illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

おれのくーちゃん

ねこタワーの段を

上から順に拭い毛を

落として

とっていく

*

絨毯に箒をかけて

元の配置に戻す

猫砂を換え

食器を洗い

締めくくりに水をなみなみと注ぐ

*

そのひとつひとつの挙措の節目に

くーちゃんはおれを見守り

ときに足元に寄りながら

「ふにゃあ」と鳴きかける

*

片付け終えた床

少し離れたところに

ロフトから降りてきたくーちゃん

*

目を細め

満ち足りた表情を

繰り返し目を細め

*

その慈愛に満ちた眼差しに

おれは小さいころ

やはり掃除を終え

優しい人に褒められたことを

思い出していた

川端俊介さんのこと

【魚拓】いま託す:センバツ校OBから/1 君よ、ハートは直球で 後輩のプレー、名エッセーの呪縛解く - 毎日jp(毎日新聞)

先ほど、ツイキャスで、川端俊介さんと山際淳司の話をしてきました。お聞き下さったみなさま、ありがとうございました。

あの場で、朗読しようかどうか迷ったのですが、川端さんの名誉のために、やはり山際「スローカーブを、もう一球」から引いておかなくてはと思い、ここに戻ってきました。

それは、1980年秋の関東大会決勝、群馬高崎高校と、千葉印旛高校のひとコマ、2-5で試合には負けるものの、《タカタカ》のエース、川端俊介は、

6回、(月山の)三度目のバッター・ボックスがやってきた。ストレートで二球つづけてストライクをとると、そのあと今度は三球つづけてスローカーブを投げた。月山はそのすべてを見逃し、ボールになった。どうしても、三振にとりたいと思った。六球目に投げたのは、恐らくその日で一番速い球である。月山のバットは空を切った。《ストラック・アウト!》球審が大きく叫んだ。

山際淳司スローカーブを、もう一球」(角川文庫、表題作、P.245-246所収)

書こうか、書くまいか、話そうか話すまいか、散々迷ったのですが、みなさんは、私がこれほど口を酸っぱくしても、手にとって読むことをしないでしょう。

もし読んだのなら、ここは下線部だか傍線だか知らないが、おれなら引いて、「【問い】この場面は、のらりくらりを身上とする川端俊介にとって何であったのか。思うところを述べよ」と出題するはずです。

でもいまだかつてそんな現代文の問題は見たことがない。もうね、むちゃくちゃ格好いいわけですよ。 

スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

 

川端俊介も、山際淳司も。二人は、互いと、80年代という時代に、波長が合ったんだと思う。つらい。

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改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

http://takataka-baseballob.com/Photo/2019/kawabata.jpg

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おれのくーちゃん(お嬢篇)

このあいだ、はなちゃんを訪ねにきてくれたお嬢と、船橋駅からの行き帰りの道に、旅の話をした。

お嬢は国内旅行を趣味にしていて、47都道府県すべて回り終えたのかとおれは思っていたのだが、まだ6県残っているらしい。山口、徳島、長崎…あとどこかは聞きそびれた。

2011年の震災のあと、お嬢を誘ってしきりに国内旅行に出たのは、ひとつにはおれがいつこの世を去っても構わないと思っていたことがある。できるだけの思い出を、お嬢に残してあげたいと思っていた。そこには、お嬢が大好きなおれの別れた妻と離婚したことへの引け目も、もちろんあった。

われわれは、星空の下、京成線の高架をときおり見上げながら、これまでに出向いた旅先を指折り数えた。苫小牧、倉敷、八重山神津島奥多摩の鍾乳洞…思えば「あまり多く出かけていなかったね。でも、行けてよかった」「うん」「限られた時間をやりくりして、行っておいてよかった」

本当に尋ねたいことはほかにあった。われわれは互いに自らの口を封じて旅の思い出を語った。お嬢は神津島が印象に残ったらしかった。調布飛行場から、家々がよく作られたミニチュアのように見える。島では風が強くて思うような外出はできなかったけれど、「こんど行くときには温泉に行きたい」とお嬢はうれしそうにいった。おれは尋ねた。「また、行けそう?」「もちろん」「じゃあ、旦那さんもまとめて面倒を見る」「うんうん」

*

旦那君、すまない。おれはお嬢をそそのかして、君がいない旅をお膳立てする可能性が高い。来るなといっているのではない。もちろん来てくれたら大歓迎をする。あごあしのすべてはおれがもつ。楽しい三人旅になるだろうと思う。楽しみにもしている。

だが、すまないね。貴君らの夫婦生活にも不首尾というものがあるだろう。どんな夫婦にも、それはある。

そのときの息抜きは、おれだ。譲る気はない。世界が滅びたのなら、おれも譲るべきは譲ろう。しかしわれわれの意に反して世界は続いている。

帰り道、お嬢と、長崎の五島列島に行く約束をした。貴君も誘いたい。追って連絡する。

宇都宮でイタリア料理を食べるなら

宮っ子は、いま話題の「注文の多い」イタリアンのある、こっち(中今泉)方面のごはん屋さんには基本、行かないんです。そんな話を少しだけ。

retty.me

Google地図は貼りませんが、JR宇都宮駅から1.5kmで、郊外の景色です。もともと田んぼの他に何もなかった辺りです。

宇都宮は都市計画が雑で、JR宇都宮駅-二荒山神社-東武宇都宮駅と、宮を挟んで宇都宮を名乗る駅が2つあり、その間が大通り。いわゆる旧市街です。

上記の中今泉は新市街、それも駅を挟んで反対(郊外)側にあります。まず、行かない。

差別的なようですが仕方がありません。歴史とか、地元、地場とかいうのは、そういうものです。

*

宇都宮でイタリアンに行くなら、アイローネさんでしょう。

tabelog.com

20年ほど前に宇都宮に生パスタを伝えた、いまや老舗の入り口に差し掛かったお店です。

宇都宮旧市街には、釜川という昭和57年の氾濫の後、60年過ぎにようやく治水を終えた暴れ川がありまして、その釜川沿いが古くからの繁華街なんですね。

さらに、(東西に走る大通りの)北側の釜川沿いを泉町といって、昭和40年代に栄えた。

南側が曲師町(まげしちょう)、二荒町、中央本町といって、1980年代からぐんぐんと街が姿を変えていきました。いまでは「かまがわプロムナード」などと呼ばれ、ちょっとしたおしゃれなグルメ街になっています。

アイローネさんも、その一角にあります。ちなみに、大通りの南側は色街然とした感じが抑えられ、小ぢんまりとした、いい界隈だなあなんて思うわけです。宮っ子の誇りを感じます。さらにちなみに、新興の色街はJR宇都宮駅東側の宿郷(しゅくごう)に開けていきました。

*

野村證券の角を南に折れて釜川沿いに歩いて行った左手に、アイローネさんがあります。どの県庁所在地でも、ご存知のように、野村證券さんのビルというのは「おいしいところ」にあります。

*

20年ほど前、まだアイローネさんが開店間もない頃だったかと思います。当時、結婚前だった妻と、その最愛の姪、つまりお嬢を連れて、このアイローネさんでご飯と乾杯をしました。「おいしい」「いいお店」という評判が聞こえてきていました。

私は厳密には宮っ子ではなく、昭和29年に市に組み入れられた、旧市街のさらに外れから街中の学校に通っていたにすぎないよそ者です。よその者だからこそ、街中の「いいところ」の情報には、目ざといところがある(学生時代、よく遊びました)。

この界隈は、ほかにも、老舗の餃子屋さん、ブラジルコーヒーさん、パンドラの箱さん、ほか、古き良き宇都宮に根ざした、いいお店、いい通り、いい角々、辻々、がたくさんあります。

*

今日、夕刻、結婚したお嬢と、結婚後に初めて会います。それまでに世界が滅びるのが私の願いですが、もし世界が残ったのなら、お嬢と、その旦那さんを、アイローネに招いて、3人で、生パスタとワインでささやかな宴を開くことができたらと思ったり、思わなかったり。

【宇都宮市】居心地の良い空間でお気に入りのイタリアンを♪「トラットリア アイローネ」 | リビング栃木Web

おれのくーちゃん

おれのくーちゃんが

おれの赤い座布団の上に座り、落ち着き、

少し離れておれのほうを眺めている

何かが一閃

頭を過り

Google Photo(s)から昔の写真を眺めて

赤い座布団は早くからくーちゃんの場所だったことを知る

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主客であるとか認識論と

その転倒の基本であるとか

遠近法だとか

おれはあれほどデカルトを読んだにも関わらず

何一つわかっていない

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くーちゃんの眼差しを受ける瞬間に

おれは在る。それ以外はなきがらか、存在が認められない

少し遠くから

くーちゃんがおれを見ているとき、おれは確かにくーちゃんの眼差しを感じて

振り向くと

そっと、静かに、目を細め

顔を埋めている

30年前のスコットランド戦

余韻が落ち着いたらで構いません。

www.youtube.com

ぜひ、ご覧になってみてください。30年前のスコットランド戦です。平尾誠二の精神が30年後につながっています。そしてこの30年でフィジカルが段違いに強くなった。

平尾が、そして宿澤広朗が、どこまで夢見ていたかはわかりません。けれど、彼らに代わって私たちはいま夢のつづきを見ている。

それは、「日本のラグビーが世界にどこまで通用するか」ということです。

そのことは疑い得ません。

anond.hatelabo.jp

送り狼の話

何というか、琴線が鳴り出したので、久しぶりに品詞分解します。

おくれ/居/て/恋ふ/ば/苦し/も/朝狩/の/君/が/弓/に/も/ならまし/ものを

  • おくれ:ラ行下二段活用動詞「おくる」連用形。連用形であるのはすぐ下に動詞(用言)「居」をとるから。後に残されて。
  • 居:ワ行上一段活用動詞「居」連用形。連用形であるのはすぐ下に順接の接続助詞をとるから。座っている。
  • て:順接の接続助詞
  • 恋ひ:ハ行四段活用動詞「恋ふ」おそらく連用形。普通は確定条件「ば」の上は已然形だが、奈良時代にはそれ以外の形をとることもあったと聞く。恋しい。
  • ば:確定条件の接続助詞:~ので。恋しいので。
  • 苦し:シク活用形容詞「苦し」終止形。気持ちの平静を失うこと。狂うと同源と推定されます(大野晋説)。
  • も:不確実、曖昧の係助詞。苦しいのカシラね。自分でも原因がわからない。でも好きな人についていきたくて耐えられない、つらい感じは確かにある。現代語の助詞には失われた含みです。訳しようがない。それに、和歌を詠むときに、ここに現代人が「も」を自然に置いたりするのは至難の業。まず、置けまい。
  • 朝狩:名詞。朝の狩りのこと。朝の狩りについていくってことは前の夜を共にしたってことです。夫婦関係にあることがわかる。おれはこういうことまでいいたくないんだ(泣)。
  • の:格助詞
  • 君:代名詞。あなた。二人称。相手に呼びかける。おれはこういうことまでいいたくないんだ(泣々)。
  • が:所在/所属/所有の格助詞。あなたの弓、あなたのもの。「の」との違いは、が=ウチなるものを承ける。の=ソトなるものを承ける。「あなたの私」(-ふたりでウチの関係にある。夫婦メヲトです)これが、「が」でなく仮に「君の弓」だったなら、それはヨソヨソしい、感じになってしまいます。万葉人なら、ここは「が」を用いるところです。折口信夫などはそういうところに鋭敏に拘っていますね。
  • 弓:名詞。愛しい人が、朝の狩りに持っていく、身につけていく道具です。それになりたい、つまり、ついて行きたい(とはいっていない。暗喩です)。おれはこういうことまでいいたくないんだ(泣々々)。冒頭「おくる(れ)」の縁語です。そうして当然、当時の人は「(気が)引(惹)かれる」を想起します。
  • に:格助詞
  • も:前述。ここに「も」があることで、控えめ、不確かな感じ。かつ、2度めの登場により、口ずさめばわかることですが、音調が整いますね。あるとないとでは大違い。うまいなあ。
  • なら:ラ行四段活用動詞「なる」未然形
  • まし:反実仮想助動詞「まし」終止形。現実とは反対の状況を心のうちに思い、「だったなら」と願望する。その願いが通じない、叶わない、現実にはなり得ないことが、「まし」の遣い手には十分にわかっている。そういう助動詞です。現代語には失われました。
  • ものを:逆説の終助詞。「なのだけれど」「それなのに」。「まし」との組み合わせで奈良から平安、鎌倉時代にかけて、多く用いられたと、岩波古語辞典(大野晋)にあります。

あなたについて行きたいのに、私はここにこうして座っているばかり。恋しい。あなたが朝狩で引く弓になれたらいいのに。

ね、いい歌でしょう? この試訳ほどには、激しくないかなってところです。元歌は、どちらかというと、ふわっと、淡く歌っています。かわいい感じです。

*

「送る」は、後れる、遅れると同根です。後からついていく、の意味です。見送る、送り届ける、ではない。いつか、自分もそこに行く(のが本来な)んです。それが現実には、行けない。防人に同行することはできない。だから、その気持ちと現実との矛盾にあって、切なさや、反実仮想の色合いが出てくるわけ。

*

「送り狼」。これは古い言葉です。室町時代(御伽草子)には見られたと聞いています。現代語では、たとえば帰り道、送り届けて(同行同伴して)その先のマンションで狼になるニュアンスがありませんか。そうじゃないんですね。むしろ、ストーカー的、後から(監視して/=ニホンオオカミの習性ともいわれる)ついていく狼、そちらに力点があります。だって、狼の追い方ってそうでしょう。

*

ちなみに、唐突にめちゃくちゃなことをいいますが、オオカミ=イヌ=大神です(違うだろう)。

ja.wikipedia.org

*

ともあれ、当世「おくりびと」なんて手軽にいいますけれど、いまはまだ後ろで離れている、でも、いつかはその道を自分も行く、そのことが約束、含意、前提されている、そちらに力点がある動詞です。できれば、覚えておいてほしいな、なんて思います。

いつもながらの、お粗末様でした。