おれ(1973-)がものごころを授かって最初に手にした本は、ディック・ブルーナの「うさこちゃんのたんじょうび」「ようちえん」である。
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ただ、うそじゃない、時宜を得た、何か気の利いたことがいいたいわけではないことを残しておきたかった。(おれは時宜には乗らない。むしろ好んで逆を行くタイプだ。)
うさこちゃんのたんじょうび (2才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
- 作者: ディックブルーナ,Dick Bruna,石井桃子
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1982/05/31
- メディア: 単行本
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げーてちゃんにあーはちゃん。かーれちゃんにさーるちゃん。きょうはおたんじょうかいのひです。
たしかこんな感じではじまるのだった。ちがっているかもしれない。
76年当時のうちは地方都市の郊外にしては珍しいリベラル/インテリぽい家で、スポック博士の育児書とか、朝日ジャーナルとか、聖書とか、諸橋大漢和とかがあった。たまたま近くにプロテスタントの幼稚園があり、おれはそこに入ることになって、そのバザーを通じて、福音館書店の刊行物が次第に面積容積をふやしていくことになる。いま気づいた。「うさこちゃんのたんじょうび」は1982年の発売だから、3歳のおれが手にしたのは「ゆきのひのうさこちゃん」か、その辺りだったかもしれない。
かように、思いでというのはいい加減なものである。
*
おれはようちえんが大嫌いだった。毎日お昼に白い牛乳を飲ませるからである。週に1回ある茶色い牛乳の日は好きだ。甘いからである。そこでおれは週に4回か5回、朝お出かけの時間になると家の門の前でひっくり返り手足をじたばたさせ抵抗する。泣く。わめく。
ポーズではない。ほんとうに、いやなのである。そこに受け持ちの大島先生が真っ赤なスカイラインに乗ってやってきて両親と結託しおれを助手席に引っ張り込む。大島先生は美人、ヤンキー、茶髪で情け容赦ないというその筋にはごほうびのような方で、おれが白い牛乳を飲み終えるまで別室に拉致監禁することもあった。
余談だがおれの卒園式のスピーチは「しろいぎゅうにゅうがのめるようになりました」である。シスターの園長先生がおれのおかっぱ頭をなでなでして、ひょうしょうじょうをくれた。そして「(おれ)くんは4がつからしないのがっこうにかようことになりました。それでも、みなさんはずっとともだちです」「はーい」と約束を交わした。それから、みんなで声を合わせて「マリアさまのこころ」を歌った。
その、地元ではうちよりも1世代か2世代早い、軍用地と雑木林と畑のほかに何もない荒地で、布教を行っていたシスターの園長先生が、おれがようちえんに来られるように、みんなと1日でも早くなかよしになれるようにと、ほとんど毎日のように電話や手紙をよこしてくれた。話の中で、そのころすでに本好きの素地を示していたおれのためにと、親に勧めてくれたのが、ナインチェ・プラウスと、いしいももこであった。
震災の前の年の秋、シスターが亡くなったとき、おれはすでに棄教していたがそのようなわけで馳せ参じて、お手伝いをした。むやみに涙がこぼれ、暗くなるまでその場に立ちすくんでいた。教えを棄てたのは間違いであったように思われた。いい大人が門の前でひっくり返って歯噛みをして地面を叩いた。何も起こらなかった。
*
震災のとき、いろんな著名人がいろんな動きをみせてくれた。おれはとりわけ3人、忘れないでおきたいと思う。江頭、シンディ・ローパー、そして、ナインチェ・プラウス。
いつの日か、ユトレヒトに花を手向けに行きたい。