illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

「復活の日」準備日記#0003

本日は夕刻の帰り、間近まちなかで「新型コロナウィルス咳だ」と直観する男性の喉払いの音を聞くとともに、市川塩浜駅の下りホームでその咳をきっかけに蜘蛛の子を散らすように行列がばらけた様子を見た、初めての日だった。

  • 新型コロナウィルスは、都下ほとんどの産業分野で感染者が出ていると見ていいだろう。ばらばらと、いろんな産業、企業、地域から出ているようだが、(自粛1)ということは(自粛2)。
  • どこに、そのための自分なりの日常生活での観測地点を持つかという話である。
  • 私の場合それは丸の内の某所と、JR武蔵野線市川塩浜駅
  • 前者については、ちょっとわけありすぎて書けない。後者は、これは比較的ロジックの追いやすい話だ。コールセンターのような人員集約型のサービス業務で雇用サイクルが比較的短いこと。ということは(自粛3)。密閉した空間で、組織としては徹底した身分社会であり、構成としては雑多な出自が―現実問題として―入り交じる。
  • そして、(コールセンターにはない特徴として)ローラースケートを履いて(履かされて)、汗水を垂らし、喘ぎながら、競争を強いられ、ものに触れる。行き帰りは、貸し切りバスか、路線価のそんなに高くない電車で行う。
  • ついでにいえば、外資でも内資でも、そのサービスが私たちの暮らしにあまりに浸透してしまったために、隠蔽体質にもなってしまった。感染者の発生を、極度におそれる。(写真はこの日の朝のJR船橋駅ホーム)

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  • 「徹底した消毒、管理体制を敷いている」と、あるいはプレスリリースが出されるかもしれない。だからご心配にはお呼びませんと。

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  • 新型コロナウィルスの蔓延が惹起するもののひとつは、労働問題である。むしろ、階級問題といっていい段階かもしれない。当たり前といえば当たり前の話。
  • だとすれば、安倍晋三も、麻生太郎も、菅義偉も、(話を端折る)だれの強行をだれがどの側面から反対した、諌めた、江川紹子に電話を掛けた、というのだって、それぞれが(江川さんを除く)権力の相互補完関係にあるとみれば(与党トップなのだから当然だ)、階級問題としてみれば大差ない話。

労働者は順番に負けていく。今日、その法螺貝が鳴るのを黒船の近くで聞いた。

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追伸。危機には、普段は抑制的な、ものを書く人間の本質の一端が、増幅して現れる。黄金頭さんがハイテンションになり、私がドン引きするような暗い調子になったのは、令和の文学にとって、逆でなくてよかった。明日も出社する。斃れるのは私ひとりでいい。

そうだ、帰りに短い距離だけ乗った都営バスの窓が開いていて、風が流れていたのが新鮮だった。復活の日はまだまだ遠い。