どこかの寺に足を並べて向かう坂道の途中で住職が、
「今年の一字を出したはいいが実はいまでも思い悩んでいます」
と仰る。暖かい曇りの空だった。
顔はよく見えない。比叡山坂本の紫陽花が見えたような気もした。
なぜ自分なんだろうと思いながら相談に乗っていた。住職には何かしらの義理があるようだった。但しその時の自分には義理が何かまでははっきりと見えない。
その頭の一方で、昼間、鎌倉市山ノ内311という澁澤龍彦の住所が記された賀状が見つかったという知らせを、インターネットで見て喜んだことが思い出された。この住所で渋沢竜彦で検索にかけるといまでも出てくる。あの辺りは好きでよく歩いていた時期があった。渋にも竜にも異体字があるさと独りごちて、
「コロナならコロナの字を発案して筆書してもよかったのでは」
そう僕がいうと、
「冠の寸を咳に変えるくらいですか」
と住職が妙にへいつくばって答えるので(これはいよいよ以て妙な雲行きだと感じ入りながら)、
「それじゃ、咳が籠もってしまう。烈の字があるでしょう。烈火。太陽の冠です。その点4つを冠の位置に持ってきて、下に散の字を書いてみたらどうですか」
「うーむ」
住職の歯切れがわるい。然りで、水筒からお茶を右の指にひと垂れ湿し、左の掌にでなぞると、どうもばらけ具合がよくない、それならと、
「厳しいのツを烈火に変えて垂れの中身を咳に変えるのはどうです」
「うーむ。矢張り籠もってしまうのではありませんか」
そんな話をしながら道を折れて寺町にたどり着いた。「名物小豆の秤売り」の幟がちらほらと立っている。そうか寺に戻りたくないのだな――竹中がいるものな――住職のほうを見遣ると、頬を緩めて、
「ここはみたらし団子がうまいんです」
それはそれはとこちらも胸の辺りが綻んで道端の小豆屋に目を向ける。と、門口に郵便の集配が来ていた。
「ちょうどよかった。はい、これ」
配達人が自分に1枚の年賀を渡してくる。集配が、自宅の外(ほか)でそんなことをするなんて。驚いて裏を返すと、id:goldheadとあった。
寝穢い自分はそこで吃驚(びっくり)して目を冷ました。その冷たい素足のまま玄関口に向かい、郵便受けを開けてみた。