illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん(長い)

おれは4年前、2015年7月12日に、キッチンで長い手足/脚をのびのびにするくーちゃんを見て陥落したわけだけれど、たしかにそう書いたのだけれど、ねこを、くーちゃんを受け入れるというのは、生死の間/淡いにわが身を立たせて「生きるのか」と問うことと、ほとんど同義だった。

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7月12日。おれは42歳だった。

布団を天日に晒し、ほかほかのふわふわになったので、ソファの上に広げた。そのころ、くーちゃんはうちに来てくれてまだ2週間で、ようやくねこかぜが治るか治らないかのころだった。週1回か2回、病院にお連れしていっていた。

くーちゃんは、よほど心地よかったのだろう。布団の上で、のびをしたり、丸まったり、あるいは、風邪で辛かったのかもしれない。

「なんじゃこの手脚の長さは…」

と、思って驚いたことをよく覚えている。

おれは60歳まで生きることが果たしてできるだろうかと考えた。

猫の寿命は長く見積もって20年。山際淳司46歳、三島由紀夫50歳、おれのおふくろが52歳で、まあいいところ、還暦を迎える前に、癌かテロでくたばるのである。あるいは、自らくたばりに行く。

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そのような想念を、やめられるかどうかは自信なかった。いまだってない。

ただ、目の前にはくーちゃんがいて、まだ、目やにを出したり、少し熱が残っていたりする。

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これは7月5日。うちに来てくれたのが6月27日。1週間とちょっと。

ねこかぜがよくならず、通院の傍ら、どうしようかとそればかりを考えていた。ピンぼけだけれど、だから好きな1枚。

くーちゃんは、家に来てくれて間もないころ、Amazonで注文した富士山のおいしい水の箱に収まると、うまく自分では出てこられないことがあった。箱から、おれはくーちゃんを丁寧に取り出して差し上げる。「ぴにゃあ」と鳴かれるので、おれは下僕として生まれ変わった。目やには、風邪の影響だろうと思う。

*

あるいは、ロフトに上がるのはいいが、くーちゃんは自分では下りられなかった。

そこでおれは空き箱を抱えて梯子に足をかけ、はしごの上に箱を捧げ、くーちゃんに「どうぞ。下りておいで」と声をかける。くーちゃんは薄いダンボールが不安なものだから何度かためらう。おれは待つ。「大丈夫だよ、くーちゃん」

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7月25日。くーちゃんが、風邪からだいぶ回復して、そろそろもう大丈夫かもしれないと思えるようなったころの写真だ。生後2ヶ月半。くーちゃんは、外では生きられなかった可能性があったと、このところ、ふと思うことがある。おれのくーちゃんは、生存競争に、向いたタイプではない。おれのくーちゃん。

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8月1日には、もうすっかりよくなっていた。

その1週間後には、くつろげる場所を見つけている。

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さらに、その3週間後。

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長い。長命のメタファーかもしれない。