illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「させていただく」を敬語の衣とタテヨコで分解してみる

「させていただく」には僕もかなりの――解釈上の――こだわりを持っています。高校古文を15歳で習い始め、以後、品詞分解と敬語には現代日本の共通語と、できれば平安以前の古語とを架橋したいと思って、日本におそらく1人しかいない「品詞分解士」を自称して参りました。苦手な食べ物は橋口幸生と齋藤孝です。よろしくお願いします。さて。

news.yahoo.co.jp椎名美智先生のさすがというべき抑制的な視点です。僕は今回、椎名説に異を唱えるのではありません。タイトルに書きましたように「させていただく」から「敬語の衣」をいったん取り払い(敬語は衣=非敬意表現に天ぷらか天女かは知りませんがコロモをまとわせたものです)、再び衣の材料を順にまぶすようにして、タテとヨコの位置関係で表現しなおしてみようという発想、アプローチです。字にすると長くなりますが絵柄は簡単です。順にいきます。

する・させる

「する」の基本構造を仮に下図のように表すとします。Aさんが〇〇する。(図1)

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すると(意図して掛けたわけではございませぬ)、「させる」は下図のようになります。AさんがBさんに〇〇させる。(図2)

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文法書や国語便覧によって違いはあるかと思いますが、「使役」を説明するありきたりの図です。

させてもらう・させていただく

以上を踏まえて、「もらう」と、その敬意表現(敬語。謙譲語)と一般には分類される「いただく」の要素を付加してみます。BさんはAさんに〇〇させてもらう。これも簡単です。まず「もらう」を付加。

「もらう」は授与動詞とも呼んで(英文法などでは明確にそう呼びならわしますね)、本質はものや行為の受け渡しと、同時に受け取り側から起こる、視点やベクトルの転換です。図にすれば一発です。(図3)

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さて、「いただく」(戴く)は山の頂き、などというときの頂と同源で、(頭の)上方に掲げる動作を表します。食事を「いただく」と発声するのは、山の幸や海の幸をありがたく上方に掲げる気持ちを、(実際にはそうしないけれども)仮想の動作として、ことの端(ことば)に表すためですね。

話を戻して、「いただく」を図示してみます。BさんはAさんに〇〇させていただく。(図4)

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余談本論オブジェクション

以上の基本構造を理解して「いただいた」上で、僕は「させていただく」には、どうしても「させてもらう」の生の具を見てしまうほうです。だから、基本的な立場として「させていただく」は一切、使わない。実践上はもちろん使うときもあります。

というのは僕はビジネス敬語の実践上は「させていただく」はいちいち「いたします」に戻したい派であり、かといってそれを実践すると却って浮いてしまうところがある。10人に8人9人が「させていただきます」を使っているところで僕1人が「いたします」を使うのは場の空気を乱すことになりかねません。読み手に一瞬の感じる、考える間を渡してしまう。敬語は正しくても場としては正しくないかのようなメタ的なメッセージを付与してしまいます。

そうして商談やビジネスのコミュニケーションというのは、案外、そのような「メタ的なメッセージ」、言外の色、行間などによって左右されるものです。

とはいえ、国語(古語も視野に入れた現代日本の共通語)文法からは、「させていただく」というのは整合的にこのように説明できるということは、忘れてはならないと僕は考えます。

ひとことだけ、主張のようなことを「いわせてもらえ」ば、したがって、僕は「させていただく」は敬語の過剰であるとは全く思いません。敬語の過剰とは、例えば中世古語の二重敬語のようなもの(尊敬を本動詞で1回、助動詞で1回の計2回)がふさわしい。動作主体が帝だからそれくらいは必要なのです。

対して「させていただく」は、使役1回、謙譲1回です。このとき、もし留保するならば、古来、使役と敬語は近い間柄にありますので、疑似敬語1回、謙譲1回の計1.5回相当とする解釈は可能です。使い手の実践意識上もこれに近いでしょう。丁重に戻して、押し上げる。それによって、クライアントを敬して遠ざけることができます。

同時に、「やらせてもらうよ」「あなたが当社にさせることだからね」と、ある種、開き直りの「線引き」を示すことができます。

重ねて順を追って書くならば、

  1. 主体ずらし・ベクトル転換
  2. 押し上げ・謙(へりくだ)り
  3. 一線を引き
  4. 敬して遠ざける

となります。

このようにビジネスの現場は畢竟、やくざまがいの駆け引き、としかいえないところがあります。僕は先刻のブックマークで、短い字数の中にその側面を強調したくてコメントを行った次第です。

また、「させていただく」をやめようなどとは申しておりません。橋口幸生と一緒にしないでいただきたい。むしろ「させていただく」は、よくできた、時代が呼び寄せた表現と感嘆すること頻(しき)りです。この点で僕は椎名先生の柔らかい立場に近いです。

おしまいに、蛇足ながら、ある(敬意)表現を使う(使わざるを得ない)かどうかは、社会(部分社会の法理)が決めること。遣い手個人の意思ではありません。その上で、武装した理論は、絶えず懐に忍ばせておく。古来の嗜みではないでしょうか。

以上です。