広島東洋カープが25年越しの優勝を成し遂げた。
1950年1月のチーム結成式から実に四半世紀。浩二が、衣笠が、ホプキンスが、大下が外木場が池谷が男泣きに泣いた。ルーツからは祝電が届く。「こんなにうれしいことって、あるんですね」と漏らしたのは、古葉ちゃんだったか、エイトマン浩二だったか。
古葉「そうですね。もう選手がね、みんながもう絶対やれると、絶対優勝するんだという気持ちでですね、ずっとやってくれましたので、僕もそれに支えられてね、いい采配ができたんじゃないかと思います。本当にあの~、うれしいです(涙)」
引用は「広島東洋カープ初優勝の軌跡」さんから。
時が過ぎて。
「うれしい」
「こんなにうれしいことはない」
広島・古葉元監督「こんなにうれしいことはない」 #nhk_news https://t.co/zidP1wOeEe
— NHKニュース (@nhk_news) 2016年9月11日
「こんなにうれしいことはない」
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僕は筋金入りのタイガース贔屓ですが、古葉監督(構わないでしょう? この名誉職名で)は、うれしいときに、うれしいっていうんですね。ほんとうに、うれしそうに。希代の名将だと思います。カープ、おめでとう。
ほんとに、おみごと。いつもながらのお点前。どうしたら、こういう文体が練りあがるのかしらん。
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1点だけ、祝辞に代えて。
カープ初優勝の、のちの黄金時代の礎を築いたひとつが、名コーチ広岡達朗の存在だった。招聘した、根本陸夫も慧眼であった。とにかくもう、がたいが丈夫なだけで基礎のまるでなっていなかった浩二を、衣笠を、三村を、飽くことなく鍛え上げたらしい。もし興味があれば、そのあたりの事情は次の海老沢泰久の著作(名著)に詳しいので、手に取ってみてほしい。
その広岡さんが、ヤクルトを優勝に導きながら追われて日本テレビの解説者になる。80年ごろの話。ご記憶の方もいらっしゃると思うが、あのときの広岡さんの解説というのは、いまでいうと、ある一面では大下剛史さんかな。不機嫌さを隠さない。「どうしてあんなのがプロなんでしょうね」「お話になりません」。茶の間が凍り付く。いやあ、すごかった。いちいち正しいから反論のしようがなく、手に負えない。
その広岡さんが、あるときこんなことをいったそうだ。
原(辰徳)の、あのグラブをご覧なさい。指を出しているじゃないか。ジャイアンツのコーチは何をやっているんだ。なぜ指をしまわせないか。
当たると痛いからでしょう。そりゃボールがミットに収まれば痛い。そこをうまく、痛くならないようにやるのがプロというものです。
名人と呼ばれた土井は、大橋は、晩年までゴロを捕るときには必ず片膝をついていた。
名人と呼ばれるようになったら、何をやってもいい。原は、まだまだです。
(筆者の頭の中に住まう稗田阿礼を呼んで、海老沢さんの著作から再構成を試みた。理由は、いま旅先で原著が手元にないため。主に前掲「みんなジャイアンツを愛していた」に拠る。)
ものを記すの十年ひと昔実践的ガイド - illegal function call in 1980s
なんと申しましょうか、目が眩むばかりの書物の紹介で、何にも知らずに恥をかいていたんですね。これから勉強など・・いやだなあ・・・~。
2016/09/23 06:17
あこう浪士様が、小西得郎さんの口調でおもしろいことをつぶやかれていた。(小西増太郎さん(得郎さんの父上)は、広島県だか岡山県の出身で、京都でロシア文学の教授をお務めになった方。)冗談だと思うけれど、お照れになると思うのだけれど、あこう浪士様くらいに文体が練りあがると、それは名人の境地。
野暮を承知で記すのは、玉石混交をより分けて、このテキストは(すごい/すばらしい/こんなにうれしい読み物はない)というのを、繰り返し誰にともなく搔き口説くのが、レビューという無粋をする人の最低限のマナー、たしなみだと思うからです。
どうぞ、僕などの説に寄り道なさることなく、いまのひょいひょいとした味わいのままで。
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さて、このたびは、広島東洋カープ、優勝おめでとうございました。
しかし、パ・リーグは、どっちが来ても手強そうですね。(相手方の監督が鶴岡一人さんだったら、広島を二分する仁義なき戦いになってちょうどよかったのにね。まだボケてる(笑)。)