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illegal function call in 1980s

1980年代のスポーツノンフィクションについてやさぐれる文章を書きはじめました。最近の関心は猫のはなちゃんとくるみちゃんです。

(私信)みつかってしまった

今週のお題「卒業」

前略

古へより、悪事千里を走り、天網恢恢疎にして漏らさずとはまさにこのことと言へり。

先だって当方よりご連絡を差し上げておきながら、体調不良、実家の諸般の事情、私自身の転居などございまして、達筆を頂戴しておきながら無精をしていた、91年卒、その直後に某駒場キャンパスというところに引っかかった不肖Xにございます。その節のご無礼をお詫び申し上げます。どうぞ拙文をもってお許しください。

*

ときに、私の卒業時にはすでに先生は確か―その前年か前々年に―内地留学として大学に戻られていました。受験を前にして何たる非道な仕打ちと心ある弟子たちはぶーぶー文句を口にしておりました。

しかしながら、こうして呼び止めていただけて私はうれしさで一杯です。そうして、悪事千里を走るのほかにしみじみと思い至ったことがございます。

*

先生はお忘れかもしれません。先般の失礼のお詫びに2つエピソードをお披露目いたします。88年か89年に先生は次のようにおっしゃいました。

「君たちは偉くなる人です。そうなると、仕事やおねえちゃんに夢中になり、僕や古典のことなんて忘れてしまうでしょう。でも、だれか一人でも、ああ、あのとき、石塚というおもしろい先生がいて日本の心を一生懸命におしゃべりしていたなあと思い出してくれれば、私はそれでいいとすら思います」

「(おれ)君、はい、ちゃらちゃらしてよそみをしていないで人の話を聞く…勉強という意味ではせっかく選ばれた人たちなんだから、ちょっとがんばって、いい大学を目指したらどうですか。男子一生、せめて学歴くらいは、東大、京大、それくらいの志を持たなければいけません」

単純な俺はこれを真に受けて勉強したのです。

もうひとつ覚えています。

「(弱起)たらたりと、たりたるたれたれ」

いえ、石塚先生に習った古文の知識と(名人)芸は、実のところそのほとんどを四半世紀(なんと…さほどに経ってしまったのですね)ずっと忘れずにおります。私自身、塾講師や予備校講師として、なんど実践で披露させていただいたことか。いまでも、品詞分解は、工夫を重ね、まったく関係のない仕事をしている身でありながら、受験当時の水準を保っています(たぶん)。薫陶の賜物であります。

ちなみに、大人になってからの愛読書の1つは、大野晋さんの岩波古語辞典です。

*

それにしても、古文を覚えているなんて、何のためなのでしょうね。

::: 石塚修 Ishizuka Osamu ::: 筑波大学 人文社会科学研究科 文芸・言語専攻 教授

先生も、触れていらっしゃいます。

一方、ここで引かれた生徒さんたちの感想のことばは、心からのものではあると思いますが、やむないことではありますが、公のことばですね。先生ご自身のことばも、授業(ライブ)を知っている僕たちからすると、ややよそ行きに感じます。(みなさん、石塚先生の授業は、これに躍動感と歯切れのよさが加わって、もっとずっとおもしろくなるんだよ。追記:しかも板書で達筆です)

古来、男性は漢語を中心に公の言葉を語り記すことが強いられてきました。やまとことば、かなは、女(房)たちが担い、受け継いだ。(男性のブログに天下国家や社会問題や決意表明が多いのはその延長上にあるからです。僕がその類をしないのはこのことへの反発もあります。)

でも、僕ら男性陣だって、ふっと、心情を吐露したい気分になることがあります。そういうときに、僕の脳裏には、万葉集(そういえば、先生は春の初回の授業の自己紹介のときに「ま'んに'ようしゅう」と発音されましたね)や、古今や、新古今が浮かびます。あるいは一葉(樋口)を好んでいた、亡くした母親のことです。

ここ、はてなで知った、季雲納言さん(id:kikumonagon)という方がいらっしゃいます。彼女はおそらく受験生で、清少納言が好きで、はっちゃけている。僕は彼女の感性に個人的にとても響くところがあり、それでたまに古文の話を振るのですが、先日、たまたま、小式部内侍のことを思った。連れて、和泉式部のことを思い、例の歌で「らむ」「けり」を解説する石塚先生の板書が思い出された。自発の助動詞「る」「らる」意味は「自然と思い出される」でしたね。

*

季雲納言さん(id:kikumonagon)、もし文学、国語学、中世古文に進まれるのでしたら、石塚先生のところ、いかがですか。あるいは違う大学に進まれても、お名前は覚えておかれるとよろしいかと思います。石塚先生の古文解釈、授業の技法(話芸とお人柄)の確かさは、真打におなりになるまえの、登竜門をめざす竜であったころを知る、僕が保証します。 

納豆のはなし: 文豪も愛した納豆と日本人のくらし

納豆のはなし: 文豪も愛した納豆と日本人のくらし

 

hon-hikidashi.jp

僕は大学ではアジア近代史、院では国際関係論を学んだのですが、それにひっかけていうと、石塚先生のようなかたは郷紳(gentleman / gentlemen)と伝統中国では呼びます。近代になり、立身出世と人徳と学問が切り離された。僕は学問を終えて世に出るときに、立身出世でないほうを選んだ。それでいて、国語学科を選ばなかったのは、古文が大好きだったからです。個人的なひそかな趣味として残しておこうと思った。(ご存命だった鈴木日出男先生が、親身に相談に乗ってくださいました)。そして「とどめおきて」が残った。

ただこれは、石塚先生からしたら教えと期待に背く行いだったかもしれません。そこは申し訳なく思います。

*

そんなわけで、のちほど、研究室のほうにお手紙します。この春こそ、つくばを必ずやお訪ねできればと、あらためてよろしくお願いいたします。

草々

 

石塚修先生(id:ichikanjin

2017年春吉日

船橋市海神

不肖X

dk4130523.hatenablog.com

(私信)和泉式部「とどめおきて」のこと

id:kikumonagon さんの受験勉強の気休めにと、ちょっと、訳しておきます。ざっとウェブを見た限りでは、しみいるような訳がみつからなかったので。

とどめおきて/たれをあはれとおもふらむ/子はまさるらむ/子はまさりけり

和泉式部後拾遺集、哀歌

::: 石塚修 Ishizuka Osamu ::: 筑波大学 人文社会科学研究科 文芸・言語専攻 教授

私の、高校時代の恩師です。まさか、ここで再会するとは思わなかった(笑)。石塚先生、ずっと同じことおっしゃってる。よほどこの歌がお好み。僕もだけど。

それで、歌の背景をひらたくいえば、小式部内侍が、男子を生んだ際に予後をわるくして亡くなってしまいます。享年20代半ば過ぎと伝えられる。そのときに、母の和泉式部が詠んだもの。

訳します。

子と母をこの世に残して、あの子はいったいどちらを切なく思っているかしら。子のほうよね。だってわたしがそうだから。

「らむ」は現在推量。目のとどかないところでいま起きていることを、どうかしら、と想像する。「けり」は俗に気づきの詠嘆といって、はっとする気持ちを場に嘆き放り投げる。僕の訳だと、筑波の人文社会には採点者を指名すればきっと受かる。それ以外は減点されます。

でもね、僕はこの訳だと思う。「だったのだなあ」なんて、杓子定規に訳したのでは伝わらないものも、古文解釈にはあります。

山本夏彦と向田邦子のこと

山本夏彦(1915-2002)はいろいろと面倒くさいオヤジなんだが1つ2ついい仕事を残している。二葉亭(四迷)のこと、半井桃水(なからい/とうすい)のこと、そして向田邦子のことである。二葉亭と桃水の話はきょうはしない。

山本夏彦 - Wikipedia

いや、枕に、桃水の話だけしようか。桃水(1861-1926)は、樋口一葉のお師匠であり新聞小説家で、いっとき一葉に恋われていた。「一葉と恋人関係にあったという噂が当時からあった」なんてウィキペディアにはつまらねえ書き方をしてあるが、熱をあげていたのは一葉である。引こうか。

日没後、戸さしかためて皆々火桶のもとに寄りつどひつつ物語りするほどに、門の戸ほとほととたたきて音なふ人あり、(略)誰様やと家のうちより問へば、半井にこそ候へ、夜に入て無礼なれどといふに、その人なりと聞くままに胸はただ大波のうつらん様に成て、思ひがけずただ夢とのみあきれ…

山本夏彦「完本 文語文」(文春文庫)P.76 むろん原典は一葉日記。

前にも書いたかもしれないが、おれの亡くしたお袋が一葉が好きでね。「どうしていまの世にはこういう恋の物語がないのかしら」なんておれに訊くわけ。「さあ」「はて」なんておれもある程度の答えはあるがはぐらかすと「あなた文学部だったわよね。何のために天下の一高に入ったのかしら」なんて、にこにこする。

もちろんお袋もおれもわかっていて、ことばから入る恋ってのはある定型、規範だから。万葉集、古今新古今、小倉百人、同じことを知って話せてそこを微妙にずらして私のおれのあなたへの恋はかようにすばらしいんですよ、あの歌よりもわが恋はこれだけ上なんですよってやる。本歌取りはそのためにある(ちょいうそ)。

共通の土台がないところに、ことばを交わす恋の成り立つはずがない。

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歌を詠む平安貴族のイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

だから、ベクトルが反対のとき、ばかね、あなたじゃ相手にならないわ(とはもちろん口にしないのがたしなみである)ってときも事情は同じ。その古今もっとも人口に膾炙した例は、おそらくあの小式部内侍、

大江山いく野の道の遠ければ/まだふみもみず天の橋立

であろう。

ウィキペディアにはこれまた実につまらなく書いてあるが、四条中納言が小式部内侍に何とかして話の糸口を作りたくて、ちょっかいを出したのである。からかったと、ちょっかいを出すのとではちがう。

小式部内侍 - Wikipedia

軽薄でイケメンの四条藤原定頼はおそらく「ちょろい」と踏んだのだろう。あるいは恋心を仮面で隠した。母親は当代美人の誉れ高い和泉式部。その不在を幸いとした軟派に肘鉄を食らわせた。ぐうの音も出まい。はっはっは。さすがに定頼には袖にされたことがわかるだけの教養はあったはずだ。

*

山本夏彦向田邦子の話だった。

上で引いた、山本の「完本 文語文」には、かような、平安から明治まで(あるいはぎりぎり昭和20年まで)地続きでいられた和歌、漢籍、サロンといったものが、なぜよりにもよって自分が生きるいまこの時代(1915-2002)に断絶しなければならなかったのかを、洒脱な恨み節でもって記してある。

完本・文語文 (文春文庫)

完本・文語文 (文春文庫)

 

山本の著作の全貌からすると本書に対するAmazonの評点は甘いとおれは思うが、しかし、朔太郎(萩原)、綺堂(岡本)、敦(中島)、そして冒頭に述べた四迷、桃水、向田邦子らのことが、実に親切にフェアに、近代文学史の稜線上に並べてある。その山本をして向田姉さんの直木賞(1980上)受賞時にいわしめて曰く、

向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。

(引用はまあどこからでもできるが今回は向田邦子「父の詫び状」(文春文庫)の、沢木耕太郎による解説から。沢木もたまにはいい仕事をする)

山本は、もうずいぶん前から向田姉さんのことを知っていて、その才覚に目をつけており、満を持したといういで立ちで、この一文を書きつける。それが昭和55(1980)年のこと。向田姉さんはその5年前、昭和50(1975)年に乳がんにかかり、肝炎と、右腕不如意の後遺症に苦しめられながら、「父の詫び状」を『銀座百点』に連載し、「だいこんの花」「阿修羅のごとく」「かわうそ」などの傑作を物した。

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

 

本格的な文筆家になる前は、当時どちらかといえば色物とされていたトップ屋(事件記者)や脚本家を経て、じつに慌ただしくその軌跡を残している。それが、おそらく病気が1つの転機になって、静謐で鮮烈な「父の詫び状」につながったのだとおれは見る。以降、81年の台湾航空機事故まで、わずか6年。急ぎすぎたことが、返す返すも惜しまれる。

銀座百点◆銀座百店会

*

以上が前振りである。

おれは、止(や)まれぬ事情でいまを急ぎ生きている、ある女社長さんと淡い親交がある。山本は、(よそから見たら)もったいを付けて、それでいてうれしくて仕方がない表情で向田評を述べた。おれはそういうことはやらない。山本の時代はそれで間に合ったかもしれないが、いまは時代の速度がちがうのだ。

*

やるぞ。

川崎貴子の時代はもうすぐそこまで来ている。その文筆の蛹が蝶にかえる助走期間(つまりいま)をおれ(たち)は目の当たりにしている。病に打ち克つだろう。いささかの休息期間は彼女の文章をいっそう磨き上げるに違いない。向田姉さんのように、まったく予想外の矢を放つことだってありえる。そして飛行機はそうやすやすと落ちるものではないから、彼女は長生きをし、10年もすればいまとはまたテーマも味わいも違ったエッセイ集を出してくれるはずだ。

そのとき、彼女のギザギザのおっぱいに、おれ(たち)はあらためてひれ伏すことになるだろう。

wotopi.jp

dk4130523.hatenablog.com

補1:なら山本の何を読めばいいかの話はそのうちする。

補2:いちおう、父と乳をかけてはみたんだが。

補3:念のために断っておくが、このエントリーは川崎貴子のために書かれている。

作ってみた 豚バラ軟骨と白菜ざくざくカレー

作ってみた。カレーのレシピを晒すなんてどうかしてると思わないでもない。といいつつ俺は料理は素人なので平ちゃらである。俺は腕をあげた。うまい(味が)。かなりうまい(白菜が)。そう思ったらそう書くのである。

材料

  • 豚バラ軟骨:適量気持ち多め
  • じゃがいも:ぼちぼち
  • さつまいも:ぼちぼち
  • にんじん:大1本
  • 玉ねぎ:2個
  • 白菜:大振りに切ったもの数枚
  • カレールー:辛口1パック

作り方

  1. 豚バラ肉軟骨を鍋で2度茹でこぼす。そして流水でざっざっと洗う。脂をある程度思い切って落とすのがコツかもしれない。
  2. じゃがいも、さつまいも、にんじんは、皮をむいて一口大に切る。たまねぎは粗みじんにする。それぞれ水にさらす。
  3. 2を1と別鍋のひたひた水で茹でる。沸騰させたら弱火で20分。行平鍋からたまらない匂いが立ち上ってきた。
  4. 1.をシャトルシェフ(鍋)に入れる。葱の青い部分を数本入れる。ひたひた水で沸騰させ、火からおろして葱を取り出し、シャトルシェフ(本体)に入れ蓋をする。
  5. 4.に3.を入れる。3時間くらいがまんする。ねこちゃんをなでなでしましょう。僕はそのまま昼寝してしまいました。
  6. 5.にカレールーを入れる。やさしくかきまぜる。2時間くらいがまんする。僕はお部屋の掃除をしていました。
  7. 6.をかきまぜる。
  8. 白菜を大振りに切る(白いところを含む)。塩もみにする。
  9. 7.に8.を蓋をするように入れる。もちろんシャトルシェフの蓋もする。1時間くらいがまんする。僕はここでご飯を炊き、洗濯をしました。
  10. もりつける。付け合わせには、だいこん(やや青い部分)のぬか漬けを。

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白菜の歯ごたえがたまりません。あっさり風味。味はカレールーに任せる。コツは豚を別茹でにして、捨てるべき脂は思い切って捨てる。菜ものはいちおう水にさらす。この辺りだ。たぶん。

自慢したくなるくらいおいしかった。どうということのないカレーなんだけど、作るのうまくなったかもしれない(笑)。

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作りすぎた…。

ディック・ブルーナとシスターのこと(・x・)

おれ(1973-)がものごころを授かって最初に手にした本は、ディック・ブルーナの「うさこちゃんのたんじょうび」「ようちえん」である。

dk4130523.hatenablog.com 

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リンク先はクリック/読んでいただくまでもない。時間の無駄である。

ただ、うそじゃない、時宜を得た、何か気の利いたことがいいたいわけではないことを残しておきたかった。(おれは時宜には乗らない。むしろ好んで逆を行くタイプだ。)

げーてちゃんにあーはちゃん。かーれちゃんにさーるちゃん。きょうはおたんじょうかいのひです。

たしかこんな感じではじまるのだった。ちがっているかもしれない。

76年当時のうちは地方都市の郊外にしては珍しいリベラル/インテリぽい家で、スポック博士の育児書とか、朝日ジャーナルとか、聖書とか、諸橋大漢和とかがあった。たまたま近くにプロテスタントの幼稚園があり、おれはそこに入ることになって、そのバザーを通じて、福音館書店の刊行物が次第に面積容積をふやしていくことになる。いま気づいた。「うさこちゃんのたんじょうび」は1982年の発売だから、3歳のおれが手にしたのは「ゆきのひのうさこちゃん」か、その辺りだったかもしれない。

かように、思いでというのはいい加減なものである。

*

おれはようちえんが大嫌いだった。毎日お昼に白い牛乳を飲ませるからである。週に1回ある茶色い牛乳の日は好きだ。甘いからである。そこでおれは週に4回か5回、朝お出かけの時間になると家の門の前でひっくり返り手足をじたばたさせ抵抗する。泣く。わめく。

ポーズではない。ほんとうに、いやなのである。そこに受け持ちの大島先生が真っ赤なスカイラインに乗ってやってきて両親と結託しおれを後部座席に引っ張り込む。大島先生は美人、ヤンキー、茶髪で情け容赦ないというその筋にはごほうびのような方で、おれが白い牛乳を飲み終えるまで別室に拉致監禁することもあった。

余談だがおれの卒園式のスピーチは「しろいぎゅうにゅうがのめるようになりました」である。シスターの園長先生がおれのおかっぱ頭をなでなでして、ひょうしょうじょうをくれた。そして「(おれ)くんは4がつからしないのがっこうにかようことになりました。それでも、みなさんはずっとともだちです」「はーい」と約束を交わした。それから、みんなで声を合わせて「マリアさまのこころ」を歌った。

その、地元ではうちよりも1世代か2世代早い、軍用地と雑木林と畑のほかに何もない荒地で、布教を行っていたシスターの園長先生が、おれがようちえんに来られるように、みんなと1日でも早くなかよしになれるようにと、ほとんど毎日のように電話や手紙をよこしてくれた。話の中で、そのころすでに本好きの素地を示していたおれのためにと、親に勧めてくれたのが、ナインチェ・プラウスと、いしいももこであった。

震災の前の年の秋、シスターが亡くなったとき、おれはすでに棄教していたがそのようなわけで馳せ参じて、お手伝いをした。むやみに涙がこぼれ、暗くなるまでその場に立ちすくんでいた。教えを棄てたのは間違いであったように思われた。いい大人が門の前でひっくり返って歯噛みをして地面を叩いた。何も起こらなかった。

*

震災のとき、いろんな著名人がいろんな動きをみせてくれた。おれはとりわけ3人、忘れないでおきたいと思う。江頭、シンディ・ローパー、そして、ナインチェ・プラウス。

www.asahi.com

ようちえん (子どもがはじめてであう絵本)

ようちえん (子どもがはじめてであう絵本)

 

いつの日か、ユトレヒトに花を手向けに行きたい。

(私信)鎌倉市図書館

id:kikumonagon さん。

twitter.com

こちら、ただものじゃない。(たぶん、id:kikumonagon さんなら、きっとわかってくれるんじゃないかと思うけど…)ふと目にとまって、お伝えしようと思いました。

garadanikki.hatenablog.com

同じ鎌倉で、こちらも、ただものではない。私は、(IHゆえ)長く自らに禁じていた土鍋に、とうとう手を出してしまいました。

以上、私信です。

(・x・)

いまの気持ち。

素焼きミッフィー brown ware miffy

b.hatena.ne.jp

つらい。俺たちが思う以上にミッフィーちゃんは俺たちの一部だった。

twitter.com

ミッフィーちゃんも泣いてる。