illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

またおなじ話してりゅ…(´;ω;`)

また同じ話をします。

今朝6:10に出社して2時間で大半の仕事を片づけました。今日はお昼過ぎに船橋活動のあと、本郷三丁目で大学時代の先輩(恩人)に協力を依頼してきます。

FLASH

(いまの若い人たちはおそらくこのFLASHを知らない可能性がある。)

僕が書いた物語は、ひとつには、このFLASHへのアンサーです。

2つ、忘れられないコメントがあります。「映画化決定!」そして「血液G先生は今もがんばってらっしゃいますよね?」

ずっと、ずっとずっと、だれかが映画化してくれると思っていました。ところがそうは問屋が卸さなかった。いつまでたってもノベライズも映画化もない。僕が握っているから、ではない。2004年春当時、僕のほかに取材の申し入れをしていた方が数人いたと聞いています。

僕は、負けてもいいと思ってた。電車男(出版:2004/10)に先を越されて、この分なら「無菌の国のナディア」も映画化される。に、ちがいない。だって、比べたらわるいけど、作品の愛の純度がまったく違うから。(そう読んでみると、電車男は話が始まったときからメディアミックスしやすい、どこでも鋏を入れやすいある種の軽さがあった。)僕が出版関係者なら、この話は放っておかない。そう思って、あれこれ(いまと同じように)手をつくしてコンタクトを試みたのが始まりでした。

何が重い/難しいのか

ノンフィクションは、時系列で絵巻物を繰るように話を進めればいいというのではないと僕は思います。語り口、通奏低音、シーンを切り取る手の鮮やかさ。印象的な導入部。いろいろあります。たとえば、いつも引き合いに出す山際淳司江夏の21球」。あれ、ノンフィクションライターを目指したころには、書けそうに思いがちなんです。平易だし、題材は目の前に転がっている。あとは、「伝手」(関係者への取材)とチャンス(およびその前提となる若干の実績)があれば、書けるんじゃないか。

書けません。

その証拠に、山際淳司(/海老沢泰久)以降、これといったスポーツノンフィクションの書き手は現れていないでしょう。読んで「よかった」「自分もスポーツノンフィクションを志した時期があった」とまではブログに書ける。野球やサッカーその他のスポーツを見た感想も書ける。

でも、山際作品を読んで味わったときの喉越しのよさ、みたいなものは案外、作れないことに、(その道をいちどでも志した人なら)気づいて愕然とするんじゃないかな。

どの切り口から再現/ドキュメントするのか

山際さんの場合の話は、また別の機会にします。

僕の場合は、先のFLASHコメントにあった「血液G先生は今もがんばってらっしゃいますよね?」でした。そうだよなと思う。

ただもう、これが滅法きつい。周辺取材から、血液グループ先生に、よよん君だったらこう送っただろうなというエールを、浮き立たせなければならない。よよん君はもうなくなっているからね。それに、(以下は作品公開まで自粛)。

「映画化決定!」これもつらかった。(していない。)結果、以下の8章立て(プラス導入部)に落ち着かせた。

  • はじめに:初めてお読みになる方へ 3
  • 第1章:ふしぎな踊り 6
  • 第2章:血液内科医(1) 11
  • 第3章:母 21
  • 第4章:友人(1) 31
  • 第5章:主治医 39
  • 第6章:友人(2) 49
  • 第7章:血液内科医(2) 59
  • 第8章:くまとねこの酒場 65

96分の映画として、各章12分の映像。いいのかどうかはわからないよ。脚本家でも映画監督でもないから。ただ、絵になった姿をいつも念頭において書いていたことは確かです。

ただね、書き上げて、これは再ノベライズ/映像化するのが難しいだろうなという場面に僕自身が出くわした。これ以上はいえない。でもこの形しかないよなと自分にいいきかせながら書ききった。(以下は作品公開まで自粛)

仕事に戻ります(´;ω;`)

本稿のために予定していた40分を使い切ろうとしている。うむ、仕事に戻ります。次回更新は、おそらく今日午後に大学の先輩と話をしてくれば、何かしら動きや思うところがあると思うので、夜にでも。

camp-fire.jp

以上、ひとり宣伝部長でした。

ご支援のほど、よろしくお願いいたします。