ちなみに近代の随筆家でもっとも好きなのは、寺田寅彦ぢや。
同じくらい好きなのが、幸田文で、少し時代を下って、向田邦子。今日は、寺田寅彦の話を少しだけ。
代表するエッセイは「柿の種」だろう。青空文庫で読めるが、Amazonで買うのがお勧めである。岩波の文庫本には、挿絵がある。青空文庫にもあるのだが、私の感覚では、ページをめくったときに出てくるのと、スクロールさせたときに出てくるのとでは、味わいが違う気がする。
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さて、以下は、父親と娘の、いうのは野暮だけれども、情愛の三題。似ているようで違うので似ているようで、なので、見比べてみてほしい。
大学の構内を歩いていた。
病院のほうから、子供をおぶった男が出て来た。
近づいたとき見ると、男の顔には、なんという皮膚病だか、葡萄ぐらいの大きさの疣が一面に簇生していて、見るもおぞましく、身の毛がよだつようなここちがした。
背中の子供は、やっと三つか四つのかわいい女の子であったが、世にもうららかな顔をして、この恐ろしい男の背にすがっていた。
そうして、「おとうちゃん」と呼びかけては、何かしら片言で話している。
そのなつかしそうな声を聞いたときに、私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした。
(大正十二年三月、渋柿)
寺田は、(「感動の手紙」とは違って―いえば野暮になるのだが―)それが何だとか、だから何だとかはいっていない。でも、ことば以前の感覚が、胸を打つような気がする。もっと率直にいって、私はこの話が寺田のエッセイの中でもとりわけ好きだ。かといって、好きな理由を説明しろといわれても困ってしまう。
増田(anonymous diary)は、対照的に、素直なところがとてもいいと思う。
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ちなみに、村上春樹は「若い読者のための短編小説案内 」の中で、悲しみを悲しいと書くことは必要ではないが、読者に悲しみがすうっと伝わる必要はあるという趣旨のことを述べている。
その通りだと思う。そして村上がそれを十分にできたのは、私見によれば、ずいぶん前の作品までではないかと思う。
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もう1つ。
「柿の種」冒頭には、こんな短章がある。
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
俳諧風味の一種のなぞかけになっている。実はこれは4行のうち3行で、続く1行を割愛して引用した。これにどう続くか、できればご自身で確かめてほしい。禅味のようではあるのだが、なんとも実に、味わい深い。
そんな具合に青空文庫で「ふむー」となったら、Amazonで岩波を買い求めるがよろし。上に紹介した以外にも、寺田ワールドが、渋く、きらきらと広がっている。
どのページをめくってみても、趣き深い。
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ニャート(id:nyaaat)さん、どうもありがとう。
これでまたひとつ、2月2日の月命日に、よよん君に伝える楽しい話題ができた。