てとてと😺
ポトフおいしいー😺 pic.twitter.com/AnRVD3wahq
— nekohanahime (@nekohanahime) November 26, 2018
基本的にすべて前の晩の仕込みです。では本日も\(^o^)/
てとてと😺
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基本的にすべて前の晩の仕込みです。では本日も\(^o^)/
いえ、いまでこそこうして自炊だなんていっていますが、長いこと鬱だったんです。15か16のときにむずかしい本を読みすぎて、食事が喉を通らなくなった。言葉も出なくなりました。押し黙って、いつも何か「正しい言葉」のようなものを探していた気がします。
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それまでは活発な、明るい子だったんですが。1,980g、44cmの早産で生まれました。座布団あるでしょう? あれの対角線にすっぽり収まるんです。くーちゃんが座布団に乗っている姿を見ると何だか無性に愛おしくなるのは、そのとき残存記憶かもしれません。その未熟児を、ばあさんが命をつないでくれました。にんじんと牛乳を中心に、とにかくいろんなものをすりつぶしては口に入れてくれた。そう、聞いています。
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おかげで12歳13歳ころまでは健康優良児。片道12、3キロの学校までの道のりを自転車で通っていましたから、臀部の筋肉がいい形に発達して。小ぶりで、若いころは尻の形は男からも女からもほめられた記憶ばかりです。16歳春で174cm、56kg、体脂肪率は1桁だったと思います。水泳やってたから計っていた。
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自分を愛してくれた人がほぼ必ず自分より先に死ぬことへの恐怖でした。その答えがどうしても欲しかった。納得のいく答えが得られぬまでも、限界線を自分の手と足でなぞって引いておきたかった。ばあさんが、僕が16のときに脳梗塞にかかって。僕は何ひとつ恩を返していない。話は変わりますが僕は「ごんぎつね」が好きでして。世界はああいう構造で出来ている。違いますか?
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30年の断続的な鬱です。精神がいよいよやばくなると拒食症的になる。「自分は死ぬのが本当だ」という気持ちは、ずっとあります。早まって生まれてきて、命はつながれたものの、つないでくれた人に何もできずに、立身出世だ何だって、いい学校にいって、そこそこの会社に入って、だからそれが何だろう。世界は亡くなった人の数のほうが多い。生は芥子粒みたいなものでしょう。
治験ってご存知ですか。製薬会社が薬剤を開発する。億単位の巨額の投資を行い、長いもので15年20年の開発と試験期間をおいて、薬が一般市場にデビューする。その、治験のアレンジをするベンチャーの立ち上げに携わっています。いまの流行りのひとつは、希少疾患への世界的な対応です。スイス、スウェーデン、アメリカ、イギリス、ドイツ、あるいは中国で、薬を開発し、特定遺伝子、特定疾患をもつ、いままさに病を携えている人に、実薬と偽薬(プラセボ)を投与し、統計的処理を行う。それをエビデンスとして厚生労働省から認可をもらう。ものすごくかいつまんでいえば、そんな感じ。製薬、医局、患者さん、対照群の手配、倉庫、物流、日程管理、人員管理、薬剤管理、予算、売上、環境、国内外の出張…
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鬱は、苦しいですよ。自分に効きそうな薬がその辺の試験にないかって思うこともある。ないです(笑)。ただ、この仕事を任されて、激務なんだけれど、僕は負けないと思っている。ベンチャーに手を挙げたときの上役との面接で、「理由はいまはお話できません。ただ、僕はこの仕事の尊さを知っている。待っている患者さんがいることを知っています。その、ピューリタニズムにも似た宗教的確信が、これまでどの仕事についても得られなかった。これは違う。僕は負けない。ただ、理由はいえません」「ご家族で何か重い病気でも?」「いえ、違います。そうでもあるし、そういうことでもありません。すみません。僕をこのプロジェクトに投入してください」
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たまに、2002年2月に始まった試験がないかってデータベースを検索することもあります。がん、白血病、アルツハイマー。あるよね。いまに続いているものも。そうだろうなあと思う。
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先日、うれしいことがありました。「メンヘラさん、みんなで一緒にお弁当食べませんか? 食べましょうよ!」って、職場の女の子がお昼に誘ってくれた。みんな、僕の弁当に興味を持っていたらしい。それがいつもばたばた書類にサインをしたり、来客や何やかや、そもそも難しい顔をしているというので、声をかけにくかったらしい。誘われて、仲間と心から楽しく、おいしくお弁当を食べるなんて、実に30年振りのこと。
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みんな、よく働くスタッフばかり。そういう人を選んでつまんでくるわけだけれど(笑)。だから、そんなふうにしてみんなでお弁当を食べていると、ふと、こみ上げてくるものがあってね。困ったものです。
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JC予想:
◎1 アーモンドアイから外国人騎手。
素直に、オッズを見てガミらないように買えばいい。
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おれはアーモンドアイから上記オッズ高い方3点、24日朝時点、馬連ですなわち:
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しかし、おそらく、来るのは3-11だ。
以上、予算2,000円ならここまで。
もう1,000円の夢と欲をかくなら、3連複(おれは3連複好き好きマンなのだ)、
1,3,4,6,11のボックスで。買い目10点になる。100円ずつ。
組み合わせ オッズ
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結論:3連複、3-4-11, 1-4-6に各1,000円→30万円を目指して勝負だ。
今回この2点で行く。
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ちなみにおれは寿司を食わせてもらった92年のナチュラリズム(トウカイテイオーの2着)に歴代でいちばん恩義を感じている。馬連7-14、約50倍を憑かれたようになぜか締切5分前に5,000円と3,000円を2度に分けて(!)投じた。震えながら悪仲間と府中から銀座に向かった。日曜夕方、寿司屋はまだやっていなかった。梅ヶ丘に引き返す。ありがとうナチュラリズム! ありがとうトウカイテイオー!
今週のお題「読書の秋」
このあいだ何のときだったか、黄金頭さんが、苦しいときにはアフォリズムが効く、あるいはアフォリズムくらいしかなかなか頭に入ってこないという話をしていた。彼がシオランを読んでいたときの一節だったと思う。
私もこの説には大賛成で、というか、私はおそらく幼少体験からいまに至るまで本質的には「辞書読み」の質(たち)であって、だから理想のインターネットは辞典や事典類のbotがそこらじゅうを徘徊している世界だ。イデオロギーに染まっていないとなおいい。
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見坊豪紀(ひでとし)の「ことばのくずかご」を読んだ。
実にすばらしい。見坊先生が昭和36年1月に始めて1日も弛まず休まず19年間行ってきた用例採集の成果がまとめられている。まとめるというか、敬意を表していい直せば、羅列してある。次とか、思わず膝を打つじゃないか。
<代名詞>
(1)たとえば彼氏といったのは私が初めて。その理由がくだらない。活字に組んだ場合、彼と彼女じゃ字数が合わないでしょ。そこで物理的に彼のほうに氏をつけた。[69.2.75](「サンデー毎日」68年12月8日豪「ジャーナル」欄 徳川夢声)
参考 右記事は68年11月17日(日)9時0分日本テレビ「春夏秋冬」の要約。
P.65
この徳川夢声というところも華を添えていて、憧れの弁士、文士、ご隠居のひとり。いわゆる戦後メディア勃興期のマルチタレントの走りで、その血縁親類関係は、近代中国史でも意外なつながりが出てくるなど、なんというか面白い方である。
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雰囲気だけ、おすそわけしてみた。
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続編に、「新」のつくものもある。
実はお恥ずかしながらこちら未入手。先程あわててポチった。この「ポチる」なんてのも、見坊先生ご存命だったなら、用例採録の一コマになっていたに違いない。見坊書はいまや有名な三省堂の例のあれが挙がり、次いで「ことばの海をゆく」となるのだろうが、どうしてどうして、本書「ことばのくずかご」は、それらの見事な楽屋芸、それもとびきりのものといえる。
黒門町の芸も寄席ではまだ十分とはいえず、見るならお座敷芸といわれていた。何のこっちゃ。昨今は弟子筋でもあるはずの国語編集者が受けを狙って妙ちきりんのツイートを行うのが流行りと見え、私は苦々しい気持ちでペッとしていたものだ。
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んなわけで、諸君、今朝、本書を思い返してみて、私は大変に仕合せな心持ちでいる。\(^o^)/
今週のお題「読書の秋」
例の、紫式部が清少納言を悪くいったとかいう箇所ですが、私は少し違った見方をしています。語釈の基本は品詞分解にありますので、まず品詞分解を行い、忠実訳を行うことで、その違いを示したいと思います。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text55.html
*
訳します。
清少納言といえば、とりわけ訳知り顔をして、極端に振れる/目立ちたがりの方(かた)です。(けれど)あのように賢そうに振る舞って、(仮名ではなく)漢字を好んでむやみに書いているものの、よく見てみると、いまだにまるで至らない点が多い。
いいなあ、紫式部。漢詩文の教養だって、実は私のほうが上なんだからねという匂いがぷんぷんする。実際、紫式部が漢文にも通じていることは源氏を見れば明らかです。
*
1点お詫びがあります。
実際のところ紫式部は清少納言をどう書いたのか?原文と現代語訳で確かめてみよう!→「容赦ない」「立派なツイッタラー」 - Togetter
「もののあはれ」は自然に起こるものであって、清少納言のように、わざわざ狙って進むような心持ちではない―いかにも紫式部、面目躍如たるものがあります。悪口ひとつでも紫式部らしさがありますね。
2018/11/16 04:27
紫式部自身は、「もののあはれ」という表現、用語は行っていません。「あはれ」「あはれなり」とは記している。それを、源氏物語の内在的読解によって(つまりマルクス主義史観とか、なんとか学派だとか、そういうのでなしに、ひたすら源氏その他を読み込んだ結果として)本質はこれなんじゃないかと、本居宣長が取り出してみせたのが「もののあはれ」です。しかし同時に、「あはれ」は、「もの」について起こる。そのことは、ほぼ間違いない。
紫式部自身が命名を逃した(?)その本質に「もののあはれ」と名付けて見せた、本居宣長との境目を、僕自身、たまに見失うことがある。そこは、すみませんでした。
*
話を戻して、たられば(@tarareba722)さんの訳は、ちょっと強いんです。「悪口」路線に引きずられている節がある。たらればさんの中世古文に対する愛情が本物であることはツイートを眺めればわかる。そこであえて、僕になら、ちょっと違う世界を見開かせることができるよと、書いてみたくなった次第です。続きは、また明日か、今日のよるにでも。
今日はだいたい一日中、台所に立っていた。実に気分がいい。
別段、何を仕込むわけでもなく、
届いたこれを、夢中になって使い、切り刻んでいた。キャベツ、にんじん、きゅうり、玉ねぎ、それらに塩をしてタッパーに封じ、冷蔵庫で出番を待ってもらう。移し替える際にときどきこぼれるので、くーちゃんが誤って口にしないように細心の注意を払う。
しかし、あれだけの量をイトーヨーカドー船橋店で買ってきたというのに、切り刻んでしまえば冷蔵庫はなかなか乙なものだ。まだ空間がある。
*
ばあさんは一日の多くを台所に立って過ごしていた。一日三食、何をそんなに調理することがあろうかと、それは近代化の別ルートに足を踏み入れてしまったおれたちの誤認識である。台所は、流しは、冷蔵庫は、刻一刻と姿を変えていく。その合間に、三度の飯がやってくる。主客が逆なのだ。
*
おれは朝5時、ばあさんか、おふくろが階下で大根を刻む音で目を覚ますのが好きだった。毎日、育ててもらって不遜ないいかただが、よくやっていたものだと思う。昼は11時半、夕方は6時、何かしらを刻んでいた。その音が暮らしを形作っていた。作られて出てきたものは溺愛、もとい出来合いに近いラーメンだったり、スーパーオータニで仕入れたパック入りの刺し身だったりした。
*
が、諸君! それはわれわれだって同じ、否、より豊かだったとは思わんかね。炊きたての白いつやつやのコシヒカリ、千切り大根の味噌汁、卵、海苔、野田の醤油、庭で干した梅干し、樽から出したばかりの白菜の漬物、そこにスーパーオータニで買ったししゃもを焼いたもの。
ラーメンだって、キャベツは庭でとれたしゃきしゃきだった。卵は(すまんな)養鶏農家時分の付き合いから、市場に出回らないのがいくらだって入ってくる。それを割り落とし、化学調味料は避ける。代わりに、醤を垂らすのさ。海苔もけっこういいものを使っていた。あれは何だったんだ。
*
で、今日、おれにどこまで出来るか試してみた。
だめだった。
*
【悲報】皮をむいたじゃがいもに塩を振って(よかれと思い)しばし放置、表面がピンク色になり焦るわい氏、反省して「坊っちゃん」に手を伸ばす
— nekohanahime (@nekohanahime) November 12, 2018
じゃがいも、苦手なんだ。形がピーラーで剥くのに向いていない。塩をすればいいってもんでもない。おれが子供のころ、揚げ残した油でちょちょっとじゃがいもをスライスしたのを揚げて、塩を振って出してくれたのは、ばあさんあれは何だったのか。皮付きのさつまいものこともあった。
何かこう、余ったもので、ばあさん曰く「ちょっと、手を加えて出すものだから、大したものじゃないのよ。こういうのは女に任せて、xxちゃん(おれ)は立派な大人になればいいの」「はい」。
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おれにだって、つべこべいう以外の返事をすることがあるのさ。
*
それで今日、クリームシチューを作ったとき、水加減を多めにして、煮立つ寸でのスープをカップによそって口にしてみた。悪くはない。溶けたブロッコリーの風味が効いて、なかなかよかった。だが、ばあさんの作るのは、これじゃない。小麦粉か、片栗粉か、何か知らないが、謎の白い粉をたらし、いい塩梅にかき混ぜ、料理の途中で匙に取って小皿を湿し、ちょっと口にさせてくれる、あのうまさは、一体、何だったのだろう。
このたび、才能に恵まれつつも不遇に泣いているらしい若い、というにはケホケホ、文人と競馬場にご一緒できるかもしれないチャンスに与った。おまえらがやきもちを焼くからだれかはいわない。批評家はハイコンテクストとチラリズムで勝負をする生き物である。
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実はこの話が持ち上がり、お声掛けをしてから1ヶ月ほど、俗事に呼ばれて連絡を疎かにしていた。
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その間、なんと(!)わが友、李徴子は私の誘いを気にかけてくれていたらしい。もうおひとり、ご同行するかもしれない方から「『あの話はどうなったんでしょうね。流れたのかな』と李徴子が気にかけていた」という話を聞いた。おれは胸の中の申し訳なさバロメーターの水位が上がったのを感じ、もうれつにはんせいし、再アレンジを急いだ。何をいっているか伝わらないと思うがおれはむやみにうれしかったのである。イヤッホーって感じだ。
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おれはこういうのに弱い。俄然やる気が漲る。よよん君が「会いたい」といっていたと人づてに聞いて立ち上がり、新幹線のきっぷを急ぎ手配した人が昔いたと聞いたことがある。ちょうどこんな気分だったのだろう。
李徴子にはさきほど日程案を伝えたところだ。ちなみに文人はおれたちとは違って控えめなので、めったなことでは穴から顔を出してくれない。
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12月9日。ジュベナイルフィリーズ、昔は阪神3歳牝馬ステークスと呼んだ。みなさんにとってもそうだと思うが、おれにとってもむずかしいレースのひとつ。
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関西遠征がいまから待ち遠しい。当たって、当たり馬券を李徴子に渡して、「またね」と握手をして別れる。それがいまのおれのささやかな願いである。
ね、くーちゃん😺
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49年(引用者注:原文は「四十九」。昭和。1974、ジャイアンツ10連覇を阻止したドラゴンズ二度目の優勝の年である)に「小説新潮新人賞」をもらった時も、ちょっとした気まぐれなんだろうと思って、受賞祝いのパーティーには出たが、小説の方は読まなかった。わたくしが彼の作品の熱心な読者になったのは、『監督』以後のことである。寡作な彼の本が1年に1冊か2冊しか出ないのを待ちかねて、送ってくるとその日のうちに読み、いつも感心した。
亡くなった池田弥三郎もその一人だったし、教授の西村亨や檜谷昭彦もそうだった。西村が本の扉にサインして貰って、少女のようにはにかんでいるのを見たことがある。
加藤守雄による「解説」(海老沢泰久『みんなジャイアンツを愛していた』P.236)
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そんな感じだ。\(^o^)/