illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

レゴのレター in 1970s

いい詩、いいレターだなと、ちょっと感動したので。日本語訳も見当たらなかったので。

To Parents

The urge to create is equally strong in all children. Boys and girls.
It’s the imagination that counts. Not skill. You build whatever comes into your head, the way you want it. A bed or a truck. A dolls house or a spaceship.
A lot of boys like dolls houses. They’re more human than spaceships. A lot of girls prefer spaceships. They’re more exciting than dolls houses.
The most important thing is to put the right material in their hands and let them create whatever appeals to them.

ご両親へ

何かを作ってみたい。それは、すべてのお子さんが等しく持つ強い気持ち。男の子でも、女の子でも。
そのときに考えてあげたいのは、技術ではなく、想像力。頭に浮かんだものを、好きなように組み立てる。ベッド、トラック、人形の家、宇宙船。
人形の家が好きな男の子は、たくさんいます。宇宙船よりも人の親しみがあるから。宇宙船が好きな女の子だって。人形の家よりもわくわくするから。
しっかりした材料を子供たちの手にとらせて、あとは作るに任せる。どうか、大切に。

(ちょっとくさい訳なんだけど…)(おれ田村隆一に私淑する詩人だし…)(詩人だったのか…)

b.hatena.ne.jp

船橋海神造園部

今週のお題「部活動」

もの悲しい(もの=なんとなく)ので(いつもじゃねえか)船橋海神の街を散策することにした。うそ。天沼弁天池公園で「第83回緑と花のジャンボ市」が開催されるというので立ち寄ってみた。

funabashi-tsushin.com

船橋について

東京駅から総武線快速で30分。

ジョルダン 乗換案内

総額:388円(IC利用)
距離:23.2km

■東京 総武4番線発
| 総武線快速(君津行) 23.2km 4・5・8号車
| 13:54-14:22[28分]
| 388円
船橋 4番線着

テキスト|東京→船橋|乗換案内|ジョルダン

最近、駅前を中心に再開発が進み、いまの船橋をいたく気に入っている身としては、武蔵小杉化が進むのではないかと心配しています。

www.businessinsider.jp

まだ古い街が残ってる

ここは成田詣の精進落しの場所。要は嫁はんに「成田さんにお参りいってきまっせ」といって仲間内と連れ立って「ほな精進落しでも」「にこにこ」と立ち寄る悪所遊郭、赤線地帯、それが船橋海神、船橋新地。数年前まで駅南の一角にはソープランドが残っていたが(いまでも悪所を思わせる建築はちょいちょい残っている)取り壊されたり火事に遭ったりして、すこしずつデベロッパーの影がしのびよる。

tokyodeep.info

きょう話すのはそれとは反対側。船橋新地は船橋駅の南側すぐ。きょうの話は北側の海神町と本町。

「緑と花のジャンボ市」に行ってきた

船橋駅北口からそのまま直進するとすぐに公園の入り口が見えてくる。

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よい。よさしかない。はりぼてである。いいのだ。

ジャンボ市に来たはずなのに入り口から市までの距離が長い。お花がきれいで見とれる。

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会場をみつけた。手作り感があってすばらしい。

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にこにこ。年寄りしかねえ(毒蝮三太夫)といおうと思ったがその年寄りも少ない。お花の市はこうでなくちゃいけない。

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わびしい。にこにこ。しゃがんでプランターを眺めても商売気のある人が寄ってこない。ほのかに緑とお花のいい香りがする。

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申し訳程度に船橋アンデルセン公園からの出張演目。

ふなばしアンデルセン公園:TOPページ

行かない。アンデルセン公園に行くくらいならしょぼしょぼとおれは天沼弁天池公園を歩く派閥だ。

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うん。よき哉よき哉。

お土産

お土産に、船橋の黒土を無料で配っていた。

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「明日の分もありますか」と尋ねたら係の人が「いま出ているのは今日の分だけです」「明日はまた別に出ますのでだいじょうぶです」「ありがとうございます(にこにこ)」。

船橋の黒土は聞いたことはないが配っているくらいなら質のいいものなのだろう。フェイントではなく明日おれは立ち寄るつもりでいる。

搬入の姿

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すばらしい。ちなみにおれの住む海神は庭木にやたらと柑橘が多い。近くの婆さんに聞いたところどうも昔からこの一帯は多いとのこと。

海神の街並み

南側のいかがわしい界隈ではなく、北側、東葉高速線の東海神に通じる昔の道に、実は海神の古き良き街道筋を感じさせてくれる一角がある。ご覧あれ。

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右手前のお稲荷さん(?)を接写。

f:id:cj3029412:20170422132504j:plain通りの反対側から。桜の季節には見事なアーチを描く。

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なんとも雰囲気のある(まだ怖気づいて入れない)小料理やさん。

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その他

以下は小ネタというか、同じ通りの地元では知られたB級スポットと、最近新しく建てられたモダンな教会。

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ギョっとする。(だめだ…)

keiyonettaigyo.blog89.fc2.com

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街に戻る前に悔い改めておきたい。

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だめだ。よくみたらチャペルと書いてある。駅前から移転してこっち(海神側)に来た模様。

インマヌエル船橋キリスト教会

部活で造園部がないのは文科省の怠慢

だらだら散策したい。緑を眺めたい。じいさんばあさんが手をとって庭木を眺めているのを見ると心温かい気持ちになる。蹴球は野蛮だ。帰り道には「おじいさん、こんなところに熱帯魚のお店が」「こっちには飲み屋あるぞ」「せっかくだから夕飯をいただいていきましょうか」みたいな会話をするのがよい。そういえば、おれは20代からずっとこんな感性だった。

*

それはさておき、「第83回緑と花のジャンボ市」明日4/23までです。何もないです。でも、船橋って不思議な魅力があって、一度くると、吸引されます。新旧の街が徒歩5分10分でリバーシブルに味わえる。ほかにも紹介したいスポットがいくつかあるので、このシリーズ、気が向いたらまたやります。では。

落穂拾い

ちょっと反省。悲しみ本線日本海のほうに向きすぎたので。

dk4130523.hatenablog.com

ほんとは、現場で格闘している人に対して何かもの申すのは好みではなく、しかしそのような理由はどうあれ「結果的」出し惜しみがおれはよくないなあなんて思い。

落穂拾い、しゅる。

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File:Jean-François Millet - Gleaners - Google Art Project 2.jpg - Wikimedia Commons

その子のいいところをほめる「方法」

勉強を教える-教わる関係の中でほめるべき切り口が見つからないような場合でも、たくさん話をしているうちに、たとえば学校の部活動や、地元のコミュニティでの活動など、何らかのその子の「ここをほめれば響くんじゃね?」「先生ほめて!」みたいなキーワード、サインが見つかることがある。

これはあるんじゃないかな。だってそういう子って隙あらば目の前の勉強=課題から離れたくてしょうがないから。ちょいちょい雑談を挟んでくる。ひとこま60分? 80分? のなかで、いいんじゃない? 10分くらいは小休止を挟んでそういう話しても。

それで、小見出しに「方法」って括弧書きにしたのは、ことばでほめるのは二の矢三の矢、まず、ことばじゃないんだぜってこと。「ことばと行動とどちらを信用しますか」「はーい先生行動です!」ってよくやるでしょ。でも教える現場だと手枷足枷が多くてなかなかできない。

おれてきな経験から、効果的なのは、その子の見てほしい活動にお忍びで、出向く。お祭りで太鼓叩くソーラン節やるっていったら、足を運ぶ。吹奏楽のコンテストがあるって話てたら、花束もって、行く。大変だけどね。見なきゃわかんないし、見たら見たでやっぱり「おおー」って思うのよ。

その子のいいところをほめる「方法」の下準備

クラス授業なら、たとえば20人クラスなら、まあだれかしら、相互の人間関係のなかで「だれ君だれちゃんはxxがすごいんだよ」みたいにいってくれる級友がいる。1人か2人は、それでもどうしても浮いちゃうのがいる。それはとりあえず、しゃあない(ただし後述)。もし、お祭りやコンテストに行けなくても、クラス授業なら、順繰りに、あるいは話題に出たタイミングで都度ほめればいい。「おおーすげー」とかいって。

実際、すごい。中2中3くらいになるとおっさんじゃ50m走ぜったい負ける。勉強では目立たなくても中体連で勝ち残る子とか、芸能プロダクションに入ってる子とか、いる。いた。一方では、受験勉強を相対化したなれの果てがおれだからね、本気で感銘うけるのよ。

ただし問題もある

ここ5年10年トレンドの個別指導、少人数指導。あれは僕は反対派です。人数減らしたってその分できるようにさせられないって。たまに、ハマってうまくいく生徒はいる。ただ基本的には、錯覚。学習塾予備校側の売り文句にすぎない。20人から25人が適正だよ。おれの場合は。2人3人でぴしっと緊張感もたせるのはかえってよほどの力量が必要。見習い講師のうちは15人18人が適正だっておれはよく主張してた。全体が盛り上がる、その盛り上がりに引きずられる子、それを周りがフォローする効果、いろんな相乗効果が適正人数クラスにはある。年間通じた、そのダイナミズムが醍醐味なわけで。

実効性のほかにも、問題がある。それは、集団の中で吸収される複雑な生徒どうしの人間関係、その一方で見えてくる/(生徒自身が)気づいてくる長所、そのキーワードの萌芽が、なかなか捉えにくい。

特に、上で後述と記した、クラス20人の中の浮いちゃった1人2人が、クラス授業では煮ても焼いても食えなくて、個別少人数に流れてくるという図式がある。もしそうだとしたら、子供は自分がお払い箱になったという認識はあるからね。

話かわるけど、捨て猫。あるいはシェルターや譲渡会を転々としたり出戻りになったりする猫ちゃんがいてる。彼ら彼女たちは傷つくんだよ。おれも初めは「まさか」と思ったさ。でも、猫は、ちゃーんと、自分がされた仕打ちを理解して、傷ついている。

猫は知っていた(仁木悦子)。

猫は知っていた (講談社文庫 に 2-1)

猫は知っていた (講談社文庫 に 2-1)

 

猫は動物だから、子供は可塑性に富むから。うそいってんじゃねえ。いいおっさんおねえちゃんが傷引きずってめそめそしてんじゃねえか。

ほかにも問題がある

私的チャネルをどう作るか。平たくいうと、LINE、Facebookは論外として(ほんとに論外なのか?)、メールアドレスくらい、コミュニケーションに難のある生徒なら、なんとかして知って/聞き出して/交換して、話をしてみたいよね。

20年前なら、ちょうど国内インターネットの勃興期だったから、国語なり公民なりで、インターネットやメール配信の仕組みをレクチャーする中で、間違えたふりをして、自分のアドレスを板書しちゃう。なしなんだけど、ありっちゃありだった。でもそんなこといまやったら大目玉食らうでしょう。

個別少人数指導だからそういう私的情報網の交換ができるかというと、そうでもない。むしろいろいろと仕組みや監視が厳しい。自由度が低い。当然だし、多くは、何もそこまで(私的チャネルに訴えかけるまで)しなくても、そこそこ勉強はやらせられる。

ただねえ、いいんじゃないのという気はする。だって子供は目の前の大人の一挙手一投足、これまでの人生、これからの可能性、ロールモデルとして講師を見るわけよ。見られてんだってば。そんときに跳ね除ける説明原理が「決まりだから」だけじゃ、もう次からおれなら来たくないよ。

子供は自分に都合のいいメッセージ部分だけを頭に残す

「ごめんね、決まりなんだ。ほんとはお話したいんだけど、どうしたらいいかな」っていって、子供に「ごめんね」と「お話したい」だけを残してやる、みたいなのがコツといえばコツ。都合よく解釈して紙切れに謎の文字列書いて渡してくれるようになればしめたもの。教務主任に「こんなのくれたのでよく注意しました。廃棄します」と報告してシュレッダーにかけて、でも謎の文字列は頭に刻み込む。もしくはトイレで携帯に転記する。まあでもいまは授業時間や休み時間のやりとりすら、録画録音されるからね。安い時給でそこまでやるかというのも、またなんじゃらほい。

まとめ

ないですよ、ない。もうしわけない。

だいたいだね、猫日記さん(id:LeChatduSamedi)は、日々刻々(やや誤用)、こんなことは考えて現場で立ち向かったりかわしたりしてるんだと思う。だから、アドバイス(おえー。※個人の感想です)じゃなくて、自分が前の日に書いたことへの、拾遺。

ただ、教える-教えられるという関係の非対象性(これは若き柄谷行人の慧眼)を、よほど考えて、いろんなテクニック、小手先のものがほとんどかもしれないけど、が身にしみたのは、よかったと思う。おれは自分の財産だな。キャバクラで金を払って寄席をやる(575)。知的労働者は、自分のノートと、失敗の記録を、現場と後生畏るべしに残すことが最低限の倫理ではないかしらん。

まいったね。またいずれ、ほとぼりがさめたころに。

Mastodonインスタンス建てました(www.nekotodon.com)

Mastodonインスタンス建てました(www.nekotodon.com)。(※悲しみと技術はべつものです)

www.nekotodon.com

いまのとこ、くーちゃんと id:usausamode さんだけです。(2017/4/21, 7:30am時点) id:usausamode さん、いろいろありがとう! ちなみに、

  • 中の人が旧人類なのでwwwがついてます。
  • 「ねこ」「丼」(おいしいもの)のお話歓迎です。ほかに、イカ以下の属性をお持ちの方が歓迎されます。
    船橋在住の方
    ・人文系に造詣の深い方(古典、落語、ジャズ…人文じゃないな)
  • くーちゃんがかなしむおはなしやえやしゃしんはだめです。
  • サーバを建てるにあたっては、次を参考にしました。

    qiita.com

またおいおい技術的知見の共有やら、運営方針やら、お知らせしていきます。

あ、当面の目標。

  • 山田とどん(あれはうどんではなくとどん)yamadatodon.comとフェデレーションする

www.yamada-udon.co.jp

よろひくおねかいします。

追伸:たのしいよー!

生きててよかったシリーズ

どうも。例によってあまりヒットしない、中身と関係ないタイトルで押すスタイルの私です。

猫日記(id:LeChatduSamedi)さんがとてもいい文章を書いていらっしゃる。

lechatdusamedi.hatenablog.com

どうしてこの先生はこういう(政治家のようで)(味わいのある)タイトルをつけるのか。そしてどうしてこういう、

受け持っている生徒たちが総じて、自虐的な発言ばかりします。

見事な導入をなさるのか。前はこうじゃなかったはず(朧げ記憶による)。凡百の書き手ならここから「きょうのできごと」「きょううけもったせいとのはなし」をして読み手をげんなりさせる。しかし猫日記さんはそっちには行かない。抽象度がほどよく高く何をいっているのかわからない(わかる)。そしてほの悲しい。私はあらためて冒頭の2文を読んでふふふっとなった。猫日記さんは冴えてる。そしてその冴えに対して何か余計なお世話をしたくなった。

*

突っ込みを入れます。その前に自己紹介ですが私は18歳の誕生日を迎える前に大学の二次試験の合格発表がありその足で下宿とアルバイトを決めた。春期講習で英語と国語と社会を17歳で受け持った。いらいブランクはありつつも延べ20年くらい週末副業で何やかや北条かや(あかん。そうじゃない)と、教団(ちゃう)教壇に立ってきました。うへえと思いながら。

通したで。偏差値46で通すべきところには通し、偏差値70の赤門界隈まで。その具体的な話は、野暮になるからやらん。

*

よくわからない図をきょうは2枚、持ち出します。

まず図1。

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学習塾予備校界隈の共通の物語、フィクションはこれですね。

このおとぎ話に乗ってくれるお家なら、乗ってくれる生徒を本部が集めてくれりゃ、そりゃ簡単だわ。やらしゃいい。反復。毎日覚えるまで帰宅させない。中1で勉強の苦手な子なら常用漢字、四字熟語、英単語、熟語、計算ドリル、パターン演習、暗記暗記暗記。都道府県の条例で定められた夜間外出時間帯のぎりぎりまで帰さない。親に迎えに来ていただく。感謝されるで。中1と中3で持たせてくれたら、まあ県立高校の中位には引っかかるよ。わしが通す(※震災前の特定地域における個人の感想です)。

*

しかし現実はこっちです。

図2。

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この下のほうのもやもやモクモクっとしたほうね。

上の連中は、部活終えたら伸びるんだ。得体の知れない充実感と自己肯定感が育ってるから。かような奴らには、高校受験で使い減りさせないで、2番手3番手校に進ませて、大学受験で勝負するように言い含めるやり方もある。基礎体力と根性あるから強いで。部活で躾がピシっとしてるから「やれ」「はい。やります」ゆうたらほんまにやりよる。そこで勉強がぼちぼち行かんようになっても、得意と人間関係がすでにあるから、食べてける。(うらやましい)

*

問題は、下のほうのもやもやモクモク組です。猫日記さんが面倒をみてあげてるのもこっちでしょう。わるいけど、どうにもならんのよ。比喩的にいうと、自我が形成される前の「おっぱい」が欠けてるから。抱きしめてもらったとか、守ってもらったとか、背中で教えてくれたとか……そもそも、自己肯定感なんて根拠ないのよ。なまじ根拠があったら問い直したら壊れちゃう。問うても問うても、「ああ、俺は私は生きててよかったOK牧場」的な底付き、疑い得ないものを、長い時間をかけて自分で(再)発見するしかない。

*

次のようにもいえる。勉強というある1つの価値観にたまたまマッチしたとして、その価値に即して生きていられる間は、自己肯定感の底付きを見ずにいられた秀才がいたとする。価値が崩壊したり、それだけじゃ立ち行かない人生の局面を前にしたら、どうする?

*

おれは答えを、一例だけ知っている。秀才側、それも「超弩級」の側だから、猫日記さんのお題には合っていないけれど、俺の持ち合わせの札にはそれしかない。ビリギャルじゃないぜ。

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

 

 

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

 

坊っちゃん」(の清)(の発見)から、「私の個人主義」に至る、漱石の軌跡がそれだ。この話は長くなるのでこれ以上しないけれど。

*

他人のふんどしは好みでないし、フェアではないと思うから、代わりにおれの話をする。すまんね。

おれは、精神的に1度、物理的な意味で1度、母親に包容(抱擁)されたことがある。

精神的にというのは小学5年生のときのことだ。算数のテストで15点をとった。「割合」がわかんなくてね。(おれ食塩水まぜたりしないし。)担任に母子で呼び出されて、説教くらった。帰りの車の中で、おふくろ、えらい険しい顔つきをしてるから、こりゃ帰ったら叱られるなと思ってたら、帰るなり「素地のいい子に満足/十分に教えもしないで、子供のせいにする教師がいる」って、副校長に電話し出した。驚いたね。まあ、そのあとキッと睨まれて、山ほどプリントやらされたんだけど。

物理的ってのは、何かつまんないことで嘘ついたんだ。もうバレバレでさ。白状するまでずっと差し向かいで正座させられて、いよいよ参ったってんで手をついて謝ったら「正直にいえる子でよかった」って、おふくろぽろぽろ泣き出して、おれを抱きしめて、そのあと一緒にカレーか何か作ったのかな。その日、台所に立つおふくろ、やけにうれしそうだったのをいまだに思い出すことがある。

*

そのおふくろが、息を引き取る3日前に、おれの生まれてこのかたの悪事を時系列で並べた話は前にも書いた。

そのとき、実は、おれも(苦笑いしながら)悔しくて(というか、いましかない、こりゃ返す刀で斬るしかねえだろうと)、上の2度の「包容(抱擁)」の話を持ち出した。おふくろ、黙って少し目を閉じて、開いてから「もうだいじょうぶね」って。

「ああ」とも「うん」ともつかない返事をした。続けて、「まあさ、しんどい人生だけど、おれは生まれてきてよかったと思う」とかいう間抜けなことをいった。「ありがとうね」とおふくろはいった。(そりゃおれの台詞だぜと思いつつ)後悔しているのは、おれはあのとき、おふくろの薄くなった背に手を回して抱いてやりゃよかったなって。照れくさくて、握手だけして別れたんだけど。

*

おれも、いまだに苦しいことがある。内発的な、自信の持ちようがない。勉強という、たまたま20世紀21世紀ジャパン的な価値観にフィットしたという、恵まれた点があったことは認める。だが、猫日記さんの書いているとおりで、おれは「そこ」がおれを満たすべき本当の価値ではない予感を否定できない。

おれは、肩たたきがうまいんだ。

*

長くなったので、きょうはこれくらいで。この話は、たぶん、またすると思う。すまない。

恋と自覚と自己紹介

今週のお題「自己紹介」

ニャートさん(id:nyaaat)が生きていた。おれも生きていた。よかった。

生きていたと思ったらまた書いてる。あいかわらずおもしろい。よかった。

お金の打算をしないで恋愛できる女性が少ない理由 - ニャート

nyaaat.hatenablog.com

でね、おれ、もの申したいことがある。いきなり切り込むよ。

*

ニャートさんって(あとで引く、例のあれを読むまで)論壇の人、論陣を張る人だとずっと思ってたんだ。プロフィールがそうでしょう? BLOGOSに寄稿しているでしょう? 労働問題への切り込みは鋭いよね。視点のとりかたが、人文科学というよりは社会科学より。ロジックは通っている(絶えず、通そうとしている)。

だがしかしだね。

……あーうー。全然だめだー。

はっはっは。こういうところがおもしろい。すてきー。

私が思う「最も恋愛の才能がある人」は、幼なじみと相思相愛で結婚した人である。

私が思う「恋愛の才能」は、「相手の欠点に寄り添ってもいいと思えること」だ。

答え自分で出してるし。まったくその通りだと思う。話の運びはこれから書こうとすることとはえらく違うんだけど。で、そこのところについてちょっとだけ。

よくわからない図を持ち出してみる。

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恋愛市場は①④象限で勝負する。少なくとも、入り口はそう。自分の属性を数値化して、登録する。おえー(※個人の感想です)。でも、ニャートさんが導き出しているのは、②③に近いんじゃないのかな。あるいは、次のようにいえるかもしれない。①④は理性、発話、言語、文章、ロジックをプロトコルとする。②もそうだけど、受け身だ。だから①④ほどではない。③は、それこそ、幼なじみが知らずに、受け入れてくれているような部分。

惚気話で恐縮だが、おれは中学のときにめぐちゃんという女の子を好きになった。彼女はおれの気持ちを知っていた。なんとなくなかよしだった。でもだから付き合うとかそういうのではなく、あこがれていた。高校は男女別学だから、おれは東大に入って入ったらよくわからないんだけどほめてもらおう、ほめてもらえるんじゃないか、連絡をとろうと思っていた。でも彼女は高校で1年間カナダに留学していろいろあってすれちがってしまった。

もうかれこれ30年になる。数年前からfbで友達として、たまにメッセージのやりとりをしている。(ちなみに彼女は商社マンと結婚して、3児の母。)

よく覚えているなあっていうくらいに、彼女は、おれのだめなところ、悪事の数々を見ていて、当人がわすれていたことまで披露してくれる。「そうだよなあ。おれ、だめだったよなあ」「うん。もうだめだめ。どうして大学合格したときに連絡くれなかったのよ」「ごめんなさい」みたいな。

ほかには「大学で、モテたでしょ」「うん。みんなおかしい」「おかしいって?」「青田買い。おれは基本的にずっと変わらない。だめなままだし、中学のとき好きだった人のことはずっと好きだし、夢ばかりみてるし」「お上手ね。(おれ)君、いまでも作家になりたいのね」「うん」「有名な賞をとったらケーキを焼いてあげる」とか。

*

唐突に、シュレディンガーゲーデル不完全性定理)もどきの話なんだけど、共感って、共感する/される/したい/されたい部分を言語化する「外部」で起きることじゃないのかな。ってのが、35を過ぎたあたりからの諦観。もっというと、意味よりも、発する言葉の響きのよさを媒介にする。それも、欠点、と言語化されるような部分ね。

*

その意味で、おれは、数多のブログや発言に、それがだれのものであっても(数学的科学的なものを別にすれば)ロジックはあまり(ほとんど)みない。もっとこう、発言者を絶えず不完全なパズルの全体像に見立てて、発信によって、その全体像が(不完全さを含めて)おぼろげに立ち上ってくる、いい意味での「だれかとたたかっている」姿勢、そしてその品のいい自己表明、その予感に、引き寄せられるタイプだ。ついでにいえば、上の拙図の③象限であると、なお好ましい。

*

なんどでも引くが、「姪とレロレロ」(笑)。

nyaaat.hatenablog.com

好かれる秘訣は、欠点、愛嬌にあるとは、古来、人口に膾炙するところなり。

*

おしまいに、少し、固い話を。

1991年以降、日本の総中産階級(幻想)はなし崩しに崩れた。解体され、孤立化し、企業宗教的なもの、創価学会的なもの、日本会議的なものにあらかた再編成された。70年代、80年代うまれのおれたちきみたちには、帰るべき幼なじみはいない。土着の「非・自覚」に戻ることはできない。

だが、それもわるいことばかりではない。はてなの、ネット民の精神年齢は、平均してせいぜい小学5年生くらいか? もしそうだとすれば、いまが「大人の幼なじみ」を作る時期だともいえなくもない。いえ…そうに…ない。(ちなみにおれがサイバーメガネ id:netcraft3 を支持する理由の1つはかれが小学5年生未満であることを隠そうとしない点にある。戦後まもなく、安吾や太宰が落ちようとした姿を、贔屓目ではあるが、想起してしまう。実にきたない太宰だ。)

20数年から30年後、前期高齢者の仲間入りをしたときに、はて、どうだろう。笑って、戻れるのかな?

山際淳司bot作りました

こちらすっかりご無沙汰になっており相済みません。やはり年度末進行は忙しい。

さて、山際淳司bot作りました。

twitter.com

Twitter界隈には山際淳司botが2つあります。どちらも僕です。は訳あって放置、破棄。要はログインできなくなってしまいました。万策尽きる。アカウント削除をTwitterに申請する方法をご存知の方いらっしゃいましたらご教示ください。(追記 自己解決しました。アカウント削除申請済です。)

*

あらためて、山際淳司とてもよいです。少なく見積もって1冊で20フレーズ。25冊は優にあるから、botツイートは500を超えると思います。

しかしながら、まだ立ち上げて間もないのでつぶやきが少ないです(いま=立ち上げ時40~50くらい)。がっかりという方のために、以下に少し引用しますね。

たしかなことは、頭の中が真っ赤な、真っ黒な、時には真っ白な状態のまま揺れるまで走っていた時期が──短かったけれど──ぼくにはあったということだ。(夏、その2)

有田はいった。「なんでぼくがあんな形で跳びあがったのか。みっともないなと思いましたね」そういいながら、口もとは笑っていた。本当は照れ屋で、心の中には熱いものを持っているのだろう。そんなふうに、ぼくは理解した。(キャッチャー)

翌日の決勝戦、池田は横浜商を3-0で下し、夏、春連覇を達成した。監督はこのエースのことをこういっている──「ガイなやっちゃ」。ガイとは<豪>という字を書く。徳島の方言である。(監督とエースの甲子園)

二階席の屋根があることによって、甲子園球場で放つ鋭い当たりはキューンという金属音をこだまさせた。もう、どんなに鋭い当たりで打っても、ボールがバットに捉えられたときの音しかしないだろうと金田は思った。鉄もまた、徴用されたわけだった。(異邦人たちの天覧試合)

高校生のころ、衣笠はキャッチャーをしていた。「だから今でも私は、キャッチャーをしていたころの衣笠が好きですよ」正子さんはそういった。(バットマンに栄光を─衣笠祥雄の最後のシーズン)

三宅がそれを見たわけではない。指導していた岡先生も見たわけではない。話に聞いただけのことである。ウインド・ミル──風車か、とそのネーミングから思い浮かぶイメージを追い求める日々が、三宅にはあった。(回れ、風車)

「このチームは鉱脈が浅いところにある」と、根本はいう。…鉱脈が深いところにあるチームは優勝を争えるところまでもっていくのに時間がかかるが、ダイエー・ホークスはそうではないというのだ。(オールド・ボーイズ・オブ・サマー)

もし、エデル・ジョフレに勝ってチャンピオンになっていたらどうなっただろうか。自分の人生は一八〇度変わっていただろうと、そういう答えを期待していたのかもしれない。…青木の答えは、こうだった。(正方形の荒野)

ね、いいでしょう?

どうして、昨今のスポーツノンフィクションには、こういう味わいがないんでしょうね。「江夏の21球」がいいのはもちろんですが、山際さんって、こういうワンショットがそれぞれさわやかで、薫風のようなんです。ファンとしては、そちらをもっと評価されてほしい。

*

僕にとって、人文学は、ひとつに、大切なことを忘れない練習のためにあります。究極のところ、そのアウトプットは墓碑銘だと僕は思う。

davitrice.hatenadiary.jp

ついでにいえば、すぐれた形で記憶をつなぎ、墓碑銘を残すことができれば、その書き手をライターと呼ぼうが、作家と呼ぼうが、石見人森林太郎と称しようが、おそらくそれは第一義的な問題ではない。

山際淳司を写経する喜び(笑)を、しみじみと感じた次第です。

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あ、もっちさん(id:mocchi_blog)、いつか時間ができたらで構いません。山際淳司の似顔絵、描いていただけませんか。

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youtu.be

これを参考にしつつ、ただこれ、おでこが広がり始めた山際さんなので、できれば検索してみつかる、もうちょっと知的な表情でふさふさしているほうでよろしくお願いします。