役立ちそうな記事へのニーズがあるなら書くのに吝かでない。
英語習得のための最初の格好の機会はいつか
大学受験は、生涯にわたる英語との格闘のために与えられた、最初の格好の機会というべきだ。高校受験までは、何となくで、まあ、何とかなる。大学受験はさすがにそうはいかない。進学校なら高校合格発表とその後の手続きで、「入学式までの30日、40日の重要性」なる資料と課題が手渡されることも多いだろう。
仮に合格発表を2019年3月10日、センター試験とはいわないが、のようなものを受けるのが2022年1月15日とする。約1,000日ある。
1,000日で何単語を覚えればいいか
まず総量から。
あたりが総量の通り相場だろう。単純に、単語だけで、8,000語÷1,000日×3回繰り返す=24単語/日。楽勝だ。
どう覚える/繰り返すか
初日に24語、2日目に次の24語、なんてのは甘い。あまちゃんすぎる。それでは定着しない。おまえたちもそんな脳科学風の記事は山ほど読んできているはずだ。
- 1日目: No. 001-024, 025-048(予習)
- 2日目: No. 025-048, 001-024(復習), 049-072(予習)
- 3日目: No. 049-072, 025-048(復習), 073-096(予習)
「前日分の復習+当日+翌日分の予習」をやればだいぶ定着する。それじゃ24単語/dayではなく72単語/dayではないか、無理だろうという声も、もちろんあるだろう。反論は容易だ。
- 復習は手厚く、予習はざっとでも構わない。
- それも辛ければ、復習も予習もざっと目を通すくらいで構わない。
- それすら辛いなら、16/dayとか12/dayに減らしてよい。
- 土日祝にツケを払ってもよい。
- 根性論に落とし込むなら、最初の1クール(1冊やり終えるまで)は、ひたすら耐えよ。2クール目以降が俄然、楽になる。どのみち、高1の春から夏は、英単語と数学と、文系なら古文単語、理系なら物理科学だけやりまくればいい。英単語を覚える時間がとれないわけがない。
- 根性がないなら、目指す大学のレベルを下げればいい。
- どうしてもだめなら、英語から逃げたって構わない。
同じことを英語の他のジャンルにも展開する
単語で「覚える形」を覚えたら、イディオムや、構文や、発音アクセントにも展開せよ。発音アクセントは意外に良書が少ない。まあ、駿台のこれだろう。
センター試験短期攻略問題集英語 (発音・アクセント) (駿台受験シリーズ)
- 作者: 桜井博之,霜康司,刀祢雅彦
- 出版社/メーカー: 駿台文庫
- 発売日: 1999/05
- メディア: 単行本
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安い。パターン分けされている。手に入らなければ、こちら。
もっと手に入らないか。90年代、ほかにもいくつか薄い本でしっかりした内容のがあったんだけどね。構文は前の記事を見てほしい。イディオムは、何だっていい。
こうして高校3年の大学入試二次試験を迎えて、そして
あまり一般にいわれないノウハウなんだが、二次試験(2/20-25頃)を終えたら済ませたほうがいいことが2つあって、ひとつは運転免許取得。まあ、これは教唆してくれる人がいるだろう。
もうひとつが、TOEIC 4月か5月の申し込みと受験。余力があれば、英検6月の申し込み。大学では、よほど自分で踏ん張らない限り―これは東大でもそうじゃないところでも似た話だ―英語の力は、二次試験時点をピークにして下り坂になる。
- だったら、せめて、余勢をかって、就職にも役立ちそうだから受けておく
- か、歯を食いしばって少しでも上乗せを続ける
もうひとこといえば、比較的偏差値の高い大学なら、家庭教師や塾講師、予備校講師のアルバイトに手を伸ばすこともあるだろう。おすすめは、毎年、センター(じゃ、なくなるのか)の自分が受けた、あるいは教える科目は、解き続けるといい。
僕は1991年の文3合格者(758点?)だが、92年以降、ほぼ毎年、新聞掲載や入手した過去問で、受け続けている。教えてほしいといわれ、対価を得て、教壇に立つ以上、プロとして当然と思うからだ。700点前後は維持している。
もちろん、そんなことに意味はない。僕の最大の取り柄は古文の品詞分解である。
実際どうしたか/その後
あくまでも僕の場合だが、大学1年秋から、当時下宿していた世田谷でアメリカ人とロシア人のハーフ、しかも本場でイギリス英語を習ったという興味を惹かれる先生に、週1回個人レッスンについた。
まるで、話せない。それは、本質的には、話すべき自分がなかったから。
それで、これじゃいけないと思って、日本語の見直しに立ち戻った。坂口安吾よろしく(逆か)精神衰弱、失語症的になり、大学院在学中(1996-)から、ITと企業レポートを中心とした産業翻訳で学費を捻出し、短期でNYのカレッジも聴講し、ようやく、英日翻訳なら出来るかなと自分で思えたのが、2010年ごろ。日英がどこに出してもまあ通じるようになったのが、2015年過ぎ。逐次通訳は、いまでもまだ苦しい。英日は、なんとかなる。日英は、ネイティブの言い回しにならない。生涯、届くことはないだろう。
その努力に何の意味が
ない。
僕がこと翻訳ということで敬愛する勝海舟、そして小村寿太郎も、基本的には生涯、孤独だったり、不遇だったりした。
小村は、自分の仕事は後世の人間が判断することだといって一切日記を付けなかった。ロシアに駐在していた時には薄暗い室内で膨大な量の書物を読み漁っため視力が大幅に衰え、医者からはこれ以上目を使い続けると失明するとまで警告されたが、それでも小村の学習意欲は衰えず、読書を止めることは終生なかった。
小村は40歳を過ぎても公私共に報われず、翻訳の内職をして生計を支えていたが、小村の運が開けたきっかけはこの内職にあった。翻訳という作業は、さまざまな分野におけるさまざまな事柄について勉強する機会を翻訳者にもたらす。ある時小村は、この翻訳で得た紡績に関する知識を陸奥宗光の前で披露することを得たのである。陸奥は小村の博識に感心したが、小村も小村で「私は何でも知っています。ここにいる原敬君ほど私を用いてくれるなら、私も相当のことを致します」と返答して陸奥を驚かせている。
だが、しかしだ。僕の専攻はアヘン戦争以後の東アジア世界システムと知識人の役割だったのだけれど、小村、厳復、福沢、時代を下って柳父章、畑違いだけれど辻静雄、やっぱりね、異文化交流、理解のために、生涯語学と格闘するわけ。現世利益の追求を超えた、大義が、そこにはあるような気がするね。
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愚痴を吐き出してだいぶすっきりした。次の記事では英検の具体的な解説をするつもりです。