はてな諸賢のお力に、すがることにします。
私のライフワークの1つに、山際淳司研究というのがあります。
もう、好きで好きでたまらないの。ちゅきちゅきなんですよ。ほんとに。大好き。
俺はこの人にあこがれて、この人の文体を何とかわが物にしようと、あれこれやってきた。30年くらい。で、それは諦めた。俺には無理だ。人には向き不向きがある。
よよん君の物語を書いて、もうさ、「山際節」をできるかぎり採り入れた。採り入れようとした。でね、だめなのよ。ほら、マギー司郎になった。というように、似て非なるものになるんだ。締めの段落には、「たった一人のオリンピック」をどうしても使いたかった。冒頭の入りも、「たった一人の」を、やっぱり使いたかった。極力、似せた。そこは、そこそこうまくいったと思う。息を大きく吸い込んで、背筋をしゃんと伸ばして、俺は山際淳司だといいきかせながら、書いた。書いてみた。
投資して下さって、手にして下さった方は、ははんと、あれやねと、思って下さるだろう。(ほんとは1文に「下さる」を3連発するなんてのはやっちゃいけないんだが。)
彼はモスクワ五輪の代表選手に選ばれた。その五輪に日本が参加しなかったのは周知のとおりである。
《結局は》と、彼はいった。《自分のためにやってきたんです。国のためでも大学のためでもなかった。自分のため、ただそれだけです。だからボートを続けることにこだわることができた。バイトをしながらのカツカツの生活でもボートを続けられた》
津田真男は、現在、ある電気メーカーに勤めている。ボートはやっていない。
それで、あきらめがついた。俺はどっちかってえと、志ん生の側だ。山際さんの側じゃない。つらい。しくしく。
代わりに、定年退職までざっと20年か25年と考えて、そうしたら、彼の生まれ育った横須賀か、開高健記念館もある茅ヶ崎かに、山際淳司記念館を建て、めでたく館長に納まる。たりめえだ。俺の、俺による、俺のための記念館だ。そこに俺のコレクションが並ぶ。
95%は、これまでに集まったのじゃないか
これまでに、以下は揃っている。
- ハードカバーすべて
- 文庫本すべて(※ちなみに「スローカーブを」は、色/デザイン違い版違い帯違いで、20冊を超えたよ)
- 「Number」登場回を含む、創刊号からある時期(=海老沢泰久さんが亡くなったとき)までのすべて、約2セット
- 「週刊サンケイ」本名の犬塚進名義の連載号すべて(部分的に、コピーだけのものもある)
- デビュー作の掲載された「別冊経済評論」1972年5月号の該当箇所(コピー)
- 金字塔(※江夏の21球ではない)「たった一人のオリンピック」の文芸春秋掲載版の該当箇所(コピー)(角川文庫版とは違うのだ)
- 「プロ野球グラフィティ」「スタ・メンは俺だ」など編者(編著者)を務めたもの
難しいのは、こういうのでおじゃる
しかし、ここからがなかなかに切ない。
- (入手済)上前淳一郎『巨人軍陰のベストナイン』文庫版の解説(※淳司の淳の字は上前さんから譲りうけたのでは? この仮説もゆくゆくは確かめたい)
- (先週入手!)「ヴェールに包まれた中島みゆき」(『中島みゆき ミラクル・アイランド』所収)
- (未入手)「Number」創刊準備号(原則、非売品)(※古書店で、見かけた覚えはあります)
- (未入手)本名の犬塚進名義で週刊誌に書かれたようなもの、上記サンケイを除く
- (未入手)山際名義でも犬塚名義でもないもの、無記名のもの、でも状況証拠や文体、匂いから、山際さんのものとしか考えられないもの
- (難易度高いw)NHK「サンデースポーツ」台本(※ほしい。買えるものなら買い(取り)ます。)
- DVD、VHSなど別メディアに添付同梱されるようなもの(ライナーノーツ類。とくに、オフコース、高石ともや、中島みゆきは、可能性がある。それと文芸春秋のスポーツ関連メディア)
生前、ご本人も記していらっしゃったように、書くスピードが速くて、打診された仕事は一時期を除いて基本的にすべて受ける方だった。わるいことばでいえば「書き散らし」「いろんなところにそれぞれの形で収まってしまった」部分というのが、つらい。
御子息の犬塚星司さんにも、いちどにどコンタクトを試みたのだが、いまのところ、相手にしていただけておりません。重松清は嫌いです。こういうこと書くからいかんのやろけど、だってなあ、いま(さら)重松清が「21球」だしにして何語るよ。
語るとしたら、俺なら、
ドラマは唐突に始まった。江夏の1球目はコンダクターのタクトだった。その腕が振りおろされたとき、最終楽章はアレグロで動き出す。
(「江夏の21球」(角川文庫『スローカーブを、もう一球』P.40-41)
これが、これにつながるのよ。
そしてすべてが終わるのだ。
(同P.58)
この、70年代末から80年代初頭の、ちょっと気障なところ。うまいよねえ。ガキ共、こういうのが本物の意識高いっていうんだぜ。音楽ものを扱った犬塚進が、こういうところで生きる。
それから、(あえて「21球」からの引用はしない。みなさん買って読んで)
山際淳司bot作りました - illegal function call in 1980s
江夏がベンチの奥で煙草吸うシーンが好きだったけど、あれは「21球」だったっけ……。/↑おお、ありがとうございます。やっぱり江夏はかっこいいですね。
2017/04/08 11:00
id:sugimurasaburo さんからコメントをいただいたとき、うれしかった。ショート・ホープをリリーフの江夏はゆっくりと吸う習慣なのよね。それが、このゲームではゆっくりと吸う時間はなかったと、あえて山際さんは書く。id:sugimurasaburo さんが書いていらっしゃるように、その目に浮かぶ江夏の姿が、また絶妙に格好いい。
ここからは俺の与太説なんだけど、例の平野満塁策のときブルペン(池谷と北別府)に目を遣る。それで衣笠が宥めるんだけど古葉ちゃんと氷山の下、心情面でひと悶着するわけだ。ニコチンが切れてるもので、怒りの火力倍増。カープから日ハムに放出される遠因になる。ここにはショート・ホープ(の不十分)も影響していたんじゃないか。いや、与太です。江夏がそんなレベルの低いわけない。江夏大好きです。江夏を好きになったのも山際さんのおかげであります。
閑話休題それでも俺は約束をしたのだ
俺は海老沢泰久もまあ9割がた、揃えている。で、こちら上のサイトのヒサさんと、震災前にメールでやり取りして(僕が1点2点、海老沢作品の掲載漏れらしきことをお知らせした)、そのときに、ヒサさんは海老沢パーフェクト・コレクションを(海老沢さんに関しては俺は安心して2番でいい)、俺は山際パーフェクト・コレクションを(譲らぬ)生涯をかけてやり遂げましょうと誓いあった。
そして、ヒサさんは小説もお書きになって受賞歴もおありになる方だったから(選者は阿刀田高だったかな)「第1回海老沢泰久賞」を、僕は「第1回山際淳司賞」を、これは誰にも譲らないぜと、やっぱり互いに誓った。
志ん生のほうに行っちまったら「第1回山際淳司賞」はだめじゃんて?
ふっふっふ。秘策がござる。
俺が創設するんだ。俺が金を出す。予め俺が受賞すると宣言して俺が受賞する。
これだと、第2回が実質第1回になっちまう気がしないでもないが、そしたら第0回を俺がもらえばいい。あれ? それじゃ解決にならない。つらい。
そんなわけで
いつも口が悪くいい歳をして小生意気な俺ではあるが、挑んで鼻を明かしてやろうぜくらいの気持ちで、ふと、古書店などで山際淳司を思い出してほしいのです。もしやというのが見つかったとしたら、俺がそれを持ってる持ってないの判断は、申し訳ないが俺の側の紳士協定で。ものによっては買い取るし、船橋で寿司でもいい(旨いぜ)。あるいは、情報提供だけでも。
山際淳司、約1年間でしたがNHK「サンデースポーツ」のキャスターのイメージも強い。中島みゆきに触れた文章もあるので一部紹介(『中島みゆきミラクルアイランド収録)。 pic.twitter.com/dGCo7FxQOL
— 北のラッコ(絶滅種) (@kitanorakko) 2017年7月29日
北のラッコさんは中島みゆきがお目当て。だからご自身にあえてのおつもりはなかったと思うが、知らせてもらった恰好の俺にしてみれば、もうねえ、うれしかった。うれしいの何のって。天にも昇る気持ちよ。読んだらやっぱり山際さんの匂いがする。
よろしくお頼み申します。
追伸
卒論で山際淳司やる人いない? 差し上げはしないけど、貸すし、相談にも乗るよ。布教だと思って「スローカーブを」くらいなら買って差し上げるかも。だが代筆はしない。俺が、若い人の新しい視点と感性を読んでみたいから。
あと文春「Number」編集部、なんでこんなになっちゃったんだよ。恥を知れ。岡崎満義さんの時代に、いまみたいな断罪調の筆致があったか?
賢いライターなら、もっとうまい言い方で協力関係構築をお願いしていく手を選ぶのだろうが、おあいにくさま、俺はそういう柄じゃない。ぼこすかぼこすか(# ゚Д゚)
よろしくお願い申し上げます。