illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

テーブルクロスに

左の肘をついて雨の音に耳を傾けている

するとくーちゃんが

お腹を見せて横になってくる

 

おれは

くーちゃんの額に鼻を寄せ

右の手でくーちゃんの手を包み

左の手でしっぽの付け根から

背中をなでる

 

くーちゃんはよほど気持ちいいのか

前脚を「ふみふみ」のポーズにするので

 

おれは

くーちゃんのお母さんはよほど立派で

やさしいねこちゃんだったのだろうと思い

どこに行けば無事を祈れるのだろう

 

あるいは

手を合わせられるのだろうと

 

寒の戻り

くーちゃんともうひとりの兄弟が

保護されてきた

江戸川の河川敷

 

尖った心

癒やしてくれる君に出会うため

生まれてきたんだと

www.youtube.com

正面からのノックの話

さつまいもカレーを作った。

うまい。

よくわかんないけどホマレ姉さんのおかげだ。

おれの料理に対する億劫心、手間心は、ほぼ取り除かれた。

広岡達朗「ノックの目的は、正面の強いゴロを打ち、選手の恐怖心を取り除いてやることにある。それができれば、あとはフットワークで自然に左右は対応できる」云々。

dk4130523.hatenablog.com

しかし諸君、ホマレ姉さんの料理には(つねづね申し述べているのだが)1点、本質的な詐術が含まれる。あのうまい野菜を手に入れる方法が、記事には記されていない。

あれは無理だ。あれこそプロである。色合いが違う。水の滴りが違う。くっそーw🌱🌱🌱

*

素材がうまければ料理はどうとでもという話では《決して》ない。

あの良質の素材を自ら育て、おいしく、ありがたく食べるにはどうすれば、という工夫は、一体のものだ。ホマレ姉さんは、そこを動かん。実に信じがたい。

そしておれらはそのことを頻繁に忘れ、ネットで記事をぷちぷちやっている。

*

斯様に、心底、能うべきレトリックでおれは謝意を述べ、できる限りほめようとしているのだが、伝わらないだろう。だとすれば、それはおまえらがネットのほうを向きすぎているからであって、おれのせいではない。いい機会だ。帰農するか。

安吾の話

これ、ちょっとざっと、流し読みに読み流してみてほしい。

www.aozora.gr.jp

坂口安吾のよさが、随筆家、日記作家、ブロガーとしてのよさが、集約されている。

して、この語り口とものの好み、みなさんもよくご存じの、某頭さんに、どこか似ていないか。

おれのくーちゃん

はなちゃんと暮らしはじめて

満5年を刻んだ

 

ところで

(はなちゃんお怒りにならんでw)

くーちゃんをお迎えしたのは

その数ヶ月後

2015年初夏のこと

 

くーちゃんはそのころ

不安な気持ちと好奇心でいっぱいだった

 

おれが見落としてきた

大切なことを

 

くーちゃん

落ち穂拾いを

おれのくーちゃん

今週のお題「大切な人へ」

*

高校のころ

帰宅するなり

1階奥の8畳間へ

ばあさんが穏やかに

今日もまた座椅子で

うつらうつらしているのを

脇にあるベッドに

腰掛けて見守るのが好きだった

*

あんまり

居心地がいいので

そのまま横臥して

寝てしまったこともある

そんなとき

 

夢うつつ

だれか親切な人が

おれにタオルケットをかけてくれた

*

おれの船橋のアパートには

PCデスクがあって

チェアには厚手の座布団と

洗いたての

ブランケットがかけてある

 

くーちゃんは

おれがシャポーの買い物などで席を外す間

そこで眠るのが好きらしい

*

帰ってきて目を止める

そして

邪魔をしないように

そっと寝息と室温とを確かめ

キッチンに移る

*

Chromebookを開き

片肘をつけば

おれは大切な

昔のことを思い出すのさ

舟唄を