illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

お茶がうまい話

アマチュアのエッセイを集めて編んだものを好んで読む。それも、定点観測するととてもいい味わいがする。前にもちらっと書いたけれど、エッセイにはエッセイにしかできない仕事がある。それは時代の雰囲気、空気を、めくるページの隙間から木漏れ日の当たる縁側にふっと運んでくれるような仕事だ。お茶がうまい。
最高の贈り物―’98年版ベスト・エッセイ集 (文春文庫)

最高の贈り物―’98年版ベスト・エッセイ集 (文春文庫)

 

できれば、1冊読んでおしまいにするのではなく、シリーズを毎年手に入れてよむのがいい。もっといいのは、実際に自分で書いて、歴史の末席に名を連ねることだ。

なかなか、いいエッセイを読んだ。いまから干支ひとまわりほど前の、ばあさん思いの若者の話である。2003年の銅賞。
幻の香り
 
 わが家には50年になる金木犀が2本ある。戦後間もないころに、生まれてくる子や孫のためにと祖母が植えたものだ。彼女の3人の娘と7人の孫はその香りを胸いっぱいに吸い込んで大きくなった。料理が得意な祖母はその花で子供にはお粥や飴を、大人にはお酒やお茶を作ってくれた。桂花茶を入れるときの祖母のあたたかい掌が、ぼくは大好きだった。
 ぼくが26歳のときに祖母は痴呆症で入院した。すると金木犀も弱った。交通量が増えて空気が汚れたことが直接の原因だが、ぼくにはそれが祖母のメッセージのように思えた。どうにかして昔の香りを取り戻せないかとなじみの植木屋さんに相談したところ、植え替えはわけないが世話ができなければ元の木阿弥だという。父と母はそれならばいっそ切ってしまおうといった。
 ぼくは考えた。植え替えと手入れには年間で30万円ほどかかるという。それくらいなら貯金と退職金で3、4年分は賄える。3年もあれば次のステップが見つけられるだろう。いずれは実家に帰るつもりで東京に出てきたはずだった。それに祖母は長くない。そのときが来るまでにいちどは車椅子で連れて帰りたいが、金木犀のない庭を見せることはぼくには考えられなかった。両親にはぼくが何とかするからといって実家に戻り、表向きは資格試験の勉強をしていることにして、毎日朝から晩まで園芸の本を読んだ。庭仕事も少しずつ覚えていった。
 そして、この秋。金木犀は新しい場所で花をつけた。香りも戻った気がしたので、枝を何本か切って病院に持っていくことにした。
 「いい匂いがする。先生これどうしたの?」
 「お孫さんからのプレゼントですよ」とぼくはいった。祖母はだいぶ前からぼくを主治医だと思っている。
 「うちのはほんとにいい孫でね」と祖母はいった。ぼくは祖母のすっかり皺くちゃになった顔を見て、うんうんと頷いた。すると祖母もうれしそうに頷いた。そして静かに寝息を立てた。
出展は 「かおり風景2:1988-2006」P.164。現著者は不肖もとい不詳であるが、著作権松栄堂および「香・大賞実行委員会」に帰属する。こんな感じで処理すれば正当な引用行為となるはずである。が、まあ君たち松栄堂さんでお香をお求めくださいな。こういった賞を継続している意義というのは、とっても大きい。ほんとうにありがたい話です。後世の日本文化風俗史研究者は、このシリーズをきっと通ると思うよ。
松栄堂 芳輪 京五彩

松栄堂 芳輪 京五彩

 

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俺はこの「幻の香り」を書いた、いまどき珍しいけなげな若者とは古くからの付き合い。というより腐れ縁で、奴(やっこ)さんとは2、3、話したことがある。奴は「いやだ」といっていた。「もう俺は書くのをやめる」とまでいい放った。何がいやだと尋ねたら、鼻持ちならない匂いがするからと答えた。そんなことはない、まあ多少はする。
袁※(「にんべん+參」、第4水準2-1-79)は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随したがって書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁※は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。
(ご存じ中島敦山月記」。引用は青空文庫による。)
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けれどね、これでなかなか、まあプロには程遠いけれども、10年も辛抱すれば、ほら、審査委員の藤本義一先生も見込みがあるやにおっしゃっている。どうだい、ちょいと辛抱してみねえ。お前さん程度の料簡なら、虎にはなれまい。だいいちまだ虎になり切れていない。そういったら観念した奴さん、いまは虎に似たところで同じネコ科のねこになりたがっているそうな。

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授賞式の後でちょっとした宴があり(入賞者は琵琶湖畔のホテルに招待いただくならわしである)そこで藤本義一先生は「もっと自由に書いていいんだよ。たしかによく練れているし、構成も内容も整っている。でも、僕はあなたがもっと自由に、わるくいえば好き勝手に書き散らかしたものを読んでみたい」とおっしゃってくださった。
 「これね、みんな金木犀の話として読むだろう」「はい」「桂花茶の話だ。うまくわからないように忍ばせた」「はい(!)」「おいしかったんだね。素敵なおばあさんだ」「はい」「がんばって書きなさい。のびのびと、ね」「はい」

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奴さん、賞金は祇園でしこたま飲み食いをした。翌朝はっと思いなおし、滋賀草津のよよん君のご実家に、いくばくかをお包みし、令状を急ぎしたためたそうだ。さすが、名うての不心得者であるな。そんなことじゃ、いつになっても文章の腕は上がるまい。
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いま、成田です。24日に戻ります。現地で、書く時間がとれそうなので、補遺でも。

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