illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

ダチョウ倶楽部の件

もうずいぶん前に亡くなった慶応の加藤守雄さんが、海老沢泰久「みんなジャイアンツを愛していた」の解説を記している。文学史上では加藤先生は―これは不名誉な表現になりかねないのだが―著作「わが師折口信夫」によって、折口の男色、同衾を克明に明かし記した人として知られる。

わが師折口信夫 (朝日文庫)

わが師折口信夫 (朝日文庫)

 

功績があたかもその点に集約され、結果、研究者として、一流でなかったように聞こえてしまったとしたら、申し訳ない。そんなことはない。そしてこれもまた、微妙な表現になるが、加藤先生は、結局は、折口から「そのような傾向」のないことにより、師事を離れることになる。

折口は遠く離れて思ふもの。斯く詠ふ「をかし」「あはれ」ならむ(57577)

(わいの歌です)

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そこじゃないんだ。昭和62年に加藤先生は記す。1983年秋の日本シリーズ観戦、西武球場に、加藤先生は海老沢泰久に誘われる。

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で、一緒に外野席で観戦しているわけ。その流れで、加藤先生は次のように記す。

49年(引用者注:原文は「四十九」。昭和。1974、ジャイアンツ10連覇を阻止したドラゴンズ二度目の優勝の年である)に「小説新潮新人賞」をもらった時も、ちょっとした気まぐれなんだろうと思って、受賞祝いのパーティーには出たが、小説の方は読まなかった。わたくしが彼の作品の熱心な読者になったのは、『監督』以後のことである。寡作な彼の本が1年に1冊か2冊しか出ないのを待ちかねて、送ってくるとその日のうちに読み、いつも感心した。

加藤守雄による「解説」(海老沢泰久『みんなジャイアンツを愛していた』P.236)

ここで言及されている「作品」は、おそらく(ほぼ間違いなく)「F2グランプリ」「ただ栄光のために」「二重唱(デュエット)」辺りのことだろう。いや、いいんだ。ブックオフには、僕が買い占めたから、もう弾は碌にないはずだ。そのことがいいたいんじゃない。

引用を続ける。

亡くなった池田弥三郎もその一人だったし、教授の西村亨や檜谷昭彦もそうだった。西村が本の扉にサインして貰って、少女のようにはにかんでいるのを見たことがある。

(同)

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今日、黄金頭さんにブックマークしてもらった。俺はにこにこしている。(お前ら、このことは、黄金頭さんに伝えるなよ。伝えるんじゃないからな。だめだ。絶対に、だめだ)

いつか、リングサイドで - illegal function call in 1980s

"僕の、大橋克行/秀行会長方面への取材によると、井上尚弥がやはり「ピカイチ」らしい"

2018/02/04 17:31

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