロジェクトページにもリンクを貼ってあります。

*

原稿が仕上がり、あとは世に問うだけの段となり、気分がいいので少し与太話をします。させてください。させていただきますです。

*

電車男(2004年10月)のころ、僕の今回の原稿はもうちょっと早く仕上がって、電車男を追いかける展開をイメージしていました。

これは僕の筆力が、というのではなく、スレッド(コンテンツ)自体のもっている力です。当時、電車男の何が面白いのか、正直にいえばまるでわからなかった。何かが見え透いている。変な表現ですが、そう思いました。仕掛け人がいることが見えている。

それに対して、こっち(医者ってさ無菌の国のナディア)はいまのことばでいえば「ガチ」です。ガチ中のガチ。ただ、それでも、血液グループ先生にしても、よよん君にしても、実在を疑う/運営のやらせ説みたいな声は存在した。

それが、僕には不思議で不思議でならなかったですね。まあ、気持ちはわかるし、放っておけばいいんですけれど。ただ、それもまた、当時の2ちゃんねるの深層の雰囲気でした。

*

これは、以前にお披露目したかな。

こっちは、URLを掘ればいいだけだけれど、まだだったでしょう。

この行為がね、(たまたま2ちゃんねるで居合わせた見ず知らずの他人が、たまたま血液内科医だったというだけで、ここまでやって)いいのかどうか、わからないですよ。ちなみにこれ(いいのかどうか、わからない)は、「圧倒的にいいこと」だと思うときの僕のいいかたですけどね。

あ、わが恥を晒しておかなくては。

そして、
多くの人々の心を繋いだこのエピソードは、
今後、ある形となって
世に出るかもしれない・・・。

これ、僕の今回の物語のことです。きゃー(=^・^=)

ちがうんだ、2004年8月9月時点ではもうすぐ書けると思っていたんだ。でもね、結びにあたる8章部分の会話が、ということはつまり僕のこの物語に対する根本的な認識が、からきしだめだった。当時31。わかるわけがない。いま44だけど、それでもやっぱりぎりぎり手がかかった、くらいかな。

よし、がんばる。

f:id:cj3029412:20170518220013p:plain

ここんとこは、チャンドラー「The Long Goodbye」(ということは近代の探偵小説の最良の部分)を、少しだけ、ほんの少しだけ、意識している。つまりだね、なぜ人はものごとを調べて物語にわざわざする、せざるをえない、したくてしたくてたまらないような題材との出会いが、それと意識されるような形でありえるのかということだ。うむ。うむじゃねーだろw

*

このことは、この場で、いずれ続きを書くこともあろうか/書かなくてはと思う。なぜなら、僕をこの認識にまで運んでくれたのが、はてなブログだからだ。いっつもやさぐれている自分を発見する/した。自己認識は1人じゃできないんだ。実につまんねー悟りなんだけどさ(笑)。

2002年当時の、2ちゃんねるには、それがあったんだよ。

173 名前: 卵の名無しさん 投稿日: 02/03/14 21:21 id:RE08lnIC
ここは匿名の掲示板だからなんでもいえる
だから

俺も祈っている。

できることならば、俺、この173さんに会ってみたい。

dk4130523.hatenablog.com

dk4130523.hatenablog.com

プロジェクトの進捗、またお知らせします。