illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

見坊豪紀(けんぼう-ごうき)の真骨頂※ごうきちゃいます

今週のお題「読書の秋」

このあいだ何のときだったか、黄金頭さんが、苦しいときにはアフォリズムが効く、あるいはアフォリズムくらいしかなかなか頭に入ってこないという話をしていた。彼がシオランを読んでいたときの一節だったと思う。

私もこの説には大賛成で、というか、私はおそらく幼少体験からいまに至るまで本質的には「辞書読み」の質(たち)であって、だから理想のインターネットは辞典や事典類のbotがそこらじゅうを徘徊している世界だ。イデオロギーに染まっていないとなおいい。

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見坊豪紀(ひでとし)の「ことばのくずかご」を読んだ。

ことばのくずかご (ちくまぶっくす)

ことばのくずかご (ちくまぶっくす)

 

実にすばらしい。見坊先生が昭和36年1月に始めて1日も弛まず休まず19年間行ってきた用例採集の成果がまとめられている。まとめるというか、敬意を表していい直せば、羅列してある。次とか、思わず膝を打つじゃないか。

<代名詞>

(1)たとえば彼氏といったのは私が初めて。その理由がくだらない。活字に組んだ場合、彼と彼女じゃ字数が合わないでしょ。そこで物理的に彼のほうに氏をつけた。[69.2.75](「サンデー毎日」68年12月8日豪「ジャーナル」欄 徳川夢声

参考 右記事は68年11月17日(日)9時0分日本テレビ「春夏秋冬」の要約。

P.65

この徳川夢声というところも華を添えていて、憧れの弁士、文士、ご隠居のひとり。いわゆる戦後メディア勃興期のマルチタレントの走りで、その血縁親類関係は、近代中国史でも意外なつながりが出てくるなど、なんというか面白い方である。

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雰囲気だけ、おすそわけしてみた。

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続編に、「新」のつくものもある。

新 ことばのくずかご〈’84~’86〉

新 ことばのくずかご〈’84~’86〉

 

実はお恥ずかしながらこちら未入手。先程あわててポチった。この「ポチる」なんてのも、見坊先生ご存命だったなら、用例採録の一コマになっていたに違いない。見坊書はいまや有名な三省堂の例のあれが挙がり、次いで「ことばの海をゆく」となるのだろうが、どうしてどうして、本書「ことばのくずかご」は、それらの見事な楽屋芸、それもとびきりのものといえる。

黒門町の芸も寄席ではまだ十分とはいえず、見るならお座敷芸といわれていた。何のこっちゃ。昨今は弟子筋でもあるはずの国語編集者が受けを狙って妙ちきりんのツイートを行うのが流行りと見え、私は苦々しい気持ちでペッとしていたものだ。

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んなわけで、諸君、今朝、本書を思い返してみて、私は大変に仕合せな心持ちでいる。\(^o^)/